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★神社はいつ作られたか?(三内丸山遺跡から見た神社の起源)

 
神社はいつ、何の目的で、誰が造ったのでしょうか?。とても簡単に見える質問ですが、この質問に答えられる人はまだ世界中を探してもいないでしょう。神社は現在でも日本人には切っても切れない縁があります。これを書いている管理人自身も、神前で結婚式を挙げ、正月の初詣を欠かしたことはありません。

 にもかかわらず、神社についてはほとんど何もわかっていないのが現状です。不思議なことにこの事実に気がついている人は意外にも少ないのです。これは一般の人に限らず専門家でも同じような認識を持っているのではないでしょうか?。

 例えば、昨年に小林達雄國學院大學名誉教授から送られて来た参考文献のコピー「縄文世界から神社まで、日本の聖地文化 寒川神社と相模国の古社 鎌田東二編」にも「
神社は言うまでもなく縄文時代にはなかった。弥生、古墳時代にもなかった。それは縄文以来の伝統とは無縁であり、古代に新しく登場したものである。・・・・・・・」と書かれています。

 この記載ははたして正しいのでしょうか?、一般の人も含めてこの記載に疑問を持つ人は少ないに違いありません。しかし、これまでのHSCPに関する記載を読まれた方はすでに、神社の発祥について大きな疑問を持たれているに違いありません。ここでは、神社の配列が縄文時代に決まったのではないかと考えられる実例を数多くあげてきました。
 
 しかし、専門家ほど、このような考えに耳を傾ける人が少ないのは残念でなりません。特に、古代人が遠方の方向を正確に知ることができたとする認識が少なく、「
古代人が遠方にある神社の位置を正確に知ることができた。」とすることを根底にしているHSCPの法則など見向きもされないのが現実でした。確かに、伊能忠敬が『大日本沿海輿地全図』を完成させたのが1821年(没後3年目)で、そこではじめて日本の国土の姿を明らかにされたとする常識的な時間の流れからすると、それよりも桁違いに古い時期の古代人が優れた方向を把握する能力があったとする説を信じてもらえなかったことは当然であったかも知れません。

 このような中で、「縄文人は正確な方向を知ることができた」とする主張を長い間続けてこられた小林名誉教授が「縄文ランドスケープ 小林達雄 編著、アム・プロモーション 」に縄文遺跡と山岳を結んだ線が、24節気における日の出、日の入り方向と一致することを示し、古代人の方向に対する能力が高かったことを証明してくださいました。

 しかし、ここでも神社と縄文遺跡を同列に考えることは決してありませんでした。そこで、縄文遺跡-縄文遺跡-山岳の三つを結んだ線も24節気における日の出日の入りと一致する例があることををはじめて示し、古代人の方向を把握する能力が常識に考えられる能力ををはるかに超えていることを示しました。この実例は古代人が可視できない遠方の方角も正確に知ることのできた可能性をより明確にしました。

 実は、ここで示した24節気における日の出、日の入りなどと一致する線をつなぐポイントはすべて、私の名付けた「神社群中心」と呼ばれる周辺の神社を結んだ直角線の収斂点にもなっていたのです。しかし、この考えはなかなか信じてもらえませんでした。そこで、「★金生遺跡と中大塚縄文時代敷石遺構が作られた年代の決定」では意図的に「神社」の言葉は一切使わず遺跡の年代を推定するなども試みてみました。もちろん、ここで登場した各ポイントも周辺の神社と見事な幾何学的相関を示すのですが、敢えて「神社」の言葉を使わずに説明をしました。「神社」と縄文遺跡を同列に考えることを頭から嫌っている人たちも入り口に来てもらいたいとする配慮のつもりでした。

 掲示板にも書いたように、HSCPの法則は常識を超えていて、なかなかその事実を信じてもらうことができませんでした。そこで、HSCPによる線の表示も部分的にしか取り上げざるを得ない状況が続いていました。HSCPによる結線をいきなり全部示すと、それだけで拒否反応を示す人が多くいることを良く知っていたからです。私のように、複雑な電子回路を長い間見て来た人はわずかであり、とくに文系の人は線を数本見ただけても頭が痛くなる人がたくさんいるのです。

 しかし、いよいよこんなことを言っていられない時期にきてしまったと考えています。古代人の驚く能力があったことを示すには、数本のHSCP線ではとても説明することができなくなってきたのです。さらに、HSCPをなかなか理解してもらえないもう一つの問題点として北海道、沖縄の本土との関係があります。常識的には、この両者は本土と全く異なった歴史を辿ってきたことになっています。しかし、神社の配列から見ると、全くその常識に反する結果しか出ないのです。このような結果を信ずる人もなかなかいないどころか、この結果を聞いたたけで見向きもしなくなる人が多いのです。考古学から見ると矛盾しない結果も、歴史時代から遡るとなかなか本質に迫ることができていないないことも気にせず、皆がわかったつもりでいるのも神社に対する認識と似ています。

 古代における沖縄、北海道と本土との関係を理解してもらうにも、簡単なHSCP線ではとても説明をすることができなくなってきたのです。先月は奄美大島と喜界島に行き、50社ほどの神社を見てきました。そこでも、民族学者の多くが見ることのなかった真の神社の姿が残っていました。特に、これまでほとんどの人が注目していなかった喜界島は、沖縄の多良間島と同じように神社が大切に守られていました。ここは、HSCPでは本土と沖縄をHSCPで結ぶ大切な場所でもあります。以下に書く東北地方も本土と北海道をHSCPでつなぐ重要な場所です。ここが終わった時点で本土と沖縄の関係を詳しく説明する予定です。

 前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本格的なHSCP線を使って東北地方の神社の配列を説明し、あわせて北海道との関係を説明します。まず、それをはじめようにも、どこからHSCP線を書くか迷ってしまいます。ここで、最も良く知られている特別遺跡でもある三内丸山遺跡から書き始めることにしました。この遺跡は日本最大級の縄文遺跡ですが、不思議なことに東北の縄文遺跡に多くある環状列石を持っていません。2009年には実際にその遺跡を訪れた時点では、環状列石は見つかっていませんでした。その時はまだ発掘が途中の状態で、いずれ発見されるであろうと考えていました。しかし、今現在環状列石に相当する遺跡は発見されていません。

 環状列石は神社群中心の位置にあることが多く、これが発見されると容易に遺跡の中心位置を見つけることが可能です。しかし、三内丸山遺跡のように広大な領域を持つ遺跡では、環状列石がみつからないと、その中心を見つけることはきわめて困難になってしまいます。そこで、もともとこの遺跡は神社群中心となる環状列石を持たず、この遺跡だけが持つ巨大木柱跡の位置が神社群中心ではないかと考えました。

 これは北陸の環状木柱列である真脇遺跡やチカモリ遺跡、桜町遺跡の環状木柱列が神社群中心であることからも容易に思い付くことですが、この考えは見事に的中し、周囲の神社とHSCPの規則で正確に結線することができ、木柱跡の中心位置そのものが神社群中心であることがわかりました。しかも、ここからは春分の日に三角岳(別名黒星岳、標高753m青森県上北郡七戸)の山頂から日の出が見えるのです。(この日の出の様子は後に詳しく説明します)

 三内丸山遺跡の巨大木柱跡は、直径約1メートルもある巨大な木柱の跡で、合計6本の跡があり、6本の木柱の間隔は4.2m×4m、深さ2mとなっています。特に4.2mは縄文尺といわれている35cmの12倍の整数値になっていて、その頃すでに計量単位が定まっていたようです。この木柱の跡から推定したものを実際に復元したものがなどにあります。これは大林組で考えられた案をもとに再現したものですが、この姿には異論もあり、この木柱の利用目的もわかっていません。 また、柱列の横方向は夏至の日の出方向とほぼ一致しているので、夏至の日は最下段の空間から日の出を望むことができます。参考;「縄文ランドスケープ 小林達雄 編著、アム・プロモーション 

 
   図S1 三内丸山遺跡木柱の位置、高さ20mから見た三角岳  カシバードによるシミュレーション 135mm望遠

 この夏至の日の出方向と関係するHSCP線がないかを天体シミュレータで検討しましたが、残念ながら、それに相当する線を見つけることはできませんでした。代わりに春分の日の日の出が三角岳から出ることを見つけました。図S1は木柱の位置で、高さ20mから三角岳を望んだ場合の景色をカシミール3Dに付属されているカシバードでシミュレーションをしたものです。木柱のある地表の標高は国土地理院のレーザーを使った測量では17.1mありますから、海抜37.1mから見た図になります。

図S-1を見てもわかるように、並みいる山がたくさんあるにもかかわらず、名もあまり知られていない、標高も低い三角岳が選ばれた理由はわかりません。その名の通り、山頂が尖っていてピークの位置が正確にわかることと、高過ぎて雲に隠れてしまうことも少ないとした理由があるのかも知れません。

 
木柱から三角岳を望んだ方向は春分の日の出と一致している 
 図S2 三内丸山遺跡の木柱位置と三角岳の関係、両ポイント間の距離は23.95km(測地線長)

 三角岳はこのように特別目立つ存在ではないのですが、HSCPで見ると東北では最大のエリアをカバーする神社群中心となります。一方、三内丸山遺跡の巨大木柱の位置は、春分の日に日の出が三角岳から見えるだけでなく、三角岳に引いた線は三つのピギーバック点を持ち、その三点はすべて神社群中心となって数多くの神社とHSCP線で結ばれます。さらに、三つあるピギーバック点の中の2点に挟まれたような位置にある小牧野遺跡も神社群中心となり、これらの神社群中心は東北地方の神社群の核となっています。ここから見ると、小牧野遺跡も三内丸山遺跡とセットで考える方が妥当であるような位置にあるのです。

 ところで、青森市三内丸山遺跡は本当にすごいのか? に書かれていることは、確かにごもっともと受け取れますが、HSCPから見ると、ここに書かれていることに反して、この遺跡は本当にすごいのです。その理由をこれから詳しく説明いたします。

 2016.3.22 記 (滞在地、新潟県長岡市関原町にて)

 まず、巨大木柱から三角岳へ引いた線に対するピギーバック点を調べて見ます。この結果は図S3に示すように三つのピギーバックポイントがみつかりました。この中で、神社名が不詳で「小牧野不詳神社」とした神社の持つ内角は89.99度とまるで神が決めたようなすばらしい直角精度になっています。

 このような精度で偶然にして直角が出現する大雑把な確率は10,000分の一ですから、このポイント一つを取り上げるだけで、この配列が計画的に成された可能性が非常に高いことを表しています。さらに残りの稲荷神社と白山神社それぞれのポイントの内角が表示のような直角精度になる大雑把な確率は140分の一です。この確率と後に示す神社の分布状況、さらにそれぞれの点が神社群中心の位置にあり、周辺の神社から引いた直角線の収斂点であることや、木柱と三角岳を結んだ線が古代の春分の日の三角岳から出る日の出方向と高い精度で一致することなどを考慮すると、決して偶然では起きない事象であって、この配列が計画的になされたことがわかります。

 もちろん、決して当たることのないような当選確率の宝くじでも当選者がいることを例にとれば、偶然にしてこのような配列が絶対に起きないとは言い切れません。私の研究を神社間に線を結んで何がわかるか、「コンビニ間に線を引いたほうが面白い結果が得られるのではないか」などと皮肉を言い続けていた人たちも同じようなことを言うに違いありません。

 しかし、この配列が古代人によって計画的に成された証拠はまだ続きます。続いて書く、数多い特異な事象の出現でそのような考えは負け惜しみでしかないことを思い知らされるでしょう。そして、あなた自身が私が何度も言っているように
月から帰還した宇宙飛行士に向かって月には兎がいるはずだと主張している人たち」と同等であったことを知るはずです。

 
 番号 ポイント名 住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度,経度(10進)
(度)
内角
(度)
 
木柱中心 青森県青森市山内丸山 404843.82 1404148.35 40.81217,140.69676 -   
三角岳 青森県東津軽郡平内町 404822.26 1405849.49 40.80618,140.98041 -  2016/6/30訂正 
白山神社 青森県東津軽郡平内町土屋カヌカ沢25 405456.56 1405213.48 40.91571,140.87041 89.29  
稲荷神社 青森県青森市野沢稲荷沢110 404351.57 1404420.67 40.73099,140.73908 89.25  
小牧野遺跡 青森県青森市大字野沢 404415.06 1404340.11 40.73752,140.72781  環状列石の中心
小牧野不詳神社 青森県青森市大字野沢 404442.87 1404328.12 40.74524,140.72448 89.99  
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による 
地理院地図では④稲荷神社の位置は不明瞭
 図S3 木柱(山内丸山遺跡)から三角岳に引いた線に対するピギーバック配列


2016.3.26 記
 
  図S3を見て驚く人も多いと、思いますが、中にはピギーバックなどと訳の分からない言葉を使って煙にまいているいるだけだと皮肉を言う人もいるに違いないでしょう。しかし、先にも書いたように、ピギーバック配列を作る③白山神社、④稲荷神社、⑥小牧野不詳神社は直角の内角を持つだけでなく、その三点はすべて神社群中心であり、周辺の神社から引いた直角線の収斂点になっています。いきなりこの線を全部書くと、とても複雑な結線になり、拒否反応を示す人が増えてしまう可能性が大きくなってしまいます。

 そこで、掲示板のスレッド164で点丸様が書き込まれた「青森とエミシ」にあった「キリストの墓」に関係することから書いて見ます。図S4に示す桃色の線は図S3に示すピギーバック(以下PGBと略称で呼ぶ)を示した桃色の線と同じものです。
ここで、桃色の線の各端点①、②、③、④、⑥と小牧野遺跡⑤から出発する線色を下記の色で示しています。

木柱①を出発した線は緑色
三角岳②を出発した線は橙色
PGB点の③白山神社を出発した線は紫色
PGB点の④荷神社を出発した線は青色
PGB点の⑥小牧野不詳神社を出発した線は赤色
小牧野遺跡⑤の環状列石の中心を出出発した線は黒色
の線で示しています。

 
 
線色 出発点(図S3参照) 経由点 経由点住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度経度(10進)
(度)
内角
(度)
到達点
①木柱 ⑬羽黒神社 青森県青森市浪岡大字五本松羽黒平 404332.25 1403720.87 40.725625,140.622463 90.89 ⑭キリストの墓
①木柱 ⑫黒石神明宮 青森県黒石市前町 403825.95 1403548.13 40.640543,140.596703 89.85
②三角岳 ⑧若宮八幡宮 青森県上北郡七戸町李沢家ノ前 404542.59 1411409.57 40.761830,141.235992 90.71
③白山神社 ⑦浜台不詳神社 青森県上北郡東北町字浜台 404843.94 1411745.82 40.812206,141.296062 90.44
④稲荷神社 ⑩白山姫神社 青森県黒石市袋富山112 403610.94 1404019.07 40.603038,140.671965 90.40
⑤小牧野遺跡 ⑨間木不詳神社 青森県上北郡七戸町字夏間木 404515.32 1410743.43 40.754255,141.128730 89.88
⑥小牧野不詳神社 ⑪大山祇神社 青森県黒石市花巻花巻39-1 403709.53 1403909.84 40.619315,140.652734 90.03
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による        
  住所   緯度 経度 10進
 ⑭キリストの墓  青森県三戸郡新郷村大字戸来  402713.96  1410854.96 40.453879,141.148599 地理院地図、墓マークの位置
 S4 木柱①、三角岳②とその線の作る三つのPGB点、小牧野遺跡を出発した直角線がキリストの墓⑬に収斂する


 非常に不思議なことですが、上記①から⑥のすべての端点から出発した線は、経由点の神社から正確な直角で⑬キリストの墓に向い、そこに収斂します。もちろん、このような収斂はこの点に限らず、掲示板でも書いたように、温川不詳神社ポイントや諏訪神社などにも収斂点があるだけでなく、諏訪神社とキリストの墓の位置は驚くほど特異な幾何学的関係を持ちます。

 また、PGB⑥小牧野不詳神社、PGB④稲荷神社に挟まれたような位置にある小牧野遺跡からも図S4で黒色線によって示した直角線が⑭キリストの墓に到達しています。これが、先に小牧野遺跡⑥を山内丸山遺跡とセットで考えるとした理由の一つです。
 
 
小牧野遺跡⑥のポイントは多重の環状列石の中心位置ですが、キリストの墓と関係するだけでなく、後に説明するように黒鉱を産出する鉱山の位置を示す秘密の位置となっています。もしかしたら、山内丸山遺跡の巨大木柱の位置は小牧野遺跡とあわせて、黒鉱の位置を示す秘密の目的をもっていた可能性があります。

 キリストの墓がこのリンクに書かれてある記載と関係しているかどうかは今のところ不明ですが、黒鉱鉱山や縄文遺跡の位置と関係していることは絶対に間違いないと言い切ることができるようになってきました。

2016.3.29 記

 
 
番号 ポイント名 住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度・経度(10進)
(度)
内角
(度
白山神社 青森県東津軽郡平内町土屋カヌカ沢25 405456.56 1405213.48 40.915710,140.870410 - 出発点、図S3の③
諏訪神社 青森県三戸郡南部町玉掛諏訪ノ平49 402459.04 1411817.58 40.416400,141.304885 - 収斂、到着点
千樽不詳神社 青森県上北郡六ヶ所村鷹架千樽 405607.93 1411549.65 40.935537,141.263792 89.79 ②に到着
平沼不詳神社 青森県上北郡六ヶ所村平沼二階坂 405230.08 1412154.13 40.875022,141.365035 90.62 ②に到着
薬師神社 青森県八戸市尻内町田端 403147.42 1412613.19 40.529840,141.436998 90.33 ②に到着
袴田不詳神社 青森県三戸郡三戸町袴田 402251.25 1411215.69 40.380903,141.204358 90.50 ②に到着
八坂神社 青森県三戸町大字貝守 402241.41 1411139.90 40.378169,141.194417 90.16 ②に到着
熊野神社 青森県黒石市沖浦青荷澤 403321.69 1404331.01 40.556025,140.725280 90.31 ②に到着
稲荷神社 青森県青森市荒川品川121-1 404638.80 1404330.05 40.777446,140.725015 90.49 ②に到着
稲荷神社 青森県青森市大野若宮133 404811.39 1404409.82 40.803165,140.736062 89.41 ②に到着
龍神宮 青森県青森市橋本2 404916.63 1404504.94 40.821285,140.751372 89.95 ②に到着
 注;⑪の龍神宮は地理院地図にはありません。直近に浦町神明宮があり、この内角は89.86゜です
内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S5 PGB(ピギーバック)点である①白山神社から出た直角線が②諏訪神社に収斂する様子

 「未だに月に兎がいる」と信じているような、常識から抜けられない人たちは、ピギーバック点など、「偶然に対象となる線分の二点に対して直角になっている点を選択しただけで、そのような点に意味があるわけがない」とまだ考えているかも知れません。果たして、本当に意味がないのでしょうか?。図S3に示した三つのピギーバック点である③白山神社から引いたHSCP線が収斂する様子を図S5に示しました。
 
 図S5は図S3でピギーバック点③であった白山神社(図S5では①)から出た直角線が②諏訪神社(青森県東津軽郡平内町土屋カヌカ沢25)に収斂する様子を示したものです。ここでは何と9本ものHSCP線が②諏訪神社に到着しています。どの内角も直角に極めて近い値であり、定規ではその誤差を認識できないほどの高い直角精度で到着していることに驚くでしょう。これから、
HSCP線が次第に構造化していくことがわかってくるようになります。

2016.4.3 記
 
 
常識から抜けられない人たちは、「
日本は神社の分布密度が高いから、意図してそのような線を引くのは簡単だ」と負け惜しみを言うに違いありません。そうでしょうか?、もしそのように考えるなら、ご自分で同じような線を引いて見てください。まるでランダムに分布しているように見える神社群の中から、このようにある一点から出た直角線が別の点で収斂するような神社を見つけるには、逆に神社の数が多いのでとても難しくなります。何も理屈も持たずに試行錯誤でこのような条件を見つけることは一生かけてもできないでしょう。

 今度は、あまり離れていない異なる三点から出た直角線がそれぞれ別のルートを通ったにもかかわらず、同じ点に収斂する例を示します。試行錯誤でこのような条件に合う神社を見つけることは、先の同一点から出発した場合よりもさらに難しくなります。異論があるなら、ぜひご自分でそのような条件を見つけてみてください。何も理屈も持たずに、試行錯誤でこのような条件を見つけることは一生どころか、何回生まれ変わってもできないでしょう。

 この例はすでに図S4において、図S3で示したピギーバック点である3点からそれぞれ出発した直角線がキリストの墓に収斂する様子を示しました。また、3点のうちの一点である白山神社から出発した直角線が諏訪神社に収斂する様子もすでに図S5で示してあります。残る2つのPGB(ピギーバック)点と、さらに小牧野遺跡から出た直角線それぞれが、諏訪神社(青森県東津軽郡平内町土屋カヌカ沢25)に収斂する様子を図S6で示します。

  

 
 
線色 出発点(図S3参照) 経由点 経由点住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度経度(10進)(度) 内角(度) 到達点
①小牧野不祥神社 ④釜杭大明神 青森県上北郡東北町保戸沢家ノ前 404723.30 1411459.46 40.789810,141.24985 90.23 ⑮諏訪神社
①小牧野不祥神社 ⑤雲龍大権現 青森県三沢市本町4丁目31?224 404023.40 1412117.08 40.673172,141.35474 90.31 ⑮諏訪神社
①小牧野不祥神社 ⑥皇宮大明神 青森県上北郡東北町外蛯沢北久保 404701.20 1411358.67 40.783664,141.23296 90.69 ⑮諏訪神社
②小牧野遺跡 ⑦夫雑原不詳神社 青森県上北郡東北町夫雑原下山 404916.40 1411116.06 40.821215,141.18779 90.45 ⑮諏訪神社
②小牧野遺跡 ⑧蓼内久保不詳神社 青森県上北郡東北町蓼内久保 404529.40 1411713.61 40.758177,141.28712 89.68 ⑮諏訪神社
②小牧野遺跡 ⑨不動神社 青森県三沢市本町1丁目4 404001.40 1412110.42 40.667065,141.35289 90.30 ⑮諏訪神社
②小牧野遺跡 ⑩八幡宮 青森県上北郡おいらせ町神明前 403625.10 1412222.07 40.606972,141.37280 89.86 ⑮諏訪神社
③稲荷神社 ⑪烏帽子岳神社 青森県上北郡野辺地町 405028.80 1410222.12 40.841336,141.03948 89.84 ⑮諏訪神社
③稲荷神社 ⑫大向旗屋不詳神社 青森県上北郡東北町大沢6 404752.20 1411245.67 40.797841,141.21269 90.11 ⑮諏訪神社
③稲荷神社 ⑬薬師神社 青森県三沢市古間木山117?1 404011.60 1412123.49 40.669886,141.35653 90.26 ⑮諏訪神社
③稲荷神社 ⑭稲戸大明神社 青森県上北郡東北町大浦 404233.84 1411931.52 40.709400,141.32542 89.90 ⑮諏訪神社
注;諏訪神社⑮は図S5の②諏訪神社と同一点 
内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
  図S6 残る2つのPGB点①、③と小牧野遺跡②から出た直角線が諏訪神社⑩に収斂する様子

 図S6では、PGB点である①小牧野不詳神社を出た赤色直角線は3本、②小牧野遺跡(多重環状列石の中心位置)を出た黒色線は4本、残りのPGB点である③稲荷神社を出た青色線も4本の直角線が⑮諏訪神社へと収斂しています。ようにあまり離れていない異なる3点(①-②間は約1.7km、②-③間は約1.2km)から出た直角線が同一の点に収斂する事象が偶然に起きることは滅多にありません。

 やはり、この配列は計画的に成されたと考えざる得ません。ここから見ても、PGB(ビギーバック)点は何も意味がないと考えることは大間違いで、古代人がPGB点を重要視していたことがわかります。また、小牧野遺跡を出た線も、三内丸山遺跡と三角岳で出来たPGB点と同じ点に到達しているので、ここでも小牧野遺跡は三内丸山遺跡とセットで考えると都合が良いように見えます。後にわかるように、小牧野遺跡が黒鉱の位置を示すときもやはり三内丸山遺跡の巨大木柱の位置も同時に関係してきます。

 
2016.4.4 記

 さて、これまでの説明では、三内丸山遺跡にある木柱の位置ではなく、その位置から求めたピギーバック点から説明に入ったので、はじめての人たちにはわかりにくかったかも知れません。これは掲示板で「キリストの墓」が出たときに、点丸様とお約束したこともあり、順序が逆になってしまいました。ここで、キリストの墓と諏訪神社の関係や、黒鉱の説明は一先ず棚上げして、肝心の木柱の位置と春分の日に日の出が出る三角岳の位置について説明いたします。

 まず、三内丸山遺跡にある巨大木柱の位置ですが、この位置も神社群中心の位置にあり、この点から周辺の神社から引いた直角線がたくさん出ます。その全部をいきなり書くと、あまりにも線が多くなり、拒否反応を示す人が多くなります。そこで、まず最も特徴的な線である、温川(ぬるかわ)神社に収斂する直角線から説明をします。温川神社は青森県平川市切明71にあります。掲示板にこの神社に関して書いた時期では、この神社のある位置が廃業した国民宿舎の入り口付近にあり、この入口にかかる橋が立ち入り禁止になっていたこともあり、その神社名はわかりませんでした。幸いに、先月末に「yukiの自由気まま過ぎるブログ」に温川神社 (平川市切明)」が掲載され、神社名がわかりました。ここに書かれた趣意書によると、この神社は昭和22年8月12日に建設されたことになっています。

 このように新しい神社と縄文時代の遺跡の位置と一緒に語るなどとんでもないと言う人も多いでしょう。しかし、神社を新しく建てる場合、どのような場所に建てるでしょうか?そこには小祠がすでにあったり、以前に何か建っていたために平らな土地があったなどでしょう。そうです、その場所には小祠などの何かがすでにあったのです。私が「北海道の神社、「★北海道の神社に関する大きな誤解などにも書いているように、その場所に以前から何かがあったところに神社が建てられても、それ以前の状況は意図的に伏せられるか、忘れ去られてしまっているに違いありません。

 図S7は三内丸山遺跡にある巨大木柱①を神社群中心として、周辺の神社へ直角線を引いた場合に、温川神社に到着した線だけを取り出したものです。何と8本もの正確な直角線があります。ランダムに分布している点があり、その任意の二点間に0.2%の精度で直角線が偶然に引ける大雑把な確率は1/500です。これを前提にして図S7を見ると、その直角誤差が0.2度以下の事象が5例もあります。これだけを見ても、図にある神社の配列は偶然によるものでなく、計画的に成されたと考えざる得ません。

 言い換えると、図S7に示した神社の配置は三内丸山遺跡の巨大木柱の位置を基準にして決められたことになります。と言うことは、
神社の発祥は縄文時代、遅くてもこのような遺跡が地下に埋もれ、地上から姿を消すと考えられる数百年の間にあると言わざるを得ません

注;図S7でも八幡宮が4社も出てきます。ここでも、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著,幻冬舎新書にある「八幡は外来,韓国の神だった!」とする記載が何の根拠もないことがかわかるはずです。縄文遺跡の位置を意識して配置された八幡宮がなぜ韓国の神なのでしょう?。反論も大歓迎です。

 
 
出発点
(図S3参照)
経由点 経由点住所 緯度(度・分・秒)
経度(度・分・秒)
緯度経度(10進)(度)
内角(度)
到達点
①木柱 ④唐竹不詳神社 青森県平川市唐竹 403329.95 1403601.07 40.558318,140.600298 90.88 ③温川神社
①木柱 ⑤神明宮 青森県平川市沖館宮崎266-5 403405.58 1403509.37 40.568215,140.585937 90.11 ③温川神社
①木柱 ⑥稲荷神社 青森県平川市小和森松村 403533.73 1403354.63 40.592703,140.565175 90.10 ③温川神社
①木柱 ⑦稲荷神社 青森県平川市長田野田 403633.78 1403319.82 40.609382,140.555505 90.11 ③温川神社
①木柱 ⑧八幡宮 青森県南津軽郡田舎館村畑中宮崎56 403813.54 1403244.54 40.637095,140.545706 90.14 ③温川神社
①木柱 ⑨八幡宮 青森県南津軽郡藤崎町常盤五宮本 404003.20 1403233.93 40.667556,140.542757 90.12 ③温川神社
①木柱 ⑩常磐八幡宮 青森県青森市浪岡大字増館宮元109 404053.27 1403248.32 40.681464,140.546756 90.92 ③温川神社
①木柱 ⑪正八幡宮 青森県南津軽郡藤崎町富柳早稲田 404142.88 1403238.23 40.695245,140.543952 89.15 ③温川神社
       内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による     図の神社名に間違いがあり訂正しました2016.4.11
 
ボイント名 住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度経度(10進)
(度)
 祭神  リンク
 ③温川神社 青森県平川市切明71  403049.94  1404725.31   40.51387,140.79036 大山祇命  温川神社 
 図S7 木柱(三内丸山遺跡)と温川神社の驚く幾何学的関係

 図S8にある②三角岳はは三内丸山遺跡の巨大木柱の位置から春分に日の出の見える条件の位置にあります。この頂上位置から周辺の神社を経由した直角線が温川神社に到着した線だけを図示したものです。ここでも、図S7の場合よりも多少直角精度が落ちていますが、偶然では決して起きないような精度で直角線が12本も引けています。前者よりも角度の精度が落ちている理由は、山頂の位置が点ではなくある程度の広さがあり、見る方向によってもその位置が異なることが原因ではないかと考えています。それにしても、一般の人たちが常識的に考えている古代人の能力をはるかに超えていたことは明らかで、伊能忠敬でもできなかった能力を持っていたことになります。

 
出発点
(図S3参照)
経由点 経由点住所 緯度(度・分・秒)
経度(度・分・秒)
緯度経度(10進)(度)
内角(度)
到達点
②三角岳 ⑬中野神社 青森県黒石市南中野不動舘27 403638.51 1404055.91 40.610698,140.682196 90.37 ③温川神社
②三角岳 ⑭稲荷神社 青森県青森市大谷山ノ内 404442.87 1404203.98 40.745240,140.701106 89.70 ③温川神社
②三角岳 ⑮神教大教文甲斐大神 青森県青森市高田朝日山 404513.26 1404222.38 40.753684,140.706216 89.23 ③温川神社
②三角岳 ⑯熊野宮 青森県青森市高田川瀬419 404548.99 1404313.05 40.763607,140.720292 90.15 ③温川神社
②三角岳 ⑰八幡宮 青森県青森市金浜稲田 404646.71 1404415.46 40.779640,140.737627 89.65 ③温川神社
②三角岳 ⑱大星神社 青森県青森市問屋町1丁目18 404724.91 1404516.60 40.790253,140.754611 89.74 ③温川神社
②三角岳 ⑲稲荷神社 青森県青森市筒井(大字)八ツ橋116-3 404755.37 1404632.50 40.798713,140.775695 90.56 ③温川神社
②三角岳 ⑳加茂神社 青森県青森市田屋敷下り松15 404818.99 1404726.22 40.805275,140.790616 90.46 ③温川神社
②三角岳 ㉑戸崎宮井不詳神社 青森県青森市戸崎宮井 404847.30 1404846.71 40.813138,140.812976 90.22 ③温川神社
②三角岳 ㉒久須志神社 青森県青森市築木館岩瀬 404914.84 1405043.66 40.820789,140.845460 89.74 ③温川神社
②三角岳 ㉓大山祇神社 青森県青森市滝沢小川平 404925.99 1405339.03 40.823887,140.894174 89.24 ③温川神社
         内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S8 三角岳(三内丸山遺跡から春分に日の出が見える)と温川神社の驚く幾何学的関係

 この図で注目することは、⑱の大星神社です。この神社は「津軽の北斗七星「大星神社1」や「津軽の北斗七星伝説の7神社を参拝」などにある津軽の北斗七星伝説の一つに入っていることです。⑱大星神社が偶然にしてこのような直角精度にある大雑把な確率は1/400です。もし縄文時代からこの位置が決まっていたとすると、伝説そのものが怪しいことになります。さて、日本一博識とされている荒俣宏氏はどのようにお考えでしょうか?

 「温川神社のように誰も知らないような神社がHSCPでは重要な神社の位置になってしまうのは、HSCPの限界が見えたと喜んでいる人が多いようです。そうですね、HSCPが成立したら困る人たちがたくさんいるのです。何の証拠もないものを常識と通用するようにしてきた多くの人達です。一方、こっくりさんと似たような結果の出る一般的なレイラインの手法で大衆を陥れている人たちも、同じように考えているに違いありません。

  「倭国乱れる」と書かれる以前の日本の姿は文書が全くないので、考古学者しか語ることのできない範疇です。本来は歴史学者の出番ではないにもかかわらず、良く知っているようなことを言ってきた人たちや、それをいいことにして、勝手な線を引いてもっともらしいことを言い続けてきた人たちです。HSCPによって、その人たちの言い分がでたらめであったことが次々と暴かれて行きます。

 ここで、レイラインの手法を未だに主張している人達は、温川神社は昭和期にできたものであるとして笑っているでしょう。しかし、考えて見てください。レイラインのいいかげんなことは、ここでも現れるのです。一般的なレイラインの手法では温川神社のような知られていないポイントを見つけるけることができない最大の欠点があります。レイラインの手法では、自分の念じたポイントをあらかじめ決めていないと何も線を引くことができないのです。こっくりさんと同じですね。昭和期に作られ、しかもほとんど知られていない温川神社の位置が、古代は重要であったことは後に明確になります。そのときは、温川神社が出てきたことを笑っていた人たちはどん底に突き落とされるでしょう。」 
 赤字の「」内 2016.4.22追記

 図S9は上記2つの図を合わせて同一地図に示したものです。春分の日の出が見える点①と、日の出が出る点②の2つの異なる点から出た直角線が③の温川神社に収斂する、実に不思議な図です。芸術センスの全く無い管理人のたわ言ですが、
この図を利用してオブジェができそうです。神社の発祥や古代人のすばらしい能力などを思い馳せる素敵なオブジェになれば幸いです。利益の一部を温川神社の整備の足しに利用していただけるならこの上ない喜びです。ここでは図の表示のみで次に進みます。

 
 図S9  図S7、図S8を同時に示した図 
 
(①は春分に日の出が見える点、②は日の出が出る点)
①、②それぞれの点から出た線が屈曲点で直角に曲がっているが、屈曲点から更に直線で延長した線の先には必ず何らかのピークがある


2016.4.6記
  
  未だにHSCPに疑いを持っている人たちは図S7を見て、「古代人が0.2度以下の精度で10km以上の線が引けるなどとんでもない、図は数多くある神社を念入りに検討して、作為的に作ったもので、決して古代人の能力を示すものではない。それが証拠に、古代人が、計画的に神社を配置したとしたら、例えば図S9にある図で①、②、③から出る角度に何か統一したものがあるはずであるが、その角度はバラバラで何の統一性もないではないか?」と言う人もいます。

 確かに、それぞれの点から出る角度には何の規則もありません、計画的に神社を配置するなら、その角度に一定の規則を持たせるなどのことは可能だったかも知れません。しかし、その疑いに対する答えは簡単です。実は、これまで一度も書いたことのない驚く事実があるのです。これまで省略してきましたが、例えば、図S9①と②それそれぞれの点から出発し、行き当たった神社から直角に曲がり③に達しています。ここに、さらにダメ押しのような仕掛けがあるのです。
先の例で、行き当たった神社を曲がらずにさらに真っ直ぐに線を引くと、必ず何らかのピーク点に達するのです。直角の屈曲点はそのような規則にある位置に配置されているので、どうしても線の間隔は自然地形に左右されてしまい、ばらばらの角度になるのです。

 この答えに対して、再び懐疑的な人たちは「地球上には凹凸はたくさんあり、神社の数と比較すると桁違いに数が多いので、それは偶然であって、決して古代人が計画的にしたものではない。」と言うに違いありません。そのような疑いを晴らす最適な実例を次に示します。図S10で、①を出た線は⑥、⑤で直角に曲がり③に到着しています。(図S7参照)、ここで①から⑥、⑤に到着した線(橙色)をそのまま延長するとそれぞれ㉖三ツ嶽(539.3m)、㉕266.7mのピーク点に到達しています。一方、②を出発した線はそれぞれ⑬、⑫で直角に曲がり③に到達しています。(図S8参照)、ここで、②から⑬、②から⑫それぞれに引いた延長線(桃色)は㉖と㉕のピーク点に到着しています。

 

 

 
ボイント名 住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度経度(10進)
(度)
 
㉖ 三ツ嶽539.3m 青森県大鰐町大字居土 402952.31  1403026.24  40.497863,140.507289 三等三角点(芋ケ平) 
㉕266.7mPeak 青森県大鰐町大字大鰐 403138.99  1403402.92  40.527497,140.567477 三等三角点(北山) 
 注;③592.6mPeakは釜岡と呼ばれる三等三角点です 
   図S10 神社群中心から直角の屈曲点を結んだ延長線(橙色、桃色)上に必ず何らかのピークがある
(ポイント番号は図S7、S8と共通)
(①、②それぞれの神社群中心から屈曲点に引いた延長線が㉖、㉕で重なった例)

 
  言い換えると、①から直角の屈曲点⑥、⑤に達した線(橙色)の延長線はそれぞれ㉖、㉕のピークに行き当たっています。一方②から直角の屈曲点⑬、⑫に達した線の延長線(桃色)はそれぞれ㉖、㉕のピークに行き当たっています。図S10は、屈曲点を通った延長線の上に必ず何らかのピークがあることを示すとともに、このピークが①を出た延長線と②を出た延長線が共通になった特別の例を示しました。この特例からも見られるように、①を出た線も②を出た線も、同じ理屈の上にあるピークに行き当たっています。このようなことが偶然にあることは極めて稀であり、やはりこの神社の配列は計画的に成されているとしか考えられません。また、①、②から出た線が互いの角度がばらばらになっている理由も納得できたでしょう。㉕の266.7mのピーク、㉖の三ツ嶽539.3mはどちらも三等三角点です。現在も使われている三角点がすでに縄文時代にも基準点として使われていたことは本当に驚きです。

 2016.5.11記

  図S10で266.7mのピークが①木柱、②三角岳、③温川神社と互いに関係する特異な幾何学的位置にあることがわかりました。驚くことに図S11に示すように、やはり三等三角点の592.6mのピークが①木柱位置から引いた直角線(精度±1゜)の収斂する特異な位置であることがわかりました。ここまでくると、このような結果を「偶然にしか過ぎないとか、恣意的な作図に過ぎない」と高を括っていた人たちも、そろそろ考えを改めないといけない状況に追い込まれてくるに違いありません。592.6mのピークは三等三角点として国土地理院の点名としては「和利沢」とされているポイントで炭塚森の西方約850mにあります。もちろん、この点は神社群中心の特性も持ち、構造化するHSCP線の重要なポイントとなって行きます。

 

 
 
出発点
(図S3参照)
経由点 経由点住所 緯度
(度・分・秒)

経度
(度・分・秒)

緯度経度
(10進)(度)

内角
(度)

到達点
①木柱 ④稲荷神社 青森県青森市筒井(大字)八ツ橋116-3 404755.37 1404632.51 40.798713,140.775696 90.45 ③592.6mPeak
①木柱 ⑤白蛇神社 青森県弘前市坂元山下 403306.51 1402550.08 40.551808,140.430577 90.08 ③592.6mPeak
①木柱 ⑥白山姫神社 青森県弘前市下湯口青柳62 403515.33 1402502.01 40.587591,140.417225 89.39 ③592.6mPeak
①木柱 八幡宮 青森県弘前市鳥井野宮本4 403538.27 1402501.52 40.593964,140.417089 89.56 ③592.6mPeak
①木柱 八幡宮 青森県弘前市龍ノ口村元124 403543.79 1402512.17 40.595497,140.420047 90.24 ③592.6mPeak
①木柱 ⑨保食神社 青森県弘前市鳥井野長田 403553.73 1402451.62 40.598257,140.414338 89.06 ③592.6mPeak
①木柱 ⑩二本木八幡宮 青森県弘前市一町田石田 403623.04 1402518.16 40.606400,140.421710 90.78 ③592.6mPeak
①木柱 ⑪不動明王尊 青森県弘前市兼平猿沢 403633.83 1402450.25 40.609396,140.413957 89.11 ③592.6mPeak
①木柱 ⑫保食神社 青森県弘前市鼻和平岡 403759.03 1402504.70 40.633065,140.417972 89.68 ③592.6mPeak
①木柱 ⑬香取神社 青森県弘前市富栄平岡 403820.71 1402502.02 40.639085,140.417228 89.31 ③592.6mPeak
①木柱 ⑭加茂神社 青森県弘前市高杉山下131 403943.75 1402522.83 40.662151,140.423008 89.29 ③592.6mPeak
①木柱 八幡宮 青森県弘前市高杉長谷野120 404000.96 1402524.57 40.666932,140.423492 89.03 ③592.6mPeak
①木柱 ⑯熊野宮 青森県弘前市種市熊谷4 404149.15 1402622.29 40.696985,140.439524 89.32 ③592.6mPeak
①木柱 ⑰稲荷神社 青森県北津軽郡板柳町野中若松69 404320.74 1402734.83 40.722428,140.459675 89.63 ③592.6mPeak
①木柱 八幡宮 青森県北津軽郡板柳町牡丹森鴨泊25 404439.38 1402913.41 40.744271,140.487059 90.78 ③592.6mPeak
①木柱 八幡宮 青森県北津軽郡鶴田町瀬良沢村井165 404457.71 1402924.96 40.749363,140.490268 90.18 ③592.6mPeak
①木柱 ⑳久須志神社 青森県青森市戸門山部 404838.00 1403834.13 40.810556,140.642814 89.72 ③592.6mPeak
        内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
ボイント名 住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度経度(10進)
(度)
 
①木柱(三内丸山遺跡) 青森県青森市山内丸山 404843.82  1404148.35 40.812170,140.696760 木柱列の中心位置 
③592.6mPeak 秋田県大館市雪沢 402441.47  1403957.76 40.411520,140.666040 三等三角点(和利沢)、炭塚森西方約850m 
注;③592.6mPeakは釜岡と呼ばれる三等三角点です 
 図S11 木柱(三内丸山遺跡)と592.6mピークの驚く幾何学的関係

注:くどくなってしまいますが、図S11でも八幡宮が6社も出てきます。ここでも、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著,幻冬舎新書にある「八幡は外来,韓国の神だった!」とする記載が何の根拠もないことがさらに良くわかるはずです。縄文遺跡の位置を意識して配置された八幡宮がなぜ韓国の神なのでしょう?。

2016.4.16 記
 
 次は三内丸山遺跡から見て春分に日の出の出る山②三角岳から③592.6mピークに直角線がどのように引けるかを示したものが図S12です。この場合は何と23本もの直角線(精度±1゜以内)を引くことができます。特に㊳の柳久保神社の場合は、ほぼ完全な直角になっていて、この一つを取っても、このような精度で神社が偶然に配置される大雑把な確率は1/10000となっていて、偶然では滅多に起き得ない事象です。

 また、②三角岳-㉗高森山-③592.6mピークの三点を結んだ内角は90.07゜となっています。ここでは①、②、③はすべて山岳の頂上の位置で自然に決まっているものです。したがって三内丸山遺跡の木柱の位置はこのように、三つの山の頂上を結んだ角度が正確な直角に配置されていて、しかも三内丸山遺跡から見て、その一つの頂上(三角岳)から春分の日の出が見えるとした極めて特異な位置にあることになります。
古代人がこのような特異な位置をわざわざ選んでいたとしたら、それはすばらしい能力と、きわめて特異なこだわりを持っていたことになります。

 

 
 
出発点(図S3参照)
経由点 経由点住所 緯度(度・分・秒)
経度(度・分・秒)
緯度経度(10進)(度)
内角(度)
到達点
②三角岳 ㉑天馬不詳神社 青森県上北郡七戸町 404639.89 1410144.296 40.777748,141.028971 90.44 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉒銀南木不詳神社 青森県上北郡七戸町銀南木 404312.92 1410513.376 40.720256,141.087050 90.44 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉓太子山神社 青森県上北郡七戸町鶴児平 404251.26 1410536.528 40.714238,141.093481 89.70 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉔左組不詳神社 青森県上北郡七戸町左組65-27 404204.84 1410606.012 40.701345,141.101671 89.66 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉕薬王殿 青森県上北郡七戸町山屋 404122.36 1410629.408 40.689545,141.108170 89.60 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉖別曽不詳神社 青森県上北郡七戸町別曽 404013.10 1410703.270 40.670305,141.117576 89.29 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉗高森山231.6m 青森県十和田市大字深持 403648.35 1410731.066 40.613430,141.125297 90.07 ③592.6mPeak 二等三角点、長塚
②三角岳 ㉘田茂木野明神社 青森県十和田市大字奥瀬 403457.99 1410710.175 40.582774,141.119493 90.87 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉙大雷神社 秋田県鹿角郡小坂町小坂栃川原108 402309.43 1404428.561 40.385953,140.741268 89.38 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉚久須志神社 青森県南津軽郡大鰐町島田ゾベコ沢54 402823.04 1403437.492 40.473067,140.577082 89.58 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉛出雲大社石川教会 青森県弘前市石川長者森33-2 403315.91 1403137.114 40.554419,140.526977 89.59 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉜熊野宮 青森県弘前市堀越柏田243 403420.68 1403117.792 40.572411,140.521609 89.47 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉝熊野神社 青森県弘前市川合浅田81 403452.73 1403120.284 40.581314,140.522301 90.05 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉞三社神社 青森県平川市日沼高田89 403705.77 1403116.536 40.618270,140.521261 90.25 ③592.6mPeak
②三角岳 ㉟八幡宮 青森県南津軽郡藤崎町水木浅田100-6 404035.14 1403214.831 40.676427,140.537454 90.85 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊱熊野宮 青森県南津軽郡藤崎町水木古舘15付近 404049.17 1403204.024 40.680325,140.534452 89.98 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊲稲荷神社 青森県南津軽郡藤崎町福舘前田33 404206.12 1403231.369 40.701699,140.542047 89.45 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊳柳久保神社 青森県青森市浪岡大字大釈迦山田 404536.56 1403536.784 40.760156,140.593552 89.99 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊴保食神社 青森県青森市鶴ケ坂山本 404706.04 1403746.909 40.785010,140.629698 90.40 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊵八幡宮 青森県青森市三内沢部209 404912.13 1404205.587 40.820035,140.701552 90.15 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊶川上神社 青森県青森市富田2丁目3-32 404936.83 1404258.734 40.826896,140.716316 89.48 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊷稲荷神社 青森県青森市原別5丁目7 405023.98 1404824.750 40.839994,140.806875 89.78 ③592.6mPeak
②三角岳 ㊸八幡神社 青森県青森市宮田山下1 405014.76 1405037.925 40.837433,140.843869 90.98 ③592.6mPeak
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による       
ボイント名 住所 緯度
(度・分・秒)
経度
(度・分・秒)
緯度経度(10進)
(度)
 
②三角岳 青森県東津軽郡平内町 404822.26  1405849.49 40.806180,140.980410  
③592.6mPeak 秋田県大館市雪沢 402441.47  1403957.76 40.411520,140.666040 三等三角点(和利沢)、炭塚森西方約850m 
 
  図S12 三角岳と592.6mピークの驚く幾何学的関係


2016.4.17記

  これまで、三内丸山遺跡の木柱の位置と、そこから春分に日の出の見える三角岳を由来とするポイントから出た線が収斂するポイントを上げてきました。ほかにもまだ収斂するポイントがありますが、その前に、掲示板のスレッド165で書いたキリストの墓(図S4の⑭)と諏訪神社(図S5の②、図S6の⑮)の関係について説明いたします。図S13は①キリストの墓を出た直角が⑭諏訪神社に到着する様子を示したものです。

  ここでも直角線の直角精度を±1度以内とすると、図S13の表にあるように、5本の直角線を引くことができます。この図では同時に周辺にある神社を淡色の赤丸で示してあります。ここに上げた神社は国土地理院の地図に表示された神社のすべてを表示してあり、その神社の数は70社ほどになっています。また、表の「概略出現確率」は、もし神社の分布が何の規則もなくランダムに分布している場合に表にある内角の直角精度で出現する大雑把な確率を表しています。

 例えば、③扇ノ沢不詳神社の場合は内角が89.76゜(0.24度の誤差)で、この出現確率は1/400となっています。この意味は、①と②の周辺にランダムに400個神社を配置すると、ようやく±0.24度以内の誤差を持つ直角線が偶然に1本引けるとする意味を持っています。言い換えると、直角精度の高い⑤同心不詳神社の場合は2800社も神社を配置しないと、偶然にこのような直角精度を持つ事象が起きないとする意味を持っています。

 ここでは、神社の総数は70社ほどなので、ここにある神社が何の規則性も持たずにランダムに分布しているとすると、偶然にして表のような直角精度の事象が起きることは、ほとんどないことを意味しています。それにもかかわらず、5本もの精度の高い直角線が引けることは、この神社配置がランダムではなく、きわめて計画的に成されていると考えざるを得ないことになるのです。

 言い換えると、
「日本は神社の数が多いので、丁寧に神社を選べばそのような神社は偶然に見つかるはずだ」とする文学的な表現は間違いであり、「また、作為的に線を引けばそのような線は簡単に引けるに違いない」と考えることも、科学的な根拠の全く無い判断でしかないことも理解できるでしょう。

 

 
 
出発点 経由点 経由点住所 緯度
(度・分・秒)

経度
(度・分・秒)

緯度経度(10進)
(度)

内角
(度)

到達点 概略
出現確率
①キリストの墓 ③扇ノ沢不詳神社 青森県三戸郡新郷村戸来扇ノ沢8 402839.50 1410959.09 40.477639,141.166414 89.76 ②諏訪神社 1/400
①キリストの墓 ④戸来不詳神社 青森県新郷村大字戸来 402859.34 1411028.80 40.483150,141.174669 90.39 ②諏訪神社 1/250
①キリストの墓 ⑤同心不詳神社 青森県三戸郡三戸町同心 402232.79 1411508.43 40.375775,141.252341 90.04 ②諏訪神社 1/2800
①キリストの墓 ⑥南一ノ渡不詳神社 青森県三戸郡三戸町貝守南一ノ渡 402241.46 1411139.97 40.378182,141.194436 90.43 ②諏訪神社 1/230
①キリストの墓 ⑦蛇沼不詳神社 青森県三戸郡三戸町蛇沼北清座久保 402336.86 1410957.82 40.393574,141.166063 90.29 ②諏訪神社 1/340
       内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による  
  住所   緯度 経度 10進
①キリストの墓  青森県三戸郡新郷村大字戸来  402713.96 1410854.96 40.453879,141.148599 地理院地図、墓マークの位置
②諏訪神社  青森県三戸郡南部町玉掛諏訪ノ平49  402459.04 1411817.58 40.416400,141.304885  
 
 図S13 ①キリストの墓と②諏訪神社を結ぶ5本の直角線と周辺の神社の分布(淡色赤丸で示す)


  図S4の⑭で示した直角線の収斂点であるキリストの墓と図S5の②、図S6の⑮に示した直角線の収斂点となった諏訪神社の位置は、決して偶然では得られない計画的な神社配置によって決まった収斂点です。この2つの収斂点の間に、図S13に示したように、決して偶然では得られない直角線が再び引けることは本当に不思議なことです。これまで、考えられていた古代人の様子からは決して考えられなかった事実がここにあるのです。しかも、この事実は地図さえあれば、だれでも確かめることができ、同じ結果が得られます。

 今後、図S13に淡色赤丸で示していて、まだ線の入っていない残りの神社も、①キリストの墓と②諏訪神社が神社群中心の特性を持つので、表示された残りの神社のすべてがHSCP線の一部を担う点となり、
さらに派生してくる神社群中心や古富士線による干字状パターンも加わり、次第に構造化したHSCP線が姿を現してきます。

2016.4.18記

 これまでキリストの墓と諏訪神社との強い幾何学的な相関を示しました。諏訪神社の位置はすでに三内丸山遺跡の巨大木柱の位置と、ここからちょうど春分に日の出を望むことができる三角岳に引いた線分と特異的な幾何学的関係があることをすでに説明しています。したがって、キリストの墓の位置は三内丸山遺跡の巨大木柱の位置と三角岳の位置によって左右されていることになります。

 「キリストの墓」は皇祖皇太神宮天津教(皇祖皇太神宮は茨城県北茨城市にある)を興した竹内巨麿が竹内文書を元にして青森県の戸来村(現在の新郷村)で発見した十来塚が「イスキリス・クリスマス」の墓であるとしたものです。以来、この塚はキリストの墓と呼ばれるようになりました。

 この墓がキリストの墓であるとする根拠は、

 1.その墓がある住所「戸来」は古代イスラエルの意味を持つヘブライから来ている。
 2.当地に意味不明として伝わっている「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」の祭り唄が古代イスラエルの神ヤハウエをたたえるヘブライ語である。
 3.戸来の旧家に伝わる家紋の桔梗紋がユダヤのシンボルである五角形の六芒星・ダビデの星と酷似している。
 4.戸来村では子供の頃、額に健康祈願として黒の十字を書く風習があった。

 などがあります。これらの事実は、日ユ同祖論である日本人とユダヤ人(古代イスラエル人)が共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説の重要な部分を占めています。

 しかし、とても残念なことですが、現在知られているキリストの没年は紀元30年または33年とされています。これまで説明したように、キリストの墓の位置は明らかに三内丸山遺跡の巨大木柱の位置と、三角岳の位置に影響を受けて決められています。したがって、キリストの墓の位置が決定されたのは、縄文時代中期から末の紀元前3000年から紀元前2,200年頃、どんなに遅くみても、巨大木柱が地上から姿を消すと考えられる年数の数百年後としても、キリストの没年よりもはるかに古い時代であることになります。
 
 ただし、先にあげた十来塚がキリストの墓であるとする根拠は、座視できない内容を含んでいます。縄文時代に決められたと考えられる、神社の配列は想像をはるかに超える精度で配置されているのは間違いないのです。縄文時代に優れた文化を持った人たちがイスラエル(現在地名)から渡来して神社や遺跡の位置を決定し、その内容が本国(イスラエル、現在地名)にも伝わっていたとすると、この時代のずれの説明がつくような気がしますが、まだそれを説明することはできません。

 とりあえず、この件については棚上げし、次の説明の黒又山に移ります。黒又山も東北のミステリーゾーンとして知られていて、多くの人達がその謎に挑戦してきました。その一部はクロマンタ(黒又山)関連事項最新情報
に書かれています。ここでは黒又山の位置についてHSCPで検討して見ます。先のリンクにも書かれているように、黒又山の頂上には現在も神社がありますがその位置については先の最新情報にある「消えた黒又山山頂部」の項にも書かれていて、旧来の位置に神社があるかどうかも明確ではありません。ここでは、まず黒又山の位置を国土地理院の地図で「黒又山」をキーにして検索した結果として表示された位置の北緯40度17分0.91秒 、東経140度49分17.43秒を仮に置いて説明をします。(黒又山付近にある真の神社群中心の位置については後に説明をする予定です。)

 
 
番号 ボイント名 住所 緯度 経度 緯度経度(10進)(度) 内角 概略出現確率
(度・分・秒) (度・分・秒) クリックで地図へリンク (度)
巨大木柱 青森県青森市山内丸山 404843.81 1404148.30 40.81217,140.69675 - -
月日山不詳神社 青森県十和田市大字滝沢 403006.24 1410605.43 40.50173,141.10151 90.78 1/130
大石神ピラミッド
青森県三戸郡新郷村戸来雨池11 402638.07 1410448.32 40.44391, 141.0800 90.65 1/150
大石神不詳神社 青森県新郷村大字戸来 402630.74 1410448.43 40.44187,141.08012 90.44 1/230
黒又山 秋田県鹿角市十和田大湯黒又 401700.91 1404917.43 40.28359,140.82150 - -
山神社 秋田県大館市釈迦内二ツ森 401909.08 1403433.15 40.31919,140.57588 90.09 1/1200
妙見神社 秋田県大館市花岡町長森 402003.80 1403255.82 40.33439,140.54884 90.35 1/300
石戸神社 青森県弘前市湯口一ノ安田7 403523.65 1402445.40 40.58990,140.41261 90.18 1/560
馬頭観音 青森県弘前市鳥井野長田 403553.71 1402451.65 40.59825,140.41435 90.15 1/650
高増神社 青森県北津軽郡板柳町大俵和田423-1 404306.98 1402918.19 40.71861,140.48839 90.22 1/460
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による 、大石神ピラミッドの位置はGoogleMapの値
 図S14 巨大木柱(三内丸山遺跡)と黒又山を結ぶ直角線


 
 神社(国土地理院電子国土に記載されたすべての神社)を赤丸で表す。赤丸の直径は250m(実距離)
  図S15 巨大木柱(三内丸山遺跡)と黒又山を結ぶ直角線とその周辺の神社の分布

2016.7.1 記

 「日本は神社が多いから直角に引いた線を伸ばせば必ず何らかの神社に行き当たるのは当たり前だ」と考えている、常識から抜けられない人たちのために図S14に添付した表と図S15を用意しました。図S14では、もし神社がランダムに分布している場合、偶然にしてその内角を持つ神社が出現する大雑把な確率を概略出現確率として示しました。また図S15では、それぞれの直角線の周辺にある神社の分布を示したものです。その分布状況と存在確率を合わせて考えれば、図S15に示した直角線が偶然に起きることが極めてまれにしかないことを理解していただけるでしょう。

 図では、見やすくする目的で神社を示す丸印のマークの直径を250mと大きくとってあります。このため、神社が混んで見える部分もありますが、この250mの直径は1%の内角精度を勘案して見ると、とてつもなく大きい値になります。
 
 図S15で注目する直角の屈曲点として③の大石神ピラミッドが入っていることです。図S15を見てわかるように、この付近は神社の分布が極めて希薄で、偶然にして直角線が引けることは極めて稀であります。巨大木柱は人工物ですが、その位置は、春分の日に三角岳から日の出の見える特異点であり、人間がコントロールすることのできない自然物の動きや位置で決まっているものです。さらに、大石神ピラミッドと黒又山も自然物とすると、この三つの自然物を結んだ線が偶然にして正確な直角になることは極めて稀な事象になります。ここで、黒又山または大石神ピラミッドが自然物ではなく、そのどれかを計画的に配置した人工物であるとする考えも生まれます。どう考えても実にに不思議なことです。

 さらに注目することは、図S15⑥の山神社です。この位置の内角は90.09゜と極めて正確な直角で、まるで神がその位置を決めたのではないかと考えたいほど正確な位置にあります。さらに、この神社の直近の位置に黒鉱を産出する釈迦内鉱山があります。ここで釈迦内鉱山は1961年に発見された新しい鉱山で、時代的に無関係と考える人も多いでしょう。しかし、山師の間では、「どんなに深い山で発見した鉱山でも、必ず誰かがすでに掘った跡がある」と言うことは良く知られていることです。
いつの時代かわからない昔に、日本の多くの鉱山がすでに何者かによって掘られていたことはまぎれもないのです。この件についてはまた後に論ずることにして、ここでは棚上げします。ここには、「縄文遺跡からなぜ全く金製品が発見されないか?」とする謎を解く鍵が隠されていると考えています、もちろん神社の位置もこの問題に大きく関係してきます。

2016.7.2 記

 図S15を見て、HSCPに懐疑的な人たちは、たった7本の直角線など何も驚くことはないと考える人もいるかも知れません。その考えは学問である数学を無視した非科学的な考えに過ぎませんが、念のために図S16を示します。図S16は、巨大木柱から望むと春分に頂上から日の出が出る三角山から黒又山に引ける直角線を示したものです。ここでは何と45本もの正確な直角線(±1度以内)が引けることがわかります。表の内角を赤字で示したように、この直角精度を上げて±0.2度以内としても13本もの直角線が引けることがわかります。

 ここでも、「日本は神社が多いので直角に引いた線を伸ばせば、必ず何らかの神社に行き当たるのはあたり前だ」とする誤った感覚だけで物事を判断していた人たちも驚くに違いありません。ここでは「何らかの神社ではなく」「全く同じ神社」に直角線が収斂しているのです。それでもまだ、こんなのは当たり前だと考える人は、三角岳と黒又山のような幾何学的特性を持つ2つのポイントをぜひ探して見てください。試行錯誤でそのような二つのポイントを探しても、おそらく一生かかってもそのような点を見つけることは不可能でしょう。

 ここで、黒又山を選んだ理由は、黒又山がミステリーゾーンとして知られているからではありません。いきなり、たくさんのHSCP線を書くと逆に理解を妨げるのでその過程を省略していますが、巨大木柱または三角岳を神社群中心として地道に正確なHSCP線を引くと、次第にいくつかの収斂点が現れ、HSCP線が構化されて行くこことがわかります。

 
途中を省略していますが、先に説明したキリストの墓、温川神社、諏訪神社、592.6mピークなどの点は巨大木柱と三角岳から丁寧にHSCP線を引いた結果で得られた神社群中心であり、レイラインの手法で使われている「山を掛けるいい加減な方法」で先にポイントを決めたのではなく、地道にHSCP線を引き、それを積み重ねて行って初めて得られたポイントなのです。


 
 
番号 ボイント名 住所 緯度 経度 緯度経度(10進) 内角 概略出現確率
 クリックして地図へリンク
 ①  巨大木柱 青森県青森市山内丸山 404843.81 1404148.30 40.812170,140.696700    
 ②  三角岳 秋田県鹿角市十和田大湯黒又 401700.91 1404917.43 40.806180,140.980410    
11 手代森不詳神社 青森県上北郡七戸町手代森26付近 404354.94 1410915.33 40.731927,141.154259 89.74 1/400
12 新舘神社 青森県上北郡東北町新舘籠332 404159.31 1411117.53 40.699808,141.188203 89.97 1/4400
13 新舘不詳神社 青森県上北郡東北町新舘八幡3付近 404157.48 1411115.40 40.69930,141.1876100 90.18 1/550
14 天照皇太神宮 青森県上北郡東北町新舘松原46-17 404157.26 1411101.84 40.699239,141.183844 90.96 1/100
15 葛乃葉神社 青森県十和田市大沢田李平17付近 404035.42 1411237.28 40.676505,141.210355 89.43 1/170
16 正一位稲荷大神 青森県十和田市大沢田大沢田25付近 404027.58 1411225.61 40.674328,141.207114 90.35 1/300
17 大沢田神明宮 十和田市大沢田大沢田5付近 404023.89 1411223.31 40.673304,141.206474 90.62 1/160
18 法量大権現 青森県十和田市大沢田前田6付近 404016.80 1411225.11 40.671334,141.206975 90.79 1/130
19 大池神社 青森県三戸郡五戸町 403534.26 1411431.58 40.592850,141.242105 90.81 1/120
20 種原天満宮 青森県十和田市米田種原87付近 403235.38 1411448.67 40.543160,141.246853 90.91 1/110
21 山中不詳神社 青森県十和田市米田山中16付近 403219.05 1411512.56 40.538624,141.253490 89.78 1/500
22 倉石不詳神社 青森県五戸町大字倉石中市 403002.33 1411448.09 40.500648,141.246692 90.10 1/1000
23 水上不詳神社 青森県五戸町大字倉石中市 402914.37 1411440.25 40.487326,141.244515 89.91 1/1000
24 中鶴間不詳神社 青森県三戸郡新郷村西越中鶴間48-4付近 402528.62 1411251.58 40.424618,141.214329 90.05 1/2000
25 蛇沼不詳神社 青森県三戸郡三戸町蛇沼下川原48付近 402358.07 1411135.06 40.399465,141.193073 90.39 1/250
26 蛇沼本村不詳神社 青森県三戸郡三戸町蛇沼本村 402347.04 1411116.86 40.396401,141.188017 90.75 1/130
27 駒形神社 青森県三戸郡三戸町貝守戸田沢向 402257.37 1411024.99 40.382603,141.173608 90.95 1/100
28 田子不詳神社 青森県三戸郡田子町田子 402141.98 1410859.69 40.361661,141.149914 90.99 1/100
29 不動明王 青森県三戸郡田子町 402042.35 1410820.81 40.345097,141.139113 89.44 1/180
30 鎌久保不詳神社 青森県三戸郡田子町相米鎌久保112付近 402034.37 1410745.43 40.342880,141.129287 90.31 1/300
31 大神宮 青森県三戸郡田子町相米明土 401959.13 1410714.08 40.333092,141.120579 89.42 1/170
32 上米不詳神社 青森県三戸郡田子町相米上相米 401936.81 1410616.50 40.326890,141.104583 90.07 1/1400
33 内ノ沢不詳神社 青森県三戸郡田子町相米内ノ沢 401906.17 1410525.75 40.318381,141.090487 89.77 1/500
34 甲地不詳神社 青森県三戸郡田子町相米甲地31 401848.93 1410445.39 40.313592,141.079275 89.89 1/900
35 羽保屋大神 秋田県大館市雪沢 402028.38 1404031.35 40.341216,140.675375 90.73 1/140
36 陣馬不詳神社 秋田県大館市長走陣場211 402404.48 1403629.81 40.401243,140.608282 90.84 1/120
37 白山神社 青森県大鰐町大字虹貝 403004.40 1403328.28 40.501221,140.557855 90.70 1/140
38 貴船神社 青森県南津軽郡大鰐町三ツ目内小谷 403128.56 1403240.34 40.524599,140.544538 89.06 1/100
39 守山神社 青森県南津軽郡大鰐町森山東館51付近 403213.53 1403249.94 40.537091,140.547206 89.66 1/300
40 天照皇大神宮 青森県平川市岩館下り松 403334.06 1403242.99 40.559461,140.545277 89.30 1/150
41 闇龍神社 青森県平川市石郷村元 403428.45 1403304.57 40.574569,140.551270 90.03 1/3400
42 八坂神社 青森県平川市本町富岡67 403511.95 1403318.41 40.586652,140.555115 90.31 1/300
43 保食神社 青森県平川市大光寺四滝本62 403539.43 1403315.35 40.594286,140.554263 89.90 1/1000
44 正一位稲荷神社 青森県平川市長田野田 403633.77 1403319.82 40.609380,140.555506 89.42 1/170
45 胸肩神社 青森県平川市猿賀池上 403659.36 1403351.38 40.616490,140.564271 90.42 1/240
46 猿賀神社 青森県平川市猿賀石林175 403700.04 1403346.67 40.616677,140.562963 90.20 1/500
47 神明宮 青森県南津軽郡田舎館村垂柳福岡17付近 403814.11 1403350.79 40.637252,140.564109 89.05 1/100
48 神明宮 青森県南津軽郡田舎館村高樋宮本1 403815.52 1403416.23 40.637644,140.571176 90.11 1/1000
49 八幡宮 青森県黒石市東馬場尻馬場尻1 404030.38 1403523.34 40.675104,140.589816 89.54 1/200
50 稲荷神社 青森県黒石市飛内宮岸 404046.77 1403555.78 40.679659,140.598828 90.37 1/250
51 稲荷神社 青森県青森市浪岡大字吉内山下37 404206.88 1403649.89 40.701911,140.613858 89.81 1/500
52 日野不詳神社 青森県青森市高田日野 404618.27 1404300.56 40.771741,140.716823 90.51 1/200
53 稲荷神社 青森県青森市荒川品川121-1 404638.78 1404330.08 40.777438,140.725021 90.00 1/240000
54 大星神社 青森県青森市問屋町1丁目18 404724.92 1404516.61 40.790257,140.754615 89.60 1/250
55 八幡宮 青森県青森市駒込見吉156-1 404753.55 1404728.44 40.798207,140.791233 90.66 1/150
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 注;11,13番の神社は現存しているが、国土地理院の地図から抜けている。内角の赤文字は±0.2°以内の精度
 図S16 三角岳(巨大木柱から望んで春分に日の出が出る位置)と黒又山を結ぶ直角線

 図S17は、三角岳-黒又山に引いた直角線とその周辺の神社の分布を示したものです。神社の分布の正確な図も見たこともないくせに、「日本は神社が多いので線を引けば必ず何らかの神社に行き当たるのはあたり前だ」などといい加減なことを言い続けている人達はぜひ見ていただきたい図です。ここでは、「何らかの神社」ではなく、全く同じポイントに正確な直角で到達しているのです。

 図S16の表にある「概略出現確率」は、もし神社がランダムに配置していると考えた時、任意の神社に引いた線の作る内角が所定の直角精度になる大雑把な確率を表示しています。
この確率は単に直角線の引ける確率であり、この直角線が同じポイントに収斂する条件を入れると、その確率はさらに桁違いに低くなります。ここから、考えると神社配置が予め計画的に配置されていたとしか考えざるを得ないことを表しています。

 
  神社(国土地理院電子国土に記載されたすべての神社)を赤丸で表す。赤丸の直径は250m(実距離)
 図S17 三角岳(巨大木柱から望むと春分に日の出の出る場所)と黒又山を結ぶ直角線とその周辺の神社の分布


 図S16で注目するポイントは54番の大星神社と46番の猿賀神社です。54番の大星神社は図S8にある⑱の大星神社と同じ神社です。先にも書いたように、この神社は「津軽の北斗七星「大星神社1」や「津軽の北斗七星伝説の7神社を参拝」などにある津軽の北斗七星伝説の一つに入っていることです。図S8では、三角岳と温川神社を結ぶ直角線の屈曲点になっていました。図S16でも大星神社は三角岳と黒又山を結ぶ直角線の屈曲点になっています。続いて、津軽北斗七星とされている猿賀神社(図S16の46番)も同じように直角線の屈曲点となっています。

 このようなことが偶然に起きる確率はさらに低くなり、この神社の位置が縄文時代にすでに決まっていたと考える方が合理的です。後の説明になりますが、津軽北斗七星伝説にある鹿島神社(青森県中津軽郡西目屋村大秋)も、古富士線の干字状パターンの端点となっていて、HSCPで見た場合の特に重要な位置に配置されています。とすると、
「津軽の北斗七星伝説」は後世になってから創作された話に違いありません。再び書かせてもらいますが、同じ神社を取り上げたことのある、日本一博識とされている荒俣宏氏はどのようにお考えでしょうか?


2016.7.9 記


 先に、東北地方におけるいくつかの神社群中心とその相互関係を書いてきました。しかし、これはHSCPの基本的な特性を書いたのではありません。神社群中心が持つHSCPの特性とは別に、多くの神社群中心が遠く離れた他の神社群中心との間に、部分的な直角線を持つ例を示したものです。順序が逆になってしまいましたが、これから基本的なHSCPの具体的な結線を示し、その神社群中心と古富士線との関係について説明します。

 これまで、神社群中心の中で、その神社群中心から古富士ポイントに引いた線を中心軸にして、干字状パターンが成立する例を数多く示してきました。干字状パターンの端点は必ず神社群中心である特性を持っていて神社群中心の説明には不可欠のものです。神社群中心の持つ干字状パターンについての発表はまずエレキジャック サイエンス No.1(CQ出版社)「なぜそこに神社が建てられたのか?」図5で説明し、続いて★ストーンサークルの干字状パターンでもそれを説明してきました。ここで書いたストーンサークル(朱円環状土籬)の干字状パターンについては、後にさらに詳細な説明をする予定です。ここでは、 図-11 鳥越不詳神社付近の拡大図にある鳥越不詳神社の神社名が大神宮(岩手県下閉伊郡田野畑村島ノ越178)であったことだけを書き、巨大木柱(三内丸山遺跡)の干字状パターンの説明に入ります。ここで大神宮に書かれている由緒を信ずるかどうかは皆様におまかせします。


 私は日本の神社の神社名やその由緒のほとんどすべてが、その神社の位置が決められてから数千年も後になってから、時勢の都合に合わせて創作されたものであると確信しています。したがって、神社名や祭神、由緒などをいくら研究しても、真の日本の歴史を知ろうとするには全くと言っていいほど役に立たないと考えています。

 
 
 図S18 巨大木柱の干字状パターン

 これから、東北地方の神社群中心の干状パターンについて説明します。その説明は、北海道と関係の深くなる北海道に近い神社群中心を先に説明することにしました。

図S18は三内丸山遺跡にある巨大木柱列の中心位置を神社群中心とした干字状パターンを示したものです。干字状パターンを書く方法はこれまで何回も示してきましたが、その概要を再度図S18で示します。

 1. まず、巨大木柱の中心位置①から⑦古富士ポイントに向かって線(古富士線)を引く。
 2. ①-⑦に引いた古富士線に対して①巨大木柱の点で交差をする直角線を日本海側から太平洋に届く線を引く。
 3. 2.で引いた直角線を太平洋側と日本海側からそれぞれ①に向かってその直角線線をたどり、線上に乗る神社を見つける。
 4. 太平洋側からたどった線上には④大平大明神が見つかる。
 5. 日本海側からたどった線にも神社が見つかるはずです。しかし、該当する神社は見つからない。
    ここでは、仮に直角線が通っている亀ヶ岡石器時代遺跡付近を③亀ヶ岡ポイントとする。
 6. ①から⑦古富士に向かって古富士線をたどり線上からわずか太平洋側にずれた位置にある神社を探す
 7. ②熊野神社が見つかる。ここで線①-②を引く。
 8. 線①-②にに対して②で交差し、日本海側から太平洋に届く直角線を引く。
 9. 8.で引いた直角線上に乗る神社がないかを日本海、太平洋それぞれの側から見る。
10. 太平洋側からたどった線には⑥八幡宮、日本海側からたどった線には⑤鹿島神社が見つかる。
11. それぞれの見つかったポイント間に図S18のように線を引き、干字状パターンが完成する。
   (この時点ではまだ③の位置は正確にわかっていません。後にこの位置を正確に求めることができます。)

   (この位置が亀ヶ岡石器時代遺跡の中心位置になるのではないかと考えています。)

 
 
 図S19 塔ノ沢ポイントの干字状パターン

 図S19は塔ノ沢ポイント(青森県東北町字塔ノ沢)の干字状パターンです。このパターンも図S18と同じ方法で求めることができます。しかし、①の塔の沢ポイントには神社はありません。この位置は後に説明するように、この地域にある神社群中心から丁寧にHSCP線を引く方法で求めることが可能です。塔の沢ポイント(青森県東北町字塔ノ沢)は北緯40度50分57秒77東経141度23分22秒22の位置にあります。


 
その後、図S19に疑問があることがわかりました。古富士線が①塔ノ沢ポイントを通り、さらに延長した場所に天満宮が実在していました。

2016.8.18  記

 以下2016.9.11追記

 
  
 図S20 天満宮(下北郡東通村尻労天神林7-1)を神社群中心とした干字状パターン(赤線)


  図S19の塔ノ沢ポイントについてその後の検証で疑問があることがわかりました。ただし、疑問と言っても塔ノ沢ポイントが意味がないとは思っていません。塔ノ沢ポイントは干字状パターンの条件のほとんど総てを満足しています。ただし、以降の説明にある干字状パターンの各線分に対して必ず一つ以上のピギーバック点を持つとする条件を満足しないことです。その線分は、図19の番号で示すと、塔ノ沢ポイントから③八大龍王と④不動明王に伸びる線分①-③、①-④です。なぜかこの二つの線分にはピギーバック点がありません。

 ③八大龍神宮と④不動明王はもちろん神社群中心の特性を持ち、周辺の神社から伸びる直角線の収斂点になっていますが、
神社が実在しない塔ノ沢ポイントも確かな神社群中心の特性を持っていて、この地域のHSCP線の重要な点でもあります。後に述べる干字状パターンの他の検証条件もすべてパスするのに、なぜピギーバック点がないか不思議に思っていました。そこで、再度検証したところ、何と尻屋崎の近くにある天満宮(青森県下北郡東通村尻労天神林7-1)が見つかりました。図S20に示すように、天満宮の太平洋側は海域で、干字状パターンの一本が欠落してしまいますが、北海道側の愛宕神社まで伸びた線はピギーバック点もありました。そこで図S20で新しい干字状パターンとして追加しました。

 図S20を見て驚く人が多いと思いますが、
この図では①天満宮から③愛宕神社まで伸びる線があり、HSCPで見る限り神社配置は本土と北海道の間にある海峡を超え、シームレスにつながっていることがわかります。後の説明になりますが
②-⑤の線分のピギーバック点には温川神社(図S9参照)があり、これは干字状パターンで北海道の音江環状列石につながります。さらに、同じ線分に相当する②小田子不動堂から⑤七面大明神社に伸びる線上ぴったりの位置に巨大木柱(三内丸山遺跡)の中心位置が重なっているとする大きな秘密も隠されているのです。このような例は今後も当たり前のように出てきます。

注;図S19にある塔ノ沢ポイントは決して意味のない点であるとは思っていません。やはりこの塔ノ沢ポイントには何かがあるとする期待は逆に高まりました。付近から縄文遺跡が発掘される可能性は依然として高いと考えています。


以上 2016.9.11 追記

  

 
 
  図S21 小牧野遺跡(環状列石の中心位置)を神社群中心とした干字状パターン

  図S21は小牧野遺跡の持つ巨大な環状列石の中心位置が神社群中心の位置になっていて、図S18や図S19と同じように干字状パターンが成立していることを示しました。HSCPに懐疑的な人たちは、日本は神社が多いから、適当に線を引けば、どこでもこのような線が引けるに違いないと考えるでしょう。しかし、それはまだ一度も線を引いたこともなく、いい加減な想像でわかったようなことを言っている人たちの言い分にしか過ぎません。

  たわごとを言っている暇があったらぜひ実際に線を引いて見てください。
正確に線を引けば図に書いた神社以外に選択の余地がないことを知って驚くに違いありません。干字状パターンは驚くほど正確です。しかも、後に説明するように、それが確かかどうかを検証する方法もあります。特に図S21の小牧野遺跡の場合は厳しい検証にすべてパスするきわめて特異な例です。いい加減な結果しか得られない、はったりで線を引くレイラインの手法と比較すれば確率から見ると、無限大とも言えるほどの高い信頼性を持っているものです。

  これまで、干字状パターンは何回も説明したきましたが、ここで再度説明する理由は、本土と北海道の神社の配列を比較するためです。驚くことに、北海道の神社配列も本土と同じ規則で配列されていて、例えばこれから説明する宗谷岬付近の神社の配列も本土の神社にある干字状パターンで見事に説明することができるのです。ここでは、谷川健一編の日本の神々12(白水社)に書かれたような北海道の神社に関する常識「北海道の神社は明治期にできた」とする説は想像にしか過ぎないことが明らかになります。
 
 この事実から、最近出版されたアイヌと縄文 瀬川拓郎著 ちくま新書にあるように「アイヌこそが縄文人の正当な末裔である」とする説にも疑問を感じざるを得ません。
北海道に開拓民が到着したとき、原野には縄文時代にその位置が決められた小祠がたくさんあり、その小祠の位置に現在ある神社が創建されたと考えないと、北海道における神社配列の規則性を説明できないのです。誰が建てたかもわからない小祠を祀る行為は明治政府の禁令を無視したことになりますが、開拓民は、日本の神々に書かれている「切り株神社」よりも、得体が知れないにしても、先人が祀った痕跡のある小祠の位置を尊重したのでしょう。
明治政府の嫌うこのような行為は意図的に隠されるか、または伝承されず、完全に忘れられてしまったのです。これは、北海道に限らず、本土から沖縄を含む全土で行われたに違いありません。その明確な証拠は南大東島・北大東島にあります。

 
ところで、過去にアイヌ(ニブタニ文化と呼ばれた時代も含む)がこのような小祠を祀った証拠はあるのでしょうか?。宗谷岬付近にも古富士の位置を意識した神社配列(北海道稚内市大字声問村にある聲問神社が神社群中心)が現存することは、アイヌが縄文人の正当な末裔であるとする説と大きく矛盾するのではないでしょうか?

参照 
 ★北海道の神社

2016.8.31  記

 ここまで三つの神社群中心とその干字状パターンを示しましたが、「古代人が600kmも離れた古富士の位置を知ることができるなどとんでもない、古富士線は作図上のトリックであって、決して古代人の能力を示すものではない」と考える人もいるに違いありません。常識から言えば確かにそのとおりですが、これは次の説明で、トリックではないことを理解してもらえるでしょう。ここでは、先に書いた干字状パターンで、図18の③亀ヶ岡ポイント、図19の①塔ノ沢ポイントには神社が実在せず、この端点の正確な位置をまだ説明をしていません。そこでまず、干字状パターンの端点位置がすべて決まっている図S22の小牧野遺跡の干字状パターンから説明をします。

 図S20は古富士線に対して直角になるように、適当に神社を選んで二本の線を引いたように見えるかも知れません。しかし、その線の精度は驚くほど正確です。図S22は図S21にある小牧野遺跡付近を拡大したものです。ここでは③大山祇神社から④伏見稲荷神社間に引いた線が小牧野遺跡にある環状列石のほぼ中心位置の上を通っていることがわかります。図S22では、各ポイント間に引いた線の幅は実距離で10mに相当するように書かれているので、そのずれは約20mになります。③大山祇神社から④伏見稲荷神社までの距離は約97kmありますから、その距離の約0.02%のずれしかないことになります。


 注;図S22と図S23で旧電子国土を利用した理由は旧電子国土で使用している正方タイルが古代人の感覚に最も似ているとした経験によります。旧電子国土は原点の位置を自由に設定できる便利な機能がります。したがって、このような機能の無い地図や、旧電子国土と投影方法の異なる地図では同じ結果は得られません。

 
 ③大山祇神社から④伏見稲荷神社に引いた線は小牧野遺跡の中心から約20mずれた点を通
る(各ポイント間を引いた線の線幅は実距離で10mに相当、地図の原点は①小牧野遺跡)

 図S22 干字状パターン拡大図・小牧野遺跡環状列石中心位置付近

 次は図S21の②中野神社付近の拡大図を図S23に示します。ここでも⑤高野山神社-⑥伏見稲荷神社間に引いた線は②中野神社のほぼ真上を通っています。

 
 ⑤高野神社から⑩中野不詳神社に引いた線は②中野神社のほぼ真上を通る(各ポイント間を
引いた線の線幅は実距離で10mに相当、地図の原点は②中野神社)

  図S23 干字状パターン拡大図・②中野神社付近

 そのずれはほぼ線幅に相当し約10mです。⑤高野山神社から⑥久保頭不詳神社までの距離は約92kmですから、その概略のずれはその距離に対して約0.01%でしかありません。干字状パターンはこのように驚くほど精度が高いのが特徴です。
 
  一方、図S23では①小牧野遺跡から⑦古富士ポイントに伸びる古富士線に対して①小牧野遺跡から②中野神社に達する線は点線で示していますがこの線は、中野神社付近で約100mずれています。
東北地方の干字状パターンではすべて同じ傾向で同様なずれがあります。もちろんこの傾向は北海道の神社群中心でも同じ状況にあり、★ストーンサークルの干字状パターンでもそれを説明していますが、先の図S18で干字パターンの作図方法の「6. ①から⑦古富士に向かって古富士線をたどり線上からわずか太平洋側にずれた位置にある神社を探す」としてあるのも、同じことを言ってるのです。このずれは地殻変動によるものと考えています。

 干字状パターンは単に古富士線に対して直角に二本の線が引けるだけのように見えますが、
このパターンには驚く秘密が隠されています。その第一は図S24で示すように、干字状パターンの中心線から端点に引いた四つの線分すべてに、必ずピギーバック点が存在することです。ここで、桃色線で示した頂点の⑧久須志神社、⑨稲荷神社、⑩中野不詳神社、⑪四角岳、⑫八幡神社、⑬川上神社、⑭上皇神社がピギーバック点です。特に、線分②-⑥間に対しては4個ものピギーバック点が存在しています。また、これらのピギーバック点はすべてすばらしい直角精度を持っています。しかも、この⑧から⑭のピギーバック点はすべて神社群中心の特性を持ち、周辺の神社から引いた直角線の収斂点になっています。このような事象は偶然では決して起きることがなく、この神社配列が計画的になされたことを物語っています。

 ピギーバック点のうち、⑪の点には神社は存在せず、標高1,008mの四角岳頂上になっています。四角岳は自然地形で決まった位置にあります。したがって、小牧野遺跡の位置を決めるときに当然この位置も考慮されて決めたことになり、その計画性には大変驚かされます。しかし、またここで、古代人がそのような位置の把握能力や計画性を持つわけはないので、⑪四角岳の位置は偶然にしてピギーバック点になったに違いないと考える人もいるでしょう。しかし、その考えは間違いであることはすぐにわかります。 

 
 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
  図S24小牧野遺跡の干字状パターンの各線分にあるピギーバック点(桃色線の頂点)

 ここで、四角岳のピギーバック点を作る線分②中野神社-⑥久保頭不詳神社とは別の線分の端点にある④伏見稲荷神社と⑪四角岳の幾何学的関係をみると、図S25に示すように4本もの直角線が成立します。ここでもその直角精度はすばらしく、偶然で生じたとはとても考えられない精度です。ここからみても図S24にある⑪四角岳のピギーバック点は偶然に生じたのではなく、小牧野遺跡の位置を決めるときの計画にあらかじめ組み込まれていたことがわかります。

 
 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S25 ④伏見稲荷-⑪四角岳を結ぶ直角線(四角岳の位置が神社配置の計画に組み込まれていたことがわかる)

2016.9.5  記

 さて、また懐疑的な人たちは図S25を見て、確かにこの神社配置は偶然ではなく、計画的に配置されているように見えるが、これは④伏見稲荷神社と⑪四角岳の関係を示したもので、図S24の干字状パターンとは関係ないではないか?と考える人もいるようです。そこで少し線が多くなってわかりにくくなってしまいますが、干字状パターンと図S25の関係がわかるように図S26を示しました。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
  図S26 ④伏見稲荷神社を出た直角線(青色)が線分②-⑥のPGB点のすべてに到着している

 図S26は小牧野遺跡の干字状パターンの右側半分を拡大し、その部分に図S25の結線をはめ込みました。さらに、干字状パターンの一部になっている線分②-⑤の持つ四つのPGB(ピギーバック)点である⑩中野不詳神社、⑪四角岳、⑫八幡神社、⑬川上神社の四つのすべてに④伏見稲荷神社から正確な直角線(青色)が入っていることを示したものです。図S24でピギーバック点を見た限りでは、ピギーバック点は、対象となる線分を単に直角線がまたいでいるようにしか見えませんが、角度だけでなく、このような共通する定まった規則が別にあることを示しました。神社配置が綿密な計画のもとで成されたことがここでもわかります。

2016.9.8  記
2016.9.11 図S20と説明文追加

 図S26はピギーバック点が三つもある線分②-⑥に対向する線分①-④の端点④から直角線がピギーバック点に到着する規則があることを示しました。それでは、もっと単純なピギーバック点が一つしかない線分でも同じ規則があるのでしょうか?、当然考えられる疑問ですが、この答を図S27に示します。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
図S27  ③大山祇神社から⑭上皇神社へ到達する直角線(紫色)

  図S27は干字状パターンの上左側の線分③-①の端点である③大山祇神社から同パターン下左側線分②-⑤のピギーバック点に到達する直角線を紫色の線で示したものです。ここでは何と15本もの直角線が到着しています。言い換えると、干字状パターンの下側線分のピギーバック点にパターン上側の端点から直角線が到達する特異な事象が干字状パターンの左右共にあることを意味しています。何度も繰り返しますが、このような特異な事象が共通してあることは、もし神社がランダムに分布しているとすると決してそのようなことはありません。ここでも、神社が計画的に配置されている決定的な証拠になります。このように、干字状パターンの左右に共通した特性を持っていることになります。 もしそうなら、まだ新しい規則があるに違いありません。まず、考えられることは干字状パターンの下側端末から、上側の線分のピギーバック点との関係です。古代人がそこまで凝った規則を本当に考えていたのでしょうか?

2016.9.25記

  先に書いた干字状パターンの下側端末から、上側の線分のピギーバック点との関係を干字状パターンの左側で試したものを図S28で示します。ここでは干字状パターンの左上側の線分③-①間に対するBGB(ピギーバック)点である⑧久須志神社から左下側パターンの線分②-⑤の端末である⑤高野山神社との関係を見たものです。驚くことに、ここでは15本もの直角線が引けることがわかりました。しかもここでは直角線の大半は神が決めたのではないかと考えられるほど極めて高い精度を持っています。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S28 PGB点⑧久須志神社から⑧高野山神社へ到達する直角線

  もし、神社配置が計画的に成されていると仮定すると干字状パターンの右側も左側と同じ特性を持っていると考えられます。これを試した結果を図S29で示します。
 図S28は干字状パターンの右上側の線分①-②の持つピギーバック点(PGB)点⑨稲荷神社から干字状パターン右下側の線分②-⑥の端点⑥久保頭不詳神社へ到達する直角線を紫色の線で示しました。ここでも、7本の直角線が成立しています。この結果、①小牧野遺跡の持つ干字状パターンは左右どちらも共通する特性を持っていることになります。

 ここで、
図S24を見るだけでは、干字状パターンを構成する各線分を単に正確な直角で跨いているようにしか見えないピギーバック点が、対向する線分の端末から必ず直角線が到着する特異な点であるとした特性を併せ持つことがわかったのです。

 さらに、ここでは省略していますが、干字状パターンを構成する各ポイント①小牧野遺跡、②中野神社、③大山祇神社、④伏見稲荷神社、⑤高野山神社、⑥久保頭不詳神社はすべて神社群中心の特性を持ち、周辺の神社から引いた直角線の収斂点となっています。


  これらを総合すると、この干字状パターンの周辺の神社の配置は明らかに計画的に配置されていると断言することができます。これを否定することは、学問である確率論を否定することになり、学問自体を否定することになります。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
注;㊾対泉院は現在曹洞宗の寺院となっていますが、過去は神社であったことが明らかになっています。(寺にはその記録がない可能性がありますか゛、後にその明確な証拠を示します)
 図S29 PGB点⑨稲荷神社から⑥久保頭不詳神社へ到達する直角線

なお、図S29の㊽の物見岩は掲示板スレッドNo180「シーガルビューホテルの物見岩の謎」にも書いているように不思議な特性を持ったポイントです。この物見岩も自然地形で予め決まった位置にあり、神社のように任意の位置に持って来ることができないのです。先に述べた図S26⑪四角岳の位置も同じです。このように、自然地形にあるものを取り込むことを予め考慮しながら①小牧野遺跡の環状列石の位置を決めたことになり、この計画性には驚くばかりです。


  青森市埋蔵文化財発掘調査報告書30集の中に小牧野遺跡の環状列石の特徴として「
大規模な土地造成が行われていることである。環状列石は台地縁辺部の斜面上に構築されているが、 環状列石構築前に、 切土、 盛土を行い斜面を平坦にするという大規模な土地造成を行っている。」と書かれているように、本来は環状列石を構築するには不都合な場所にわざわざ手間のかかる土地造成まで行って環状列石を構築した理由も先に述べたように、四角岳や物見岩をその配列の中に取り込む高度な計画性の中に行われたことを物語っています。(後に、小牧野遺跡の位置は荻長森、古富士、大岳(八甲田山)の位置まで考慮されていたことがわかります。)

 ここでさらに驚くことがあります。小牧野遺跡の古富士線は黒鉱(くろこう)を産出する
萩長森(標高169.4m、釈迦内鉱山もこの森にあった)の西65mの点を通ります(旧電子国土のタイルを利用した場合、原点は萩長森)。小牧野遺跡の位置は先の四角岳や物見岩を配列の中に取り込んでいますが、本来の目的は古富士線を利用して、この黒鉱が産出する位置を示していたのではないかと考えています。この件に関しては異論が多々あることは承知しています。しかし、自然金が豊富に存在したと考えられる縄文時代の遺跡から金製品が全く検出されない大きな謎を説明することもできないで、この意見に口をはさむこと自体がおかしいのではないでしょうか? 小牧野遺跡が、萩長森の位置を考慮して決められていることは、後の説明で明らかになります。

2016.9.26記

  さて、これまで小牧野遺跡を神社群中心とした干字状パターンの特異性を示し、このような神社配置が計画的に配置されていることを説明しました。最後にもう一つのわかりやすい干字状パターンの特性を示します。図S30は小牧野遺跡の干字状パターンで、上下の対向する線分の端末から他方の端末へ直角線が到着する様子を示したものです。すなわち、左側の端末では③大山祇神社から⑤高野山神社へ2本の直角線で結ばれ、右側の端末では①伏見神社から⑥久保頭不詳神社へ四本の直角線で結ばれています。このような特異な事象はやはり、神社がランダムに分布しているとしたら非常に起きにくい特異な事象です。

 また、この図を借りて先に説明した黒鉱の産地である萩長森の位置と古富士線との位置関係を示しました。この図では萩長森の位置が古富士線のわずか東にずれて見えます(旧電子国土では西65m)。この原因は、地理院地図では原点の位置を任意に設定することができず、しかも正方タイルの投影方法も異なるので、このようなずれが生じてしまいます。

 
 
 図S30 小牧野遺跡干字状パターンで相対するパターンの端末同士が直角線(緑色)で結ばれる特異事象



2016.9.27記

 先に小牧野遺跡の古富士線が黒鉱を産出する萩長森を指しているのではないかと書きました。しかし、ここでも縄文遺跡と鉱山を同列に考えるなどとんでもない、もうこのページの内容はトンデモ本と同じレベルに落ちてしまったと考える人も多いでしょう。確かに小牧野遺跡から出た古富士線が萩長森を通るから、古牧野遺跡が荻長森を指していると言うことは、その信頼性はレイラインの手法と同じレベルで、とても信用できる事象ではありません。そこで次の説明を読んでください。

 図S31は小牧野から萩長森に到着する直角線を示しています。ここではその直角線が7本もありその直角線の精度の平均はおよそ0.2度と極めて精度も高い値となっています。このような精度の直角線が偶然に起きる確率はおよそ500回に一度です。これが7回も起き、しかもその出発点と到着点が同じとする極めて特異な事象ですから、偶然に起きることは滅多にありません。ここで、
小牧野遺跡は黒鉱を産出する萩長森を指していると断言できます。

 
内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による 
 ①小牧野遺跡(環状列石)の位置は古富士と②萩長森、大岳(八甲田山)の位置で決められている
 図S31 ①小牧野遺跡から②萩長森へ7本の正確な直角線が到着する

 それでも、まだこれを信じられない人は次の図S32を見てください。この図には直角線の屈曲点となる神社が④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨と6社あります。この神社で直角に屈曲させずそのまま延長させた線を水色で示しました。それぞれの延長線は必ず何らかのピークに行き当たり、その点は⑩、⑪、⑫、⑬、⑭、⑮となっています。ここでも、古代の神社配列の基準点と現在の三角点が重複していることが多いことを示しています。

④駒形神社→⑩烏帽子岳(1,477.3m)
⑤稲荷神社→⑪国見長根(二等三角点、126.6m)
⑥野田神社→⑫西方寺森(1,288m)
⑦神明宮  →⑬黄金山(二等三角点鬼山、168.2m
⑧八幡宮  →⑭冬部(三等三角点、478.8m)
⑧八幡宮  →⑮桂川岳(一等三角点、669.7m)

 これと同じ事象は図S10の「神社群中心から直角の屈曲点を結んだ延長線上に必ず何らかのピークがある」でも説明してあるように、偶然では滅多に起きない事象であり、図S31に示した神社配列が計画的に成されている証拠の後押しをしてくれます。確率を信じない人も図S32が偶然では起きることが滅多にないことは理解していただけるものと考えています。

 
 図S32 屈曲点④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨の延長線上に必ずピークがある

 ★小牧野遺跡(環状列石)の位置の謎がはじめて解けた
 小牧野遺跡の環状列石は環状列石を構築する前に、本来は環状列石を構築するには適していないような傾斜地を敢えて選び、その土地を盛り土したり、削ったりして平滑にするなど大規模な土木工事を行っていることが良く知られていました。これは環状列石を構築する位置にこだわりがあり、どうしてもその位置にしなければいけないとする必要があったことは明白です。 しかし、その位置がどのようにして決まったかは、これまで全くの謎でした。

 この謎が図S31で解くことができます。図を見てわかるように、小牧野遺跡の位置は古富士ポイントから②萩長森に引いた線(古富士線)と萩長森から③大岳(八甲田山の最高峰)に線を引き、そこから伸びた直角線と古富士線の延長線との交点にあることがわかります。言い換えると、
小牧野遺跡(環状列石)の位置は、古富士の位置と②萩長森、③大岳(八甲田山の最高峰)の位置で決まっていることになります。
この後にさらに驚くことがあります。この発見を無視したり、笑っていた人はどん底に突き落とされます。

2016.9.30記

  
鷲ノ木遺跡(環状列石の干字状パターン(巨大津波の跡を示す)
  次は北海道茅部郡森町鷲ノ木町503にある鷲ノ木遺跡の干字状パターンについて説明します。この遺跡は北海道縦貫自動車道建設の際に発見された遺跡で、2005年にはトンネル工法で工事を行い遺跡をそのまま保存したもので、2006年に国の史跡に指定されました。この遺跡には外環が約37m✕34mのほぼ円形の環状列石があります。この環状列石の輪の中には柱や炉の跡などが見つからないことから、墓域として作られたものであるとされています。しかし、これこそが小林達雄名誉教授のお言葉を拝借すると、生活に使われた第一の場所ではなく、第二の場所そのものの位置にあります。

 その位置は、干字状パターンでみると、図S33に示したように①の鷲ノ木遺跡から古富士に引いた線を中心軸として、③-④が上側パターン、下側では、②の左側は海域で欠損していますが、②-⑥が右側の干字状パターンとなっています。また桃色線で示した三角形の頂点⑦、⑧、⑩はピギーバック点です。特に⑩は256.7mのピーク点で「釜岡」と呼ぶ三等三角点になっています。
この点は、図S11の「木柱(三内丸山遺跡)と592.6mピークの驚く幾何学的関係」、図S12の「三角岳と592.6mピークの驚く幾何学的関係」で示した「③592.6mPeak」と同じ位置になり、三内丸山遺跡の巨大木柱のある位置と、その場所から春分に日の出が出る三角岳の位置に対して幾何学的関係の強い位置です。鷲ノ木遺跡は古富士の位置と八雲鉱山、⑩釜岡三等三角点(592.6mPeak)の位置を考慮して決められていることになり、ここでも古代人のすばらしい計画性を知ることができます。


  このパターンの特徴はその角度の精度が極めて高いことです。なお、①鷲ノ木遺跡の位置は環状列石の概略中心位置である

北緯42度06分57秒54  東経140度31分33秒84  誤り  <---下記に訂正(図S33も訂正済み)
北緯42度06分57秒57  東経140度31分33秒82  
北海道教育庁生涯学習推進局文化財・博物館課文化財調査グループ
鷲ノ木遺跡の住所  北海道茅部郡森町字森川町292番地24

  鷲ノ木遺跡の正確な中心位置を北海道教育庁生涯学習推進局文化財・博物館課文化財調査グループから教えてもらっていた(2015.3.10)ことを忘れていました。鷲ノ木遺跡の位置を衛星写真から求めていたものから詳細な測量で求めた値に訂正いたします。北緯で0.03秒マイナス、東経で0.02秒プラスになっていました
この訂正により、図S33の内角は、まさに神が決めたような素晴らしい値になりました。2016.11.5 追記

としてあります。

 
掲示板のスレッド185に書いてあるように干字状パターンの上右側に相当する④出来澗崎沖不詳神社は現在海の中にあります。これは、過去に巨大な津波がこの付近を襲い、④があった陸または島が海中に沈んだことを物語っています。素人の推測でしかありませんが、この巨大津波は駒ヶ岳の山体崩壊によって起きたのではないでしょうか?。

注;1792年長崎県島原市の眉山で起きた山体崩壊では海岸線を870mも沖に進ませましたが、海岸線が逆に後退する現象がどのようにして起きたかは説明することができません、専門家の説明を期待しています。

  ④出来澗崎沖不詳神社の位置は線分③八雲鉱山の山神社-①の延長線と⑧稲荷神社から伸びた直角線の交点から求めたもので、⑧における90.00度の内角はこの作業によって必然的に起きたものです。他の内角も神が決めたようなすばらしい直角精度を持っていますが、この値は国土地理院の地図からそのまま位置を求め、公認された計算式で得たもので、作為的なものはありません。誰が行っても同じ値になる再現性のある数値です。

  くどいようですが、
①から⑩までの点は、信頼性の全く劣るレイラインで使われる単なる点ではなく、総ての点が神社群中心の特性を持ち、周辺から引いた直角線の収斂点になっていて、レイラインの手法と比較して桁違いに信頼性が高く、学問として考えることのできる精度を持っています。かつて、「太陽の道」と名付けたレイラインの手法が騒がれた時代がありましたが、ここに書かれた線は、干字状パターンの精度から見たら、全く桁外れの大きな誤差を持った、でたらめに近い事象を言葉によって修飾した単なる想像の線にしか過ぎなかったことが良くわかるでしょう。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
注;⑩釜岡三等三角点は図S11、S12の③275.6mPeakと同じ位置 
 図S33 鷲ノ木遺跡の干字状パターン(八雲鉱山の山神社が端点)


  図S33は本土の神社配置と北海道の神社配置がシームレスにつながっていることが一目瞭然にしてわかります。この事実は常識をはるかに越えていて、それを学者が絶対に信じられないと、いくら強がりを言っても、この線を曲げることはできません。未だに偶然にしか過ぎないなどと言っても学問である確率論はそれを許しません。後に説明するように、図S33の干字状パターンはその角度だけでなく、先に説明した小牧野遺跡の干字状パターンと同じような、厳しい検証テストのほとんどをパスすることを知ったら、「偶然」の言葉は引っ込むに違いありません。
2016.10.28記


★八雲鉱山山神社の干字状パターン(再び巨大津波の痕跡か?)

 図S33の鷲ノ木遺跡の干字状パターンのチエック結果は小牧野遺跡の干字状パターンのテスト結果と引けをとらないほど、完璧な結果であったことだけを書き、その詳細はは後に示すことにして、図S33の干字状パターンの上左側の端点となっていた八雲鉱山山神社に注目してみます。縄文時代に石器を使っていた縄文人が鉱山など興味があるわけはないと考えるのが一般常識ですから、この端点が鉱山になったのは偶然であると考える人がほとんどでしょう。しかし、小牧野遺跡の場合も黒鉱を産出する萩長森と関係していました。八雲鉱山が環状列石を持つ鷲ノ木遺跡の位置とと関係していることも明らかになりました。この後も金を産出した大金鉱山豊羽鉱山などでも同様なことが起きることは、重大なことで、この関係が偶然であるとして見逃すことはできません。

 ここで、八雲鉱山山神社を神社群中心として干字状パターンを書き、図S34に示しました。八雲鉱山山神社は図S33の場合でも単なる点ではなく、周辺の神社から引いた直角線の収斂点となっていて、これだけでも、古代人が八雲鉱山山神社の位置を重要視していたことはすでにわかっていたのですが、さらにこの点が干字状パターンを持つ神社群中心であることは、この神社の位置を古代人が特に注目していたことが明らかになったのです。

 .
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S34八雲鉱山山神社の干字状パターン

 図S34で干字状パターンは中心線が①-古富士ポイントの古富士線として上段横棒は①-③、下段左側③-②に該当する線は海域で欠損していて、右側が②-⑥となっています。①-③の線分には⑦、⑧、⑨のPGB(ビギーバック)点、①-④の線分には⑩、⑪、②-⑥の線分には⑫、⑬とそれぞれ複数のPGB点があります。

 ここでまた驚くことがあります。④の砂原東沖不詳神社に相当する位置には神社がないどころか、この位置も海中にあります。先に説明した図S33にある④出来澗崎沖不詳神社と同じような状況で海中に没したものと思われます。図S34④の砂原東沖不詳神社の位置は線分③-①の延長線とピギーバック点から伸びる直角線の交点付近をHSCPによって探索し、周辺の神社からの直角線の収斂する点を求めたものです。

 この二つの神社のあった位置を図S35に示します。ここで、
砂原東沖不詳神社は海岸からおよそ2kmも離れた位置にあったことになります。もしかしたら、陸ではなく、島が陥没したものかも知れません。後に示しますが、砂原東沖不詳神社と④出来澗崎沖不詳神社の距離は約4kmほどの短い距離にありますが、この短い距離に二つも神社群中心があることは、あまりないことですが、この二つの位置が見事に神社群中心となっていて、周辺の神社から伸びる直角線の収斂点になっている様子は驚くばかりです。


  

 
出来澗崎沖不詳神社 北緯42度04分25秒94 東経140度48分58秒35
砂原東沖不詳神社   北緯42度06分04秒88 東経140度47分13分17
 
 図S35 海中に没した二つの神社の位置

  タイミング良く、巨大津波がを海岸を削ってさらに高い場所に打ち上げる様子を書いたサイトが見つかりました、予想していたように、山体崩壊による巨大津波で海岸線が後退する実例が見つかったのです。それは「240メートルの津波がかつて発生した。研究者が証拠を発見」の記事です。この記事の図では、フォゴ山の山体崩壊による「高さ800フィート (約240メートル) の津波が、海岸線から岩をもぎ取り、数百フィートも上に押し上げた」様子をわかりやすく説明しています。この図と同じ現象が起きれば、津波が海岸線を削ってさらに高い場所に打ち上げるので、津波によって海岸線が後退する理由が良くわかります。駒ヶ岳の山体の様子と巨大津波の起きたフォゴ山の山体の様子もかなり良く似ています。規模は異なるかも知れませんが、恐らく過去に同じような津波が駒ヶ岳の麓で起きた可能性は高いと考えています。専門家のご意見を期待しています。

参考駒ヶ岳の火山地質図

2016.11.11 記

金を産出した大金鉱山の干字状パターン
  次は大正時代に発見されたと言わている大金(おおがね)鉱山(北海道黒松内町字北作開)の干字状パターンとそのピギーバック線です。大正時代に発見された金山がまさか縄文時代に??と考える人も多いでしょう。しかし、山師の間ではどんな深い山にある金山でも、発見したときに「
必ず誰かが以前に掘った跡がある」と言うことは常識になっているのです。この金山は大正時代に陰山亀太郎という人が夢のお告げで発見したと言われています。しかし、図S36を見るとやはりこの金山も縄文時代にすでに発見されていたと考えるしかありません。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S36 大金鉱山の干字状パターン(赤色)とピギーバック線(桃色)

 図S36の干字状パターンも、古富士線より左側は海域になっていて、その部分のパターンは省略されています。古富士線右側の干字状パターンでは、上段の④米原不詳神社(北海道むかわ町米原)-①大金鉱山-②稲荷神社(北海道江差町字田沢町)の補正内角は90.30゜、下段の①大金鉱山-②稲荷神社-⑥厳島神社(北海道函館市恵山町)の内角は89.74゜の内角になっています。この干字状パターンで驚くことは、右側上段の線分①大金鉱山-④米原不詳神社間の線分には、何と桃色の線で示したように10本ものピキーバック線を引くことができます。また下段の線分②稲荷神社-⑥米原不詳神社間の線分に対しても4本ものピギーバック線を引くことができます。このような神社配置はやはり計画的に神社が配置されていたと考えるざるを得ません。

 小牧野遺跡の干字状パターンでは、そのパターンの持つ古富士線で黒鉱の産出する萩長森を指していてました。また、図S34の八雲鉱山山神社では鉱山の直近にある山神社を指していました。しかし、図S36では金鉱の産出する①大金鉱山そのものが干字状パターンの中心位置となる驚く配置になっています。このようなことが偶然に起きることは決してありません。この図S36は古代人が明らかに
金鉱を産出する大金鉱山の位置を明確に意識していて、それを干字状パターンとして神社配列の中に組み込んだ確かな証拠です。

 鉱山を指す神社配置には、不思議な規則があります。神社配置で鉱山を指す場合、いきなり抗口付近を指す場合と、直近にある神社を指す二通りの方法があります。鉱山の直近にある神社を指す場合、その神社名は「山神社」と名前がついている場合が多いのです。このページを良く読まれた方は、神社の配置は縄文時代にその配置が決まっていたことを良くわかっていただいたと思っています。この時代には恐らく文字がなかったと考えられます。現在の神社名は「神社」そのものが漢字ですから、漢字の入ってきた以降にほとんどの神社名が付けられたものと思われます。そうです、神社名や祭神は神社配列が決定されてから何千年も後に時勢に都合を合わせて勝手に決められたものです。それがゆえに、神社名とその位置は何の規則もないのです。神社名や祭神から古代史を探る鍵をみつけようとしてもうまく行かない理由がそこにあります。

 しかし、神社名「山神社」の意味は何でしょうか?、
「山神社」の直近には鉱山がある場合が多いのです。全国の神社を調べた中で「山神社」の名前だけがその位置の意味を語ることのできる特殊な神社名なのです。もちろん、山神社の「神社」は漢字が入ってきてから付けられたことは確かのようですが、「ヤマ」は古代から付けられていた名前で古代語、またはどこかの国の言葉の一部かも知れません。何も悩むことはない、山神社は山師の「山」だと言う人もいますが、その「ヤマ」は一体何でしょう。現在はその山師から「ヤマ」はリスクの大きい意味となつていますが、もしかしたら古代を語る重要な意味が含まれている可能性があります。



 2016.12.19 記

★偽書の争点、石塔山荒覇吐神社の位置が聖地であった証拠
 ◎ここには、必ず考えが変わる事実が書かれています。専門知識は不要です。図S37とその説明は飛ばしても理解できます。
 ここまで良く読まれた方は掲示板のスレッド190~193を読んでもそんなに驚くこともなく、まだ答えを出していない、海中に没したポイントをすでにご自分で求めていると思っています。しかし、いきなりスレッド190~193を読んだ方は、トンデモサイトに来てしまったと勘違いされている人もいるようで、少し焦っています。図S36でも、北海道と本土の神社配置がシームレスにつながっていることや、縄文時代の金鉱など、とても信じてもらうことが難しそうな懸案が多いので、この説明の準備で手間を食っているうちに正月を迎えてしまい、新しく閲覧される方も増えてきました。

 それを書く前に、掲示板のスレッド190~193を書いてしまったので、新しく閲覧された方からトンデモサイトと誤認されてしまう危惧を生じてしまいました。そこで、図S36の詳しい説明を後回しにして、掲示板スレット゛190~193に関わる石塔山荒覇吐神社に関する記載を先に書くことを急遽決めました。

 東日流外三郡誌は偽書騒ぎが起きてから十数年が経ち、偽書とする意見が勝ったまま現在に至っていると理解しています。
注;(勝ったと言うことは、偽書と主張する人達が立花隆氏や谷川健一氏などの著名人を味方につけ、世論をそのように仕向けることに成功したと言う意味で、真偽が決着したと言う意味ではありません。)私は偽書であったにしても、あの膨大な資料の中に必ず真実も含まれていると信じていました。その理由は、古文書の中に神社位置に関する研究をしていなければわからない事実が含まれていたからです。それが「和田家文書」に深入りする契機となり、いつもそれが気にかかっていました。しかし、HSCPによる研究が進んでも、文書で聖地としている石塔山荒覇吐神社の位置に対して、周辺の神社から伸びる確かなHSCP線(直角収斂線)が見つからず、いつの間にかすっかり興味も失せてしまっていました。

 ところが、図S36の大金鉱山の干字状パターンに関わる細部のHSCP線を検討しているうちに、その線が石塔山荒覇吐神社(地理院地図では十和田神社
にぴったりと到着しました。このとき、この状態を予期していたわけではないので、本当に驚き興奮してしまいました。発見時の結線を川に例えると、源流から石塔山荒覇吐神社に達するHSCP線とそれに付随する線の概略と、大金鉱山の干字状パターンの主要部を併せて図S37に示します。ここで、図S37の大金鉱山は図S36の①に相当します。また奥尻島にある稲荷神社はまだ説明をしていない神社群中心で、赤い斜め縦線は古富士線です。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 この図ははじめての人は理解できないでしょう、飛ばしても本質は理解できます。稲荷神社が多いぐらいの認識でかまいません。
 図S37 石塔山荒覇吐神社に到着する略図、階層の深いところにある(関係の薄いHSCP線は消してある)

 詳しい説明は後にしますが、石塔山荒覇吐神社の位置が非常に階層の深い場所にあることが発見の遅れる要因となっていました。しかも、その源流となる場所は海を隔てた北海道にあるので、なおさらそれを難しくしていました。このように階層が深くなっているのは意図的に考えられたものと思います。その意図はわかりませんが、もしかしたら、この位置を秘密にしてわかりにくくしている可能性があります。石塔山荒覇吐神社の位置は調べれば調べるほど、重要な位置にあることがわかってきました。しかし、たとえ、HSCPの法則を知っていても、ここまでたどり着くのは容易ではありません。

  結果論になってしまいますが、やはり偽書の中にも真実が隠されているとした信念がこの難しい発見を可能にしてくれました。HSCPの規則の中に「
別の二点からきた直角線が交わる点は必ず神社群中心となる経験則があります(確率から見ても有意な事象)。石塔山荒覇吐神社は紫色の線で示したように、二つの直角線が交わっているので石塔山荒覇吐神社を神社群中心として結線すると、干字状パターンを持つ確かな神社群中心であることもわかりました。しかし、上段左側の端点が欠けています。後にこの端点の探索が次の大きな発見につながります。文書には

(イシカの神を祀る人住の処にては、大柱を高棲に築きて神司せり)

が頭にあったので、三内丸山遺跡の巨大木柱と石塔山荒覇吐神社の幾何学的関係を検討してみました。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S38 石塔山荒覇吐神社-木柱のピギーバック点(熊野神社)

 石塔山荒覇吐神社と木柱の二点間では、ただ一本の線だけとなり、はったりで線を引くレイラインの手法と変わりません。ここでHSCPの本領が発揮されます。これまで「線分間にピギーバック点(線分の両端をのぞんだ角度が直角になる点)があればその線分は古代人が意図的に引いたものである可能性が高い。」とする経験則(確率から見ても有意な事象)があります。この実例は過去の記載にたくさんあります。さて、この場合はどうでしょうか?

 すると、図S38に示したように熊野神社(青森県青森市羽白沢田193−1、写真)にピギーバック点があり、その内角は90.72度になります。この付近は神社の分布密度が低いのですぐに見つかります。その神社の分布を見れば、
常識から抜けられない人達の言い草である「日本は神社が多いので線を引けば何らかの神社に行き当たる・・・・・」の説は成立しません。

 この事実は古代人が石塔山荒覇吐神社と木柱の位置を意図して配置した証拠が見つかったことになります。そして、文書にある
(イシカの神を祀る人住の処にては、大柱を高棲に築きて神司せり)

 は現実のものとなり、文書の記載が正しい内容であったことがわかります。この後、石塔山荒覇吐神社の位置が三内丸山遺跡の位置とともに東北地方の神社の位置を決定する重要な位置であったことが次第に明らかになっていきます。

  もう少し理論的に書くと、石塔山荒覇吐神社と木柱間に引いた線の中心を軸にして回転させた領域(およそ10km✕10km)にある神社の数は20弱です。神社がランダムに分布していると仮定すると、±0.7度の精度で直角が成立する大雑把な確率は約1/140です。と言うことは神社が規則を持たずにランダムに分布しているとすると、140の神社を配置してはじめてこのような精度の直角が成立することを意味します。20個弱の神社数で期待する事象が発生したので、先の記載は正しいことになります。

 さらにピギーバック点は神社群中心となる例が多く、図S38にある熊野神社もこの例に漏れず、神社群中心となっていて、周辺の神社から引いた直角線が収斂する点となっているので、熊野神社の位置が計画的に配置されていることを一層確かなものとしています。神社群中心の数は神社の総数に対して、一桁以上少ないと予想されるので、先の確率1/140はさらに一桁以上小さくなって千数百分の一となり、神社群中心である熊野神社はこの極めて少ない確率の中で実在していることになります。

 しかし、絶対に当たらないような宝くじが当たることもあるように、もちろんこの程度の確率では、「絶対に」に正しいと言い切ることはできません、そこでまたHSCPの経験則が生きてきます。

 これまで、「
ピギーバックが成立する線分には、必ずと言っていいほど、その線に直角で交わる線がある」とした例がたくさん実在し、その例について何回も説明してきました。そこで、ピギーバックの存在する石塔山荒覇吐神社と木柱に引いた線にも直交する線がないかさがしてみました。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による 
 図S39 線①-②に対する石塔山荒覇吐神社における直交線①-④

  この考えは図星でした。①石塔山荒覇吐神社を交点にして④八幡宮(常海橋八幡宮、青森県北津軽郡板柳町常海橋駒田222)に対して90.08度とまるで神が決めたようなすばらしい直角精度の線を引くことができます。もし神社がランダムに配置されていたとしたら、千数百回もためしてはじめて起きるきわめて珍しい事象です。ここでさらなるダメ押しとして、HSCPの常套手段である、「線分①-②にピギーバック点があるならば線分①-②は古代人が意図して配置している可能性が高い」とした考えを入れてみます。

2017.1.12記

  これもまたもや図星でした。やはり、この線分にも⑤神明宮と⑥闇龍神社のピギーバック点が二つもありました。もちろん、この点は神社群中心の特性を持ち、単なる点とは異なります。これは、④八幡宮の位置は古代人が意図してここに八幡宮を置いた決定的な証拠です。①から④に引いた線はレイラインの手法のように、はったりで引いた線とは全く違う線であることを知ってください。くどくなりますが、④の八幡神社も神社群中心の特性を持っていたので、これもレイラインのように単なる点と点に線を引く場合と比べて桁違いに信頼度が上がることになります。

 はじめてここを読んでいる人は、手品か何かのイカサマを見ているいるような感覚になるに違いありません。特に、図S37は北海道の神社は明治期の開拓民が開拓地に信仰のよりどころとして建てたと信じている人達にとっては絶対に信じられないような現実がここにあります。とても常識はずれのことですが、この事実は地図さえあれば誰でも同じ結果を出すことが出来て、ごまかす場面はどこにもありません。しかも、書いてあることは
中学生でも理解できる内容です。


 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S40 ③八幡宮に伸びた直角線にも二つのピギーバッグ点⑤、⑥が存在

 それでも、「縄文時代の遺跡と、神社が関係するなど時代錯誤もはなはだしい」とまだ思っている人もいるでしょう。また、測量器具を持たない縄文人がそんな精度で角度を図れるわけはない!!。こんな図は作図の遊びであって、何も意味はないと怒る先生方もいるに違いありません。常識からみたら当たり前の考えですが、 そのような考えの人達もその考えを変えざるを得ない、さらなる現実が次第に明らかになって行きます

2017.1.13記

  図S40で線分②-④に線を引くと、今度は①石塔山荒覇吐神社がピギーバック点になります。ここでもピギーバック点を持った線分①-④
と同じように線分②-④にピギーバック点があるならば線分②-④は古代人が意図して配置している可能性が高い」とピギーバックが成立する線分には、必ずと言っていいほど、その線に直角で交わる線がある」の経験則が成立するはずです。

 そこで、線分②-④の端点である②木柱から線分②-④に直角に線を引きます。すると、図S41に示すように、その
先は⑦十和利山に行き当たります。そのときの内角は89.93゜となって、ここに到着する角度もまるで神が決めたとようにすばらしい精度の高い直角になっています。この角度も、もし神社がランダムに分布していると仮定すると、このような直角精度は数千分の一の確率でようやく得られる確率です。さらに、十和利山も神社群中心の特性も持っているので、さらにその確率は桁違いに小さくなり、万分の一のオーダーになります。この確率から見ても①石塔山荒覇吐神社、②三内丸山遺跡の木柱の位置はあらかじめ十和利山の位置も考慮されて計画的に配置されていたことは明白です。

  十和利山は酒井勝軍によって第2の「日本のピラミッド」とも呼ばれた山で、真偽は別にして、古くから神の山とされていた山です。『東日流外三郡誌』要約では十和利山については、「★BC12000年、古代アソベ族は十和田湖の十和利山に霊山ピラミッドの巨石神殿を築き、・・・」

と書かれています。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S41 ②木柱から伸びる直角線は神の山⑦十和利山に到着する。

 図S41を見ても、これまで石塔山荒覇吐神社の位置に何の意味もないと考えていた人達は驚かずにはいられないでしょう。しかし、まだ本当に驚くことはこれからです。これは、石塔山荒覇吐神社が神社群中心であることがわかってから、はじめて明らかになったものです。HSCPや古富士の存在を否定してきた人達が、腰を抜かすように驚く現実が後に明らかになります。さらに、先にも書いていたように、図S7の温川神社の件を笑っていた人達は間違いなくどん底に突き落とされるでしょう。
2017.1.16 記

  さて、ここで図S41で②木柱から④に引いた線をそのまま延長します。その延長線は⑧稲荷神社(青森県深浦町大字大間越)に到着します。ここでは、岩木山付近から⑧稲荷神社までは山間部になり、神社の分布密度が極端に低く、延長線が稲荷神社に到着することはすぐにわかり、⑧稲荷神社以外に該当しそうな神社が他にないことが良くわかります。くどくなりますが、ここでも「日本は神社が多いから何らかの神社に行き当たるのは当たり前・・・・・」とする説は全く成り立ちません。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S42 ②-④を延長すると⑧稲荷神社に到着する(今後これが大発見につながる)

 ここで、図S42の④八幡宮付近を拡大すると図S43になり、②木柱と⑧稲荷神社間に引いた線は④八幡宮のほぼ真上を通っていることがわかります。その誤差は数メートルのオーダーです。(このずれの値は地図に使用したタイルの投影方法によって影響があるレベルです)②木柱と⑧稲荷神社の距離は70km余りあり、しかもほぼ中央に岩木山が立ちふさがっているので、見通すことはできません。この方向をほとんど誤差なく決めることができた古代人の能力たるや恐るべきものです。

 
  図S43 ②木柱と⑧稲荷神社間を引いた線は④八幡宮のほぼ真上を通る

 ①石塔山荒覇吐神社の位置と三内丸山遺跡にある②木柱の位置から、簡単な幾何学的規則で求められた⑧稲荷神社の位置はとても重要な意味を持っています。ここから、驚く展開があるのですが、ここでは次の結論が出るまで、それを棚上げして、①石塔山荒覇吐神社と入内石神神社(青森県青森市大字入内、位置)の関係について書きます。入内(にゅうない)の地名の意味は、青森のアイヌ語地名では(川の流れがゆるやかで木が集まっている場所)となっていますが、(入=丹生=水銀の原料である赤色硫化水銀、丹砂、朱砂などがとれた、内=ナイ=アイヌ語の川)の意味ではないかと考えています。「入内石神神社の近くにある聖水が腐らない。」とありますが、これは水銀の強い殺菌作用だった可能性があります。入内石神神社の位置が石塔山荒覇吐神社の位置とともに、東北地方の神社の位置を決める重要な聖地であるだけでなく、水銀鉱山の位置も示していたのかも知れません。

  ここでも、これまで説明した①石塔山荒覇吐神社と②木柱の関係と全く同じ要領で、入内石神神社がかつて聖地であったことを証明できます。ここでは⑦十和利山に代わって、戸来岳三ツ岳1,169.4m)が登場してきます。そしてその両方の神社の作るパターンから驚く結果が導かれます。この結果はあまりにも常識からはずれていますが、中学生でも理解できる簡単な理屈で、それが正しいことを証明します。


2017.1.18 記
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 石塔山荒覇吐神社についての認識は「槍玉その43  偽書「東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし」事件」に書かれている
【あそこはね、石ノ塔と言って、十和田様と山の神がそれぞれ祀られたちいさな祠と、湧き水があるだけの場所でした。十和田様は水の神様ですが、荒れ果てていて、キツネが出るような雰囲気でした。『外三郡誌』で聖地になっている? 前九年の役で敗れた安倍一族が眠っている? 安東氏の秘宝? 洞窟?炭焼きでいつも通った場所ですが、そんな話聞いたこともないです。地
元にもそんな言い伝えなんかないですよ。どうせ、また和田さんが言っている話しでしょう。和田と同じ飯詰地区に住む初老の男性は笑いながらいった。】

とあったり、偽書「津東日流外三郡誌の正体」でも「上記の写真を見れば石塔山神社も偽物だということがわかります。本物のあらはばき神社に失礼ですよ。」

 などと書かれているように、この神社については、古代重要な位置であったことは誰も知っていなかったことになります。それを知るには偽書とされている文書に頼るほかはなかったことになり、偽書の中にも真実があると考えざるを得ないのです。ここまで来ると、「宇宙より落下さる流星石をイシカ神、山に木の石となるをホノリ神、海や川に魚貝の石となれるをガコ神とせるは、古来よりの神像たり。先の「槍玉その43  偽書「東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし」事件」に書かれている「此の神像たるは
柱六本の三階高楼を築き、地階に水神、二階に地神、三階に天神を祀りて祭事せり。」とする記載も図S41と併せて見ると驚くほかはないことになります。

 しかし、ここでふと考えることがあったのです。「槍玉その43  偽書「東日流外三郡誌つがるそとさんぐんし」事件」にも書かれているように、ここで書かれている「石神」は石神=「宇宙より落下さる流星石をイシカ神」となっているのです。これからの説明で入内石神神社はこれまで説明した①石塔山荒覇吐神社の幾何学的配置は瓜二つであることを説明します。つまり、神社の配置から見ると入内石神神社=石塔山荒覇吐神社ですが、偽書とされた文書では両者の神社は異質になっていて、入内石神神社石塔山荒覇吐神社としか見ることができません。

  先に、「入内石神神社の位置が石塔山荒覇吐神社の位置とともに、東北地方の神社の位置を決める重要な聖地であるだけでなく、水銀鉱山の位置も示していた・・・・・・・」。と書いたのは、神社の配置から見る限り、石塔山荒覇吐神社は「金鉱石に関係し」、入内石神神社は「水銀鉱山」に関係しているとしか見えないのです。残念なことに、偽書とされた文書からこれが全く読み取れれないのは不思議でなりません。文書には「柱六本の三階高楼」とまるで見たように的確に書いているのに、石神は隕鉄です。このアンバランスは何でしょう。入内石神神社が、例えイシカ神とは無関係な神社であるとしても、神社配列から見ると同格な神社が一方は見たように詳しく、他方は全く触れていないのは、「三内丸山遺跡の木柱を見てから文書を書いたのではないか」とする疑念も生じてしまいます。少なくとも、ここでは偽書とされた文書は神社の配列が決まった時代のことを正しく書いているとはとても考えられないのです。1994年に木柱が発見される以前に公開された和田家文書に「柱六本の三階高楼」の記載が全く見つかっていないことも不思議なことです。それ以前の記載は「石神殿」だとする説もありますが、その証拠はどこにもありません。ここで、「石神」が入内石神神社を指しているとしたら、とても滑稽な考え方と言うしかありません。

 また、前置きが長くなってしまいましたが、これから石塔山荒覇吐神社と入内石神神社の神社配置が瓜二つと言うほど良く似ていることを説明します。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
図S44 ①石塔山荒覇吐神社-⑨入内石神神社のピギーバック点(図S38)に相当

 図S44は図S38と同じ意味を持っています。①石塔山荒覇吐神社と⑨入内石神神社の二点間では、ただ一本の線だけとなり、はったりで線を引くレイラインの手法と変わりません。ここでも同じように、HSCPの本領が発揮されます。これまで「線分間にピギーバック点(線分の両端をのぞんだ角度が直角になる点)があればその線分は古代人が意図的に引いたものである可能性が高い。」とする経験則(確率から見ても有意な事象)があります。

  ここでは、何と9本ものピギーバック線(桃色線)が成立します。⑪から⑲までがピギーバック点です。このような配列が偶然に起きることはなく、神社の配列が計画的になされていることは、良くわかるでしょう。ここで⑰の稲荷神社の90.00゜の誤差のない内角だけを見ても偶然では欠して起きない精度で神社が配置されています。
ここで、⑮法嶺院(青森県黒石市上十川長谷澤一番囲50)現在は日蓮宗の寺院ですが、過去は恐らく神社であったと推定しています。このような記録は残っていない場合が多く、その証拠を得ることが難しいことが多いのですが、HSCPで推定する限りではその可能性の高い寺院です。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
  図S45 線①-⑨に対する石塔山荒覇吐神社における直交線①-㉑、 図S40に相当

 次に図S40と同じように、「ピギーバックが成立する線分には、必ずと言っていいほど、その線に直角で交わる線がある」とした例がたくさん実在し、その例について何回も説明してきました。そこで、ピギーバックの存在する①石塔山荒覇吐神社と⑨入内石神神社に引いた線にも直交する線がないかさがしてみました。これを図S45に示します。すると、①から出た線は㉑大山津見神社(弘前市大字常磐野字上黒沢地内)に90.44゜で到着します。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S46 ①-⑨を延長すると⑳戸来岳(三ツ岳)に到着する、 図S42に相当

 次にまた、図S42と同じ理由で線分①-⑨を延長すると、⑳三ツ岳(戸来岳の最高峰1,164.9m)に90.27゜で到着します。この角度もまるで神が決めたようにすばらしい精度の直角になっています。ここで⑨に引いた線と⑳まで引いた線が0.17゜の角度差がある理由は、入内石神神社の位置が何かの都合で少しずれたもので、かつては⑨入内石神神社が①石塔山荒覇吐神社から⑳戸来岳に引いた線の真上にあったのではないかと考えていますが、確かなことはわかりません。

 このようにして、①石塔山荒覇吐神社と②三内丸山遺跡の木柱、⑨入内石神神社の位置は互いに幾何学的に関係し、一方は岩木山の南西に伸びる二つの線を作ります。他方、十和田湖の東側にある二つの神の山⑦十和利山⑳戸来岳(三ツ岳)に、神が作ったように正確な直角の線を作っています。このような事象が偶然にして起きることは滅多にないので、この神社配置は計画的になされていたことがわかります。しかも、三内丸山遺跡の建造時期から推定して、ここに登場する神社の位置が縄文時代に決定されていたことは明らかです。

 この発見は、これまでの常識を根底から覆すことになりますが、
ここに登場してきた神社や遺跡の位置はすべて現存しているもので、しかも国土地理院の公開された地図上にあり、誰でもそれを確かめることができるのです。しかもその信頼性は学問である確率論によって数値で確認することができるので
捏造する余地は全くありません。これまでの常識をはるかに逸脱した結論になりますが、これをどんな大先生も覆すことはできないでしょう。

  まだ気のついていない人が多いのですが、この発見を越えることは将来もなく、しかも世界でも類のない、革新的な発見であると本気で考えています。しかし、
日本には、優秀な古代史の研究者がたくさんいますが、その多くは「月には兎がいるはずだ」と月から帰還した宇宙飛行士に向かってその主張を続けているような人が多く、しかも存命中に、その考えを変えることができない状態の人がやたらと多くいることは残念でなりません。

 次は、図S42の⑧稲荷神社と図S21の㉑大山津見神社に伸びた二つの点から、驚く結果が得られます。

2017.1.23 記

 石塔山荒覇吐神社から始まって図S38から図S42までの作図の結果みつかった⑧稲荷神社の位置は果たして何を語っているのでしょうか?ここまで来ても、そんな図はただの作図の遊びに過ぎないと思っている先生方がたくさんいるようです。ここにいたっても、「
月には兎がいる」の考えから抜けられない人が多いのは本当に困ってしまいます。

 そこで、図S47を示します。図S47は①稲荷神社から②古富士ポイント静岡大学小山真人教授の主張されている、約三千年前の大噴火する前の富士山の位置)まで線を引きます。そこで線分①-②に対するピギーバック(PGB)点をさがします。すると、(桃色線)で示したように大湯環状列石で90.32度の直角線を持つピギーバック点があることがわかりました。さらに、これを拡大した図を図S48に示すように、大湯環状列石にある万座環状列石と野中堂環状列石の二つの環状列石の中心位置がピギーバック点になっていることがわかります。
 ここで、図S47の桃色線は大湯環状列石を神社群中心とした、干字状パターンの左側であると直感することができます。とすると左側のパターンもあるはずです。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(補正内角)
 稲荷神社①は図S42の⑧稲荷神社
 図S47 ①稲荷神社-②古富士ポイントのPGBは③大湯環状列石になる



 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(補正内角)
稲荷神社①は図S42の⑧稲荷神社 
 図S48 大湯環状列石付近の拡大図(それぞれの環状列石・中心位置がPGB点)

  そこで、大湯環状列石の万座環状列石、野中堂それぞれから古富士線に対して直角線を引きます。すると、ありました!!万座環状列石に対しては鵜鳥神社(岩手県下閉伊郡普代村第25地割字卯子酉25−13)、野中堂に対しては、前者と同じ神社名の鵜鳥神社(岩手県下閉伊郡普代村第二五地割卯子酉6番)がそれぞれ対応しています。鵜鳥神社は「うのとりじんじゃ」と読むようです。

 
稲荷神社①は図S42の⑧稲荷神社 
 図S49 大湯環状列石のT字状パターン

  ここで、二つの鵜鳥神社④、⑤を加えたT字状パターン(後に二つの干字状パターンになる)を示しました。もちろん、この図でも大湯環状列石では、万座環状列石と野中堂環状列石にそれぞれ分かれて線が入っていますが、図の縮尺ではそれを判別できません。完全な干字状パターンになった時点で改めて数値の入った拡大図を示します。

 このように、①稲荷神社は大湯環状列石と密接な関係があることがわかりました。まだその説明に入っていませんが、今後図S46の㉑大山津見神社も同じように環状列石と密接に関係してきます。


2017.1.26 記

  図S49の④鵜鳥神社、⑤鵜鳥神社の二つは神社群中心の特性を持ち、周辺の神社から来る直角線の収斂点となっています。④と⑤の距離は約440mしかありません。このような近距離で神社群中心が二つもあるのは珍しいのですが、両者の神社は正確なHSCPの規則を保ちながら周辺の神社とつながります。両者の神社群中心の二点から出た線が共通の屈曲点を共有しながら、別々に周辺の神社につながっていく様子は見事なものです。ここで、岩手県の南部では、⑤鵜鳥神社(卯子酉6)を出た直角線が中里不詳神社(岩手県岩泉町中里)で交わり、派生した神社群中心を作ります。津波で神社が消滅したのか?地理院地図には神社マークのない鵜磯ポイント(岩手県宮古市重茂第25地割)にも、二つの鵜鳥神社④、⑤と中里不詳神社を出た直角線の三本の線が交わり、派生した神社群中心を作ります。

 それらの神社群中心に、内間木洞 (岩手県久慈市山形町小国、位置) 、氷渡洞(岩手県岩泉町安家,位置閉洞)、安家洞(岩手県岩泉町安家、位置)、龍泉洞(岩手県岩泉町岩泉、位置)、滝観洞(岩手県住田町上有住、位置
注;200mほど離れた日蓮洞には到着する線がない)、蔵王洞岩窟(岩手県住田町上有住、位置関谷洞窟(岩手県大船渡市日頃市町、位置)、滝見洞(岩手県陸前高田市矢作町、位置)にも、直角線が到着して神社群中心の特性を持ち、周辺の神社から引いた直角線の収斂点となります。このようにして、二つの鵜鳥神社④、⑤を出発した線は岩手県の南部のほとんどの神社や洞窟につながる重要な神社群中心となります。
 
  一方、二つの鵜鳥神社の北側では、氷渡洞を出た二本の直角線と④鵜鳥神社を出た直角線が丹内神社(岩手県久慈市宇部町第5地割102)に到着し、派生的に神社群中心となります。後に説明しますが、丹内神社はキリストの墓とも密接な関係のある神社です。ここから見ると、キリストの墓の源流は石塔山荒覇吐神社にあることになります。丹内神社から出た直角線も二本の直角線が交わる点で、神社群中心を派生し、青森の神社まで到達します。一つの例として、高舘蒼前神社(岩手県久慈市宇部町第5地割102、位置)には丹内神社から出た二本の直角線が到着し、派生した神社群中心となり、ここから出た線も青森県の多くの神社に到達します。高舘蒼前神社は神社の研究もあまり進んでいない頃、暗中模索状態の中で試行錯誤の末に苦労して神社群中心を見つけた青森の神社の一つで、青森では一番最初に現地調査に出向いた懐かしい神社です。残念なことに、このとき神社の境内にあった大きなケヤキの木が伐採されてしまったようです。

 大湯環状列石の、万座環状列石に対して④鵜鳥神社(岩手県下閉伊郡普代村第25地割字卯子酉25−13)、野中堂に対しては、前者と同じ神社名の⑤鵜鳥神社(岩手県下閉伊郡普代村第二五地割卯子酉6番)がそれぞれ対応していて、この二つの神社は先に述べたように、岩手県では特に重要な神社となっています。この神社の源流も元をただせば、やはり石塔山荒覇吐神社に源流があることになります。

さて、二つの神社群中心、④、⑤の説明にすっかり手間を食ってしまいましたが、ここで大湯環状列石の干字状パターンに戻ります。干字状パターンは図S49から簡単に求まるように見えますが、大湯環状列石のT字状パターンに対応する神社は本土にはありませせん。それに対応する神社は北海道にあります。図S50と図S51からわかるように万座環状列石に対応する一段目の干字状パターンの中心には⑥南町神社が対応し、野中堂環状列石に対応する一段目干字状パターンの中心には⑦地神・馬頭観音が対応します。
 
図S50

 
図S50 大湯環状列石の干字状パターン(環状列石は下段にあった)


図S51

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(補正内角)
図S50 大湯環状列石付近の拡大図(PGB点内角と上段中心を望む補正内角) 

 このとき、大湯環状列石付近の干字状パターンの拡大図を図S51に示します。この図は大湯環状列石にある万座環状列石と野中堂環状列石の二つの位置や角度、間隔を見事に現しています。これまで、この二つの環状列石の位置について色々な説がありましたが、どれも正解ではなかったことになります。


2017.1.2 記
 
  図S51から、大湯環状列石の万座と野中堂の位置の謎が解明できました。この位置は、石塔山荒覇吐の位置と三内丸山遺跡の巨大木柱の位置から簡単な幾何学的規則から求めた十和利山から引いた直角線の真上にのる稲荷神社(図S42の⑧)の位置を左側端点とした干字状パターンの中心位置(古富士線との交点)だったのです。その干字状パターンで、右側の端点を図S49で示した鵜鳥神社鵜鳥神社とした二つの干字状パターンによって、万座と野中堂の位置が決まっていたことになります。

  このように、万座と野中堂にある二つの環状列石の位置は、これまで誰も予想したことのない奇抜な方法で位置が決まっていたことになります。「月に兎が居る」と未だに信じているような、常識から抜けることのできい人達にとっては、そんな馬鹿なことがあるわけはない、と信ずることができない人も多いに違いありません。しかし、
これまで見つかっている環状列石の位置が例外なく、干字状パターンの中心または端点になっていることが次第にわかってきます。環状列石の位置の謎はHSCPと古富士線の存在を認めない限り絶対に解くことができないのです。

 図S51は中学生でもわかる簡単な規則から見つかったので、拍子抜けをした人も多いに違いありません。しかし、干字状パターンの上段が北海道にあったことは、もしかしたらまだ信じられない人も多いかも知れません。その疑念もこれから晴らしていく予定ですが、その前に大湯環状列石の位置の謎にもう少し挑んで見たいと考えています。

 
大湯環状列石にはもう一つ大きな謎があります。昭和17年に大湯環状列石を発掘したとき、遺跡から金鉱石が一緒に出土したと書かれています。注;(参考 日本の環状列石 羽田正明著 大陸書房)

 これまで、HSCPの結線から環状列石と鉱山が関係ありそうなことを何度も書いてきました。しかし、
縄文遺跡から金が検出された記録は、私の知るかぎり先の書籍に書かれた事実以外に知りません。かつて自然金がたくさん採集できたと予想される日本の縄文遺跡から全く金が検出されないことは異常なことです。これは金が誰かによって厳しく管理されていたとしか考える方法がないのです。それでは、その金を管理していた人はだれでしょう?
 
 そうです。縄文時代としては考えられないほどの優れた測量能力を持っていて、精密なHSCPの規則で神社を全国に配置した「謎の人達」です。異国(シュメールか?)から来たこの謎の人達は、
まだ日本が国と呼べるように統一された状態ではないときに、優れた測量能力と移動能力(恐らくまだ発見されていない構造船による)を持ち、日本全国だけでなく世界を自由に行き来して鉱石を採集していたに違いありません。この謎の人達はその能力のゆえに住民から神のように恐れられていたのです。

  縄文時代の通過儀礼とされている抜歯も、あまりにも危険で苦痛を伴う行為です。もしかしたら、この行為はその謎の人達に対して恭順をした印であったり、謎の人達が勝手に付けさせた識別用の印である可能性も考えられます。あまり考えたくないことですが、環状列石付近から検出された燐などの成分は鉱石をうまく見つける祈りのときの生贄かも知れません。環状列石の位置が、その地域に住む住民ではなく、全国を鳥瞰できるような優れた能力のある人によって決めたられたと考えられます。その証拠は★石の宝殿、益田岩船と環状木柱列(ウッドサークル)・環状列石(ストーンサークル)との驚く関係の図S56、図S57でも示されています。

  HSCPの規則による神社配置は北海道から沖縄まで同じ規則でシームレスにつながっています。これまでの常識ではとても考えられないことですが、先の「謎の人」の存在を考えれば、何も不思議もありません。
最近、沖縄県北谷町の平安山原B遺跡から大洞系土器(旧、亀ヶ岡式土器)が検出されました。これまでの考古学では考えられない事件ですが、これも当たり前のことになります。神津島の砂糠崎からとれる黒曜石が手漕ぎの丸木船では絶対に越えることのできない黒潮を越えて本土にもたらされた理由も同じでしょう。礼文島の船泊遺跡から南海産のイモ貝が検出されるなどもすべて同じ理由です。

  この証拠は、神社の配置だけでなく、最近の遺伝子解析の急速な進歩で可能になったY染色体の解析で、必ず明らかになると信じています。この「謎の人」は男性が多かったでしょう。当然のことですが、これまでのミトコンドリアDNAの解析からでは現地の女性が持つ遺伝子しか残りません。Y染色体の解析でも、すでにわかっている縄文人の多数が持っていたと思われるハプログループD1b からは、まだその真実が見えないでしょう。多数の現地人が持っていたものとは異なる、少数の遺伝子グループからそれが見つかる可能性があります。「謎の人」は個体数が少ない上に、Y染色体の遺伝子解析は、単純なミトコンドリアDNAの遺伝子解析と比較すると困難で手間もかかりますが、必ずやその秘密を解き明かしてくれるものと期待しています。
  
  また、前置きが長くなってしまいましたが、再び大湯環状列石に戻ります。大湯環状列石の万座と野中堂、二つの環状列石の位置は図S51に見られるように、万座環状列石、野中堂環状列石と矢印で示した干字状パターンの交差する点が環状列石の中心位置になります。この位置は、Google Map、Yahoo地図、地理院地図それれぞれで、わずかずつずれています。同じ地理院地図でも標準地図とその衛星写真でもわずかなずれがあります。ここでは標準地図の位置から、万座野中堂として説明して行きます

  図S51の万座環状列石野中堂環状列石の円環の二つの中心位置は神社群中心の特性を持ち、周辺の神社から来る直角線の収斂点となっています。二つの距離は約135mしかありません。このような近距離ですが、それぞれの中心位置は神社群中心となっています。ここでも、両者の中心位置は正確なHSCPの規則を保ちながら周辺の神社とつながります。両者の神社群中心の二点から出た線が共通の屈曲点を共有しながら、正確な直角線となって周辺の神社につながっていきます。

  この見事な様子は図にすれば良くわかりますが、その全部を同時に示すと線が多くなり、はじめての人はただ驚くだけです。ここで代表的な線を取り上げて図S52と図S53に示しました。ここでは、万座を出た線(青色)は白山神社を経由して内角89.76゜のすばらしい直角精度で神田沢ポイントに到着します。さらに同じ万座を出た線が(青色)は丑道ノ下不詳神社を経由して内角89.70゜のこれまたすばらしい直角精度で同じ神田沢ポイントに到着します。

 また、野中堂を出た線(緑色)は白山神社を経由して内角89.90゜の内角で五ノ宮権現神社に到着します。さらに同じ野中堂を出た線(緑色)は丑道ノ下不詳神社を経由して内角90.15゜のこれまたすばらしい直角精度で同じ五ノ宮権現神社に到着します。
 言い換えれば、万座と野中堂の二つの異なる環状列石の中心位置から出た線は、白山神社と丑道ノ下不詳神社をの二つの経由点で直角線となり、五ノ宮権現神社と神田沢ポイントの二つの点で収斂します。

 
 図S52 万座と野中堂を出た線が白山神社と丑道ノ下不詳神社
を経由し、五ノ宮権現神社と神田沢ポイントに収斂する。

 この様子を図S52に示しますが、問題となるのは、万座から出る青色の線の収斂点である神田沢ポイントには神社がありません。しかも、万座から出た青色の線は図S52で示すように、白山神社と丑道ノ下不詳神社の二つの神社を経由して直角線となり、神田沢ポイントで鋭角で交差します。この角度はあまりにも鋭角で交差する位置を求めようとしても正確に求めることが難しい状態になります。ここで、二本の直角線が交わったとき、その点が必ず神社群中心となる経験則が生きてきます。神田沢ポイントの位置が周辺の神社から来る直角線の収斂点である条件を入れるとその位置をより正確に求めることが可能となります。この方法で神田沢ポイントの位置を求めると、
北緯40度07分58秒83 、東経140度50分33秒83となります。(十進では 40.13301,140.84273)

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
 図S53 白山神社と丑道ノ下不詳神社を経由するときの内角
(青線は万座、緑線は野中堂を出た線)

2017.2.10 記

  この神田沢ポイントの位置を入れ、図S52に示した直角線の内角を求めると、図S53に示した内角になります。白山神社、丑道ノ下不詳神社どちらの内角も図S53で示すようにすばらしい直角精度で、このような内角が偶然に起きる大雑把な確率は1/500~1/3000の確率です。しかも、それが同じ点で交わるとした特異な事象ですから、神社配置がランダムに配置されているとしたら決して起き得ない特異な事象です。さらに、二つの直角線の五ノ宮神社付近は神社の分布密度の極めて低い場所です。ここから見ても図S52の神社配置は計画的に成されている決定的な証拠にもなります。ここで注目するこことは神田沢ポイントには神社がありません。

 
 図S54 神田沢ポイント

 一体この神田沢ポイントの位置は何を意味しているのでしょう?。神田沢ポイントは図S54で示すように湯瀬温泉から北1km余り北側の標高725m付近の頂上でも何も無い、中途半端な位置にあります。しかも道もない場所で一般の人は到達するには難しい場所にあります。もしかしたら、金などの鉱石の出る場所ではないかと考えましたが、残念なことに五ノ宮嶽層は植物化石を産する湖成堆積物を含有する層で、その可能性は非常に低いものと考えられます。五ノ宮嶽は東北では珍しく継体天皇に関わる伝説のある山です。しかし、神田沢ポイントの位置が定まった時期は縄文時代であり、4世紀頃とされている継体天皇と関係することはあり得ないことですが、この山は謡曲などでも古くから語られていた山のようです。ところで、神田沢ポイントが鉱山と直接関係がないとすると、このポイントは何を意味し、しかもそこにはなぜ神社が存在しないのでしょう?。驚くことに、このポイントは山内丸山遺跡にある巨大木柱の位置と幾何学的に強い相関があることがわかったのです。

2017.2.24 記

 図S55は神田沢ポイントと巨大木柱(山内丸山遺跡)の間を結んだ直角線を示したものです。この間を結ぶ直角線は±1度以内の直角精度では56本もあります。さらに、この精度を上げて±0.2度としても17本もの直角線が存在します。直角精度が0.2度とすると、このような角度が偶然に起きる大雑把な確率は1/500です。このように珍しい事象が17回も起きているのいるので、やはりこの神社配置は計画的に配置されていると考えざるを得なくなります。

 このように珍しい特異点である神田沢ポイントは非常に興味のあるポイントです。ここには、現在神社が見つかっていないので、なおさらその興味も深くなります。その場所についての可能性を考えると・・・・

 1.古代の神社(最初は神社ではなかったかも知れない)の原始の姿が残っている。
 2.過去は神社があったが朽ちてしまって見つからなかった。
 3.何も印はないが、地下に金などが埋蔵されている。

この三項目について見ると・・・・・

 1.に相当するものはまだ見つかっていません。北海道の神社を例にとれば、明治期に開拓民が最初に原野の中で見た小祠とは一体どんなものだったのでしょう、「小祠の盲信を禁ず」の禁令が出たこともあるので、何らかの形をしていたものと思われますが、それがどんなものかわかりません。禁令を無視してその場所に現在の神社と似た建物を建ててしまえば、禁令をおかしたことはわからなくなります。代わりに、以前からあった小祠は完全に姿を消してしまい、はたしてどんなものがそれまであったかは全くわからなくなってしまいます。また、本土から祭神を勧請すれば本土の神社と全く区別のつかない神社になってしまいます。北海道に限らず、全国でも同じようなことがあり、初期の神社(神社ではなかった可能性がある)は完全に姿を消してしたまったものと考えられます。神田沢ポイントにはそのような変更が加わっていない、原始の姿を持った「何か」が発見される可能性があります。

 2.は過去に神社があったとすれば、付近を発掘すれば何らかの神社の遺物が見つかるでしょう。

 3.これまで、金鉱石の産出する場所と神社の配列は無関係ではないことがわかっています。また、大湯環状列石から金鉱石が検出された記録もあり、環状列石が金の採集と何らかの関係があることは明らかです。それにもかかわらず、縄文遺跡から金や金製品が全く検出されないことはとても不思議なことです。原始の日本は、自然金も豊富にあり、その採集は容易であったにもかかわらず、その金が全く検出されないことは不自然極まりない事実です。

 当事、金は先に述べた「謎の人」によって厳しく管理されていたに違いありません。それではその金は何処へ行ったのでしょうか?。当然異国から金の採集に来たのがはじまりと考えられますから、採集した金は本国に持ち帰られたでしょう。しかし、当時は世界中がまだ安定した状態ではなく、持ち帰るべき国が侵略で消滅してしまうなど、色々なことが考えられます。そのような事を考えると採集した金の一部は何処かに隠されている可能性もあります。もしそうなら、その隠されている場所はどこでしょうか?。
 
 現在その候補として有力な場所が神田沢ポイントです。聖地である石塔山荒覇吐神社や、山内丸山遺跡の巨大木柱の位置、さらに最も大きな環状列石である大湯環状列石の位置とも幾何学的に密接に相関があり、しかも深い山中にある神田沢ポイントがその候補として考えられます。偶然かも知れませんが図S55では木柱に一番近い56番の戸建沢神社は金に関係のある「炭焼き藤太」の伝説があることも気になる事実です。参考 炭焼き藤太


 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による
番号 ポイント名 経由点住所 緯度度・分・秒
経度度・分・秒
10進緯度,経度
内角度
1 351mPeak 青森県青森市大字滝沢 404821.93 1405246.22 40.806091,140.879506 90.16
2 銀南木不詳神社 青森県上北郡七戸町字銀南木 404312.94 1410513.39 40.720261,141.087052 89.62
3 太子山神社 青森県上北郡七戸町 404251.26 1410536.52 40.714239,141.093478 89.79
4 左組不詳神社 青森県上北郡七戸町左組65-27 404204.87 1410606.02 40.701351,141.101672 90.64
5 嶽八幡神社 青森県上北郡七戸町高屋敷22−1 404113.93 1410729.77 40.687202,141.124937 89.77
6 西槻木不詳神社 青森県上北郡七戸町字西槻木 404102.32 1410703.78 40.683979,141.117717 90.99
7 見町観音堂 青森県上北郡七戸町見町18 404013.03 1410809.67 40.670286,141.136019 90.41
8 気比神社 青森県十和田市深持後平29 403741.87 1411032.36 40.628297,141.175656 89.62
9 大沼龍神 青森県十和田市深持南平 403700.26 1411047.67 40.616739,141.179907 89.98
10 新山神社 青森県十和田市赤沼下平283-1 403556.92 1411055.30 40.599143,141.182029 90.92
11 切田不詳神社 青森県十和田市大字切田 403443.39 1411200.37 40.578721,141.200103 89.88
12 加茂神社 青森県十和田市大字米田 403334.01 1411227.71 40.559449,141.207696 89.84
13 米田不詳神社 青森県十和田市大字米田 403211.42 1411243.27 40.536505,141.212019 90.14
14 滝沢不詳神社 青森県十和田市大字滝沢 403141.05 1411311.14 40.528069,141.219760 89.41
15 正善堂(馬頭観音) 青森県五戸町大字倉石又重(正善山山頂) 402913.70 1411255.78 40.487138,141.215494 90.63
16 流音山大権現 青森県三戸郡五戸町倉石又重太田 402907.62 1411330.03 40.485450,141.225008 89.42
17 蛇沼不詳神社 青森県三戸町大字蛇沼 402354.60 1411226.81 40.398499,141.207448 90.33
18 袴田不詳神社 青森県三戸町大字袴田 402251.24 1411215.68 40.380899,141.204356 89.97
19 稲荷神社 青森県三戸郡三戸町斗内田屋ノ下58 402119.24 1411139.52 40.355345,141.194310 89.87
20 野月不詳神社 青森県三戸郡三戸町斗内野月32 402106.58 1411132.84 40.351829,141.192455 89.89
21 斗内不詳神社 青森県三戸町大字斗内 402055.01 1411123.77 40.348614,141.189935 90.02
22 北野不詳神社 青森県三戸町大字斗内 402052.21 1411148.97 40.347836,141.196936 89.01
23 柳沢不詳神社 青森県三戸町大字斗内柳沢 402037.07 1411118.76 40.343632,141.188544 89.85
24 駒形神社 青森県三戸町大字斗内 401858.68 1411035.04 40.316299,141.176399 89.26
25 乗上不詳神社 青森県三戸町大字斗内乗上 401843.28 1411008.52 40.312021,141.169032 89.88
26 熊野神社 岩手県二戸市上斗米 401649.69 1410856.78 40.280468,141.149106 89.18
27 浄法寺不詳神社 岩手県二戸市浄法寺町 401446.83 1410628.67 40.246340,141.107964 90.16
28 駒形神社 岩手県二戸市浄法寺町 401209.50 1410307.77 40.202639,141.052157 89.49
29 竜ケ森 岩手県八幡平市小峠 400942.85 1405756.10 40.161902,140.965584 89.57
30 道ノ下不詳神社 岩手県八幡平市日泥道ノ下 400913.27 1405609.95 40.153686,140.936096 90.63
31 大葛不詳神社 秋田県大館市比内町大葛二タ又 400805.43 1404135.13 40.134842,140.693091 90.63
32 大渡不詳神社 秋田県大館市比内町大葛大渡 400836.14 1403838.63 40.143374,140.644064 90.40
33 中野不詳神社 秋田県大館市比内町中野 400932.72 1403435.99 40.159089,140.576664 89.24
34 彌助不詳神社 秋田県大館市比内町谷地中 401023.08 1403330.79 40.173077,140.558552 90.99
35 水沢不詳神社 秋田県大館市比内町白沢水沢 401121.34 1403042.10 40.189261,140.511695 89.66
36 田沢不詳神社 秋田県北秋田市栄田沢 401423.96 1402631.65 40.239988,140.442124 90.39
37 熊野神社 秋秋田県北秋田市綴子字西館47 401525.97 1402438.36 40.257226,140.410708 89.03
38 戸形神社 秋田県大館市長坂66 401554.65 1402439.83 40.265179,140.411064 89.99
39 大畑神社 秋田県北秋田市綴子字西館46 401640.61 1402334.65 40.277947,140.392958 89.30
40 綴子不詳神社 秋田県北秋田市綴子 401754.11 1402244.05 40.298364,140.378904 89.63
41 沢田神明宮 青森県弘前市沢田園村15 403355.93 1401945.43 40.565537,140.329285 89.11
42 三日月神社 青森県弘前市大字吉川字山上 403510.87 1402038.87 40.586352,140.344130 89.96
43 薬師神社 青森県弘前市大字百沢 403538.42 1402027.13 40.594004,140.340870 89.02
44 稲荷神社 青森県弘前市大字国吉字坂本24 403542.67 1402051.12 40.595187,140.347534 89.85
45 三本柳不詳神社 青森県弘前市百沢三本柳 403628.29 1402056.33 40.607859,140.348981 89.13
46 大山祇神社 青森県弘前市大字新法師 403646.08 1402152.56 40.612799,140.364601 90.91
47 牧野不詳神社 青森県弘前市楢木牧野 404108.85 1402507.20 40.685792,140.418668 90.43
48 鬼神社 青森県弘前市大字鬼沢字菖蒲沢151 404109.21 1402457.23 40.685891,140.415898 90.00
49 稲荷神社 青森県弘前市大字楢木字用田24 404123.62 1402520.45 40.689896,140.422348 90.34
50 白山神社 青森県弘前市大字鬼沢 404130.07 1402500.62 40.691685,140.416838 89.23
51 赤倉神社 青森県弘前市大字種市字熊谷48 404207.18 1402611.55 40.701993,140.436542 90.44
52 八幡宮 青森県北津軽郡板柳町大字野中字若松69 404320.74 1402734.89 40.722428,140.459693 90.01
53 稲荷神社 青森県北津軽郡板柳町狐森 404350.61 1402837.60 40.730726,140.477110 90.90
54 八幡宮 青森県北津軽郡板柳町牡丹森鴨泊25 404439.37 1402913.43 40.744270,140.487064 89.06
55 八幡宮 青森県北津軽郡板柳町大字五林平字細田90 404457.85 1403020.51 40.749403,140.505697 90.65
56 戸建沢神社 青森県青森市鶴ケ坂早稲田 404813.20 1403838.78 40.803667,140.644105 89.21
 図S55 山内丸山遺跡の木柱位置と神田沢ポイントを結ぶ直角線(内角90゜±1度以内、赤文字±0.2度

2017.3.14 記

  未だに図S55を見ても驚かない人がいるようです。「日本は神社が多いから、その中から適当に神社を選べはそのような線は簡単に引ける」と文学的な表現でHSCPを否定し続ける人達です。何度も書くように、このような人達は「月から帰還した宇宙飛行士に向かって、月には兎がいる」と主張していると同じように、誤った常識から抜けられない人達です。そのような人達は図S56を見てください。図S56は山内丸山遺跡にある巨大木柱列の中心位置から神田沢ポイントに引いた直角線(図S55)に周辺の神社の位置を赤丸で追加した図です。

 赤丸の直径は実距離で実際の距離の250mに相当します。この250mの距離は、例えば図55の56番にある戸建沢神社の例では、神社の位置が250m北にずれたとするとその内角は約3%も増加する大きさです。±0.2゜度の直角精度を考えるとこの円の直径の250mはとてつもなく大きい値となります。

 距離のズレに対する内角の変化は木柱または神田沢ポイントのどちらかの端点に近づくほど大きくなります。ここで、両者の端点から遠く、内角の変化の少ない例として図S55にある19番の稲荷神社では、西側に250mずれると約0.4%内角が増大します。

 このような知見を持って図S56を見れば確率を信じるまでもなく、「日本は神社が多いから・・・」の考えが間違いであることに気付くでしょう。
 

 
 図S56 山内丸山遺跡の木柱位置と神田沢ポイントを結ぶ直角線と周辺の神社分布 
印は地理院地図に表記されたすべての神社、印・円の直径の実距離は250m)

  それでも、誤った常識から抜けられない人達は北海道までつながった図S50を見ただけで笑ってしまうに違いありません。そのように言う私自身も、HSCPの研究を始めた当初は、まさか沖縄から北海道まで、神社の配列がシームレスにつながっているとは夢でも見ることがありませんでした。その頃であれば、私も図S50を見ても信ずることはできなかったでしょう。今なら、笑い話になりますが、新潟県から引いたHSCP線が新潟県から山形県にかけて不連続になるであろうと、胸をときめかせて線を引き、その不連続になる位置を見つけようと必死になったときがありました。HSCPを使って、未だに見つかっていない「沼垂柵」の位置がわかるのではないかと真剣にに考えていたのです。最初の頃はHSCPの線引も幼稚で、線を引く地図も電子地図ではなく、地域別に別れた国土地理院の地図を切り貼りしたものを使っていて、部屋の中が地図だらけの状態でした。この頃は実際に新潟県の神林村あたりで、不連続の場所らしいところを見つけて興奮したときもありました。しかし、それも切り貼りした地図では限界があり、考えている用途にはとても使えないことを思い知らされたときでした。

  そのような過去もあるので、国土地理院の地図がシームレスな電子地図になり、それを使うことで、HSCPの線が青森まで連続につながっていることがわかった時は本当に驚きました。ましてや、東北から北海道までもHSCP線が連続して引けるようになったときは大いに当惑しました。そして、北海道の歴史に関する本をどれだけ読んだかわからなくなるほど、手当たり次第に読みました。しかし、そこにはその当惑から逃れるようなことはどこにも書かれていませんでした。

  読んでもあまり興味の持てない北海道に関わる多くの著書の中で、昨年出版された「アイヌと縄文 瀬川拓郎氏 筑摩書房」はわかりやすく、縄文時代からの北海道を通史で説明しています。しかし、ここでもその問題を解決しそうなヒントすら得ることができませんでした。この本には、神社に関わることは一言も書かれていません。瀬川拓郎氏は考古学が専門です。どうしても専門のせまい領域からの発想になってしまうのでしょう、ここにあるアイヌと現代日本人とのつながりに関わる記載は明らかに飛躍し過ぎです。北海道の神社の配列に関わる事実を瀬川氏が知っていたとすれば、もっと面白い内容になったであろうと思うと残念でなりません。

  ここで、再び大湯環状列石の干字状パターンに戻ります。図S50の干字状パターンの上段が北海道にあることに、疑問を感じる人もたくさんいるに違いありません。
しかし、この干字状パターンも小牧野遺跡で検証した検証方法と同じ方法を使い、それが確かなことが学問である確率から明快に説明できます。しかも、万座と野中堂の二つ並んでいる環状列石に対して個別に、同じ検証方法でその配列が正しいことを判定することができます。こんな事象が偶然に起きることは絶対にあり得ません。どんなに偉い先生方も、これを否定することはできないでしょう。これは、神社の発祥に関わるこれまでの説はすべてが間違いであったことが理論的に証明されたことを意味します。同時に、谷村健一氏の北海道の神社に対する考え方も根本から大きな勘違いをしていたことも確かになるだけでなく、常識となっている柳田國男の民俗学も根底から崩れることになります。

  その検証をする前に、大湯環状列石の干字状パターンで上段のパターンを求める方法を説明します。はじめに、古富士ポイントから、万座と野中堂それぞれの中心位置に線を引き、さらにその線を北側に延長します。そしてその延長線の付近に神社がないかを調べます。そこで見つかる神社を以下に10進の(緯度,経度)で書くと、
 
注;以下で、( )内の緯度と経度の値を同時にコピーし、それを地理院地図の検索枠に貼り付けて「enter」キーを押すと、指定した位置が地図の中心を示す十字線の位置に表示されます。

①(40.841341,141.039467)烏帽子岳神社(青森県平内町大字狩場沢)
②(41.296537,141.227966)第一位赤坂稲荷神社(青森県むつ市大字田名部字上道87番7)
③(41.298493,141.227121)巌島大明神(青森県むつ市大字田名部下道)
④(41.312833,141.231433)早掛平稲荷神社(青森県下北郡東通村大字大利字早掛平)
⑤(42.909368,141.888832)旭不詳神社(北海道安平町追分旭)
⑥(43.145276,141.985134)八万神社(北海道岩見沢市栗沢町万字幸町)
⑦(43.547302,142.151152)班渓神社(北海道芦別市常磐町)
⑧(43.733477,142.230865)神居古潭神社(北海道旭川市神居町春志内)
⑨(44.132730,142.393540)地神・馬頭観世音(北海道剣淵町藤本町)
⑩(44.156104,142.399700)南町神社(北海道士別市南町東三区)
の点に神社があります。それぞれの点に対して

1.神社群中心(周辺の神社からの直角線の収斂点)であるか?
2.古富士線に対して直角に引く、T字状パターンを作る神社が存在するか?

以上の二つの条件に合うポイントであるかどうかをここで検証します。

 すると、⑨(44.13273,142.39354)地神・馬頭観世音と⑩(44.156104,142.399700)南町神社が残ります。そこで、古富士線に対するT字状パターンを書き、さらにT字状パターンの横棒に対してピギーバック点があるかどうかを検証します。ここで、⑥八万神社も神社群中心の特性を持ち、該当しそうなポイントになりますが、この点については後に明らかになります。


2017.3.19 記

  さて、ここで残った⑨地神・馬頭観音、と⑩南町神社は図S51に示すように、⑨地神・馬頭観音は野中堂の環状列石、⑩南町神社は万座の環状列石に対応します。そして、その干字状パターンは図S50となります。当然のことですがこの干字状パターンの上段の線分にも、これまで説明した多くの干字状パターンと同じようにピギーバック配列があるはずです。ここでは、説明を簡単にする目的で、まず上段左側の線分に対するピギーバック点(線分の両端を望んだ角度が直角になる点)を見てみます。ここでも信じられないような驚くことがあります。

図S57

 
内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 )
 図S57 線分⑥南町神社-⑧苫前神社に対するピギーバック点⑬了善寺

 図S57は大湯環状列石にある万座を神社郡中心とした干字状パターンの上段左側の線分⑥南町神社-⑧苫前神社に対するピギーバック点が⑬了善寺にあり、その内角が89.41゚であることを示しています。ここで了善寺(北海道幌加内町字沼牛、写真)は現在、真宗大谷派の寺院です。しかし、この場所には以前は神社があったことをHSCPでは示しています。もし、神社でなかったとしたら、かつて北海道の原野にあり、明治政府が小祠の盲信を禁ずるとした、禁令を出した小祠そのものがあった位置に寺院が建てられたに違いありません。HSCPで神社群中心の位置にありながら、現在はその位置が寺院となっている例は本土でもあります。実際にそこを尋ねると、かつて神社のあった証拠の鳥居があったり、境内の片隅に小祠がある例もありますが、そのような証拠も全くなく、寺の由緒や伝承にもかつて神社であった証拠も全く見られない例もあります。

  佐渡の玉蔵寺(新潟県佐渡市莚場813、真言宗、神社群中心の位置にある)を尋ねたときは、寺の総代もそれを全く知らず、過去に神社であったなどとんでもないと頑強に言い張っていました。しかし、寺の片隅にある小屋の中をさがすと、写真S1に示すように、過去に鳥居が寄進されていた記録が見つかり、やはり過去は神社であった証拠が見つかった例もあります。総代はこれで寺にないはずの「御守護」があった謎が解けたと感心していました。このように、
寺の由緒や伝承など全くあてにならないのです。

 
 写真S1 玉蔵寺(佐渡市莚場813)の小屋にあった鳥居寄進の札
撮影2008年6月

 さて、了善寺の場合はどうでしょうか?。由緒や伝承がどうあろうと、確率から見て絶対に過去は神社であったことは間違いないのです。 その決定的証拠は⑬了善寺がピギーバック点にあるだけでなく、その位置が重要な神社群中心の位置にあることです。さらに続いて驚くことがあります。

図S58

 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 )
 図S58 線分⑨小川神社-⑦地神・馬頭観世音に対するピギーバック点⑬了善寺

 図S58は大湯環状列石にある野中堂を神社郡中心とした干字状パターンの上段左側の線分⑦地神・馬頭観世音-⑨小川神社に対するピギーバック点が⑬了善寺にあり、その内角が90.88゜であることを示しています。つまり、大湯環状列石にある万座と野中堂それぞれ別の環状列石に対する異なる干字状パターンの上段左の線分に対するピギーバック点が同じ点⑬了善寺にあるのです。こんなことが偶然にして起きることは絶対にないと言い切ってもおかしくないでしょう。元から言うと、図S37の大金鉱山の干字状パターンの二段目などから端を発し、石塔山荒覇吐に収斂したHSCP線が図S50の①稲荷神社を経由し、再び大湯環状列石の万座と野中堂で別れ、古富士線によって⑥南神社、⑦地神・馬頭観音に到着、再びその上段干字状パターンのピギーバック点で一致するとした極めて特異な事象がここに現存しているのです。しかもその事象は現存している神社の位置と二つの環状列石の位置によって決まっているので、地図さえあれば、だれでもそれを確かめることができるのです。
 
 ここにも、重要な事実があります。
 1.現存する神社の位置は、環状列石の中心位置と確率から見て決して偶然ではない幾何学的相関がある。
 2.神社と環状列石の中心位置の相関を示す線は、本土と北海道間をシームレスにつながっている。
 3.環状列石は古富士ポイントと強い相関がある。

  この三点から見るだけでも、日本の神社についてのバイブルともなっている谷川健一編「日本の神々」白水社 には最も重要な歴史的事実が欠けているだけでなく、大きな間違をおかしていると断定することができます。
 
 
図S50は上記1.から3.の重要な証拠となっています。図S50を見て笑ったり、無視していた人達も、これまで大きな勘違いをしていたことにようやく気づいたに違いありません。この図の検証はまだはじまったばかりです。この後も次々とこの図が確かである証拠の羅列が続きます。

2017.4.2 記

  次は図S50を図S20の小牧野遺跡の例と同じように検証し、偶然や作為的な作図によるものではないことを説明する予定でいました。しかし、図S50は未だに月に兎がいると本気に考えているような誤った常識を信じている人達にとっては、レイラインと同じ手法による、ハッタリの線にしか見えず、せっかくの説明も読もうとする興味もわかないないようです。

 常識を崩すことは本当に難しいものですね。さらに、その誤った常識を後押しをする著名人が多いと、どこの馬の骨がわからないような者がいくら説いても見向きもされないようで本当に困ったものです。
今となれば、文化功労賞を受賞した功績を持つ受賞者の神社発祥に関する考え方は、世界でも類のない奇妙な日本の古代の姿を明らかにするには、百害あって一利なしの状況にあることを本気で憂いています。

 ここで、その憂いが少しでも減ってもらうことを願って、説明の順番を急遽変更しました。ここで、図S50を検証するには、図S20の検証方法を理解していれば誰でもご自分でそれを試すことができます。ここでは、その検証をとりあえず皆様におまかせするとして、掲示板のスレッド194の説明をさらに詳しく説明することにしました。図S59は③了善寺(北海道幌加内町字沼牛、写真)から②北野神社を経由して①フゴッペ洞窟に89.53゜のまるで神様が設定したような直角精度で到着している様子を示したものです。神社がランダムに分布していると仮定するとこのような精度で線が偶然にして引ける大雑把な確率は1/200です、これは直線の方向が定まっていない確率であり、
この方向を固定すると、その確率は桁違いに小さくなります。さらに、①フゴッペ洞窟、②北野神社、③了善寺の三点がすべて神社群中心であり、周辺の神社から引いた直角線の収斂点である特異性を考慮すると、偶然では決して起きない確率になります。図C3にあるように、了善寺からは、他に二本の直角線がフゴッペ洞窟に到着しています。この事象も考慮すれば、さらにそれは絶対と言えるほど確かになります。

  先にも述べたように、石塔山荒覇吐神社から出発し、理論付けられた通りの順序で説明のできるピギーバック点の③了善寺(図57または図S58では⑬で示した)を出た線が②北野神社(北海道上川郡鷹栖町14線3号6)を経由して、正確な直角線として①フゴッペ洞窟に到達している現実を見て、まるで手品かイカサマに見えるかもしれません、しかしこれは驚きの始まりに過ぎません。
ここで、石塔山荒覇吐神社から了善寺に至るまでの説明を、風が吹けば桶屋が儲かることわざ程度でしか見ていなかった方々は、ようやくここで目が覚めるのではないでしょうか?。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 
 図S59 了善寺③からフゴッペ洞窟に伸びる正確な直角線 (内角の出現確率は1/200)


2017.4.24 記

 ここでもまだ図S59は偶然に過ぎないと考えている人も多いかも知れません。そうですね、これがもし本当なら、北海道の神社のほとんど゛が明治期にできたとする常識が誤りだったことになるのですから、その考えはあたり前かも知れません。そこで、図S60を示します。ここでは図S59と同じ場所、大湯環状列石の干字状パターン上段左の線分に対するピギーバック点である了善寺③から④富山神社(北海道栗山町字富士)を経由して90.29゜の正確な直角線で⑤手宮洞窟に到着しています。これも偶然の成せる事象でしょうか?。手宮洞窟もフゴッペ洞窟と同じく、縄文海進時にできた海食洞窟で洞窟の壁には良く似た壁画があり、続縄文時代の遺跡とされているものです。

 
  内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 
 図S60 了善寺③から⑤手宮洞窟に伸びる正確な直角線 (内角の出現確率は1/380)

2017.4.25 記

 図S50の大湯環状列石の干字状パターンの上段左側を拡大し、さらに線分⑥南町神社-⑧苫前神社と線分⑦地神・馬頭観音-⑨小川神社のピギーバック点⑫菊野不詳神社(北海道和寒町字菊野)と⑬了善寺を入れたものです。ここに見られるように両者の線分に共通なピギーバック点の他に⑦地神・馬頭観音-⑨小川神社の線分に対して⑫菊野不詳神社があります。

 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 )  
 図S61 大湯環状列石干字状パターン上段左付近拡大図(図S50の部分拡大)とピギーバック点


このピギーバック点(後の都合で図S61にあるピギーバック点⑫を⑥に変更してあります)⑥菊野不詳神社から⑦南扇山不詳神社(北海道富良野市字南扇山)を経由した直角線が89.60゜で①フゴッペ洞窟に到着する様子を示しています。


 
 内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 
  図S62 ⑥菊野不詳神社から①フゴッペ洞窟に伸びる正確な直角線 (内角の出現確率は1/250)

 図63、は図62と同じピギーバック点⑥菊野不詳神社から⑧美園神社を経由して①手宮洞窟に到着する様子を示しています。

 
内角の計算は 国土地理院の距離と方位角の計算による(距離が100kmを越えると内角は補正内角 
  図S63 ⑥菊野不詳神社から⑤手宮洞窟に伸びる正確な直角線 (内角の出現確率は1/260)

  掲示板のNo196に書いた「フゴッペ洞窟と手宮洞窟は大湯環状列石の干字状パターンに対して全く相似の特性を持っている」とした意味は図59と図60または図61と図62に示したように①フゴッペ洞窟、⑤手宮洞窟それぞれを出た直角線が大湯環状列石の干字状パターンのピギーバック点の同じ点に到着していることを意味しています。説明の都合で干字状パターンのピギーバック点からはじめましたが、もちろんこの特性は大湯環状列石の干字状パターンの総ての端点に対して同じようにフゴッペ洞窟と手宮洞窟の二箇所から直角線が到着します。もし神社がランダムに分布しているとしたら、絶対にこのようなことが起きることはありません。

2017.4.27 記

このペーシは書きかけです。まだまだ驚くことが続きます。

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