Wikipedeaでは神社の起源について下記のように書かれています。
神社の起源は、磐座(いわくら)や神の住む禁足地(俗に神体山)な
どでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、本
来は常設ではなかった。例としては沖縄の御嶽(ウタキ)のようなもの
だったと考えられる。
これは何を証拠にこのように書いているのでしょうか?誰が未だにこ
のようにとんでもない主張をしているのでしょう。
Wikipedeaの「大神神社」の検索では「三諸山そのものを御神体(神体
山)としており」と書かれています。先の主張はこれをヒントに学者が
何の証拠もなくこのような学説を創作しているとしたら、怠慢以外の何
者でもありません。
私も、年始には必ず近所の杉山神社へ初詣に行きます。神社の真の歴
史がどのように変わろうと、この行為が変わることがないでしょう。
言うまでもなく、神社は日本人の心に大きな影響を及ぼしています。
神社の関係者もその期待に応えるように努力を続けてきたのです。その
中に真実でないことが語られることも多くあったでしょう。しかし、こ
れを批判することが適切ではないことは日本人ならすべてが承知してい
るはずです。
しかし、真の歴史を語らなければいけない歴史学者が、何の証拠もな
く、これをいかにも自分の説のように主張することが怠慢だと言ってい
るのです。
前置きが長くなってしまいましたが、例えば参照先「離島研究 V
128P」にあるように、多良間島の神社は、地理院の地図に表記されてい
る神社が、参照先ではすべてがウタキになっています。誰がこんなこと
を命令したのでしょう。
実際に、多良間島に行って見ればわかります。どのウタキも立派な
鳥居のある神社で、本土の神社よりも管理され、住民の信仰のよりどこ
ろとなっている神社そのものです。もちろんこの神社もすべてが本土
の神社とHSCPでシームレスにつながっています。
いよいよ、柳田民俗学が根底から崩れる時期が迫っています。多良間
島の神社は尖閣諸島が古代から日本本土と同じ祭祀範囲にあったことが
確率からみて、絶対に間違いないと言い切るには不可欠な神社であるこ
とが明確になりました。