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新着記事

タイトルRe^3: 参照先の「(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵」も本物の可能性
記事No312   [関連記事]
投稿日: 2019/08/14(Wed) 09:20
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵。

に関しても、「寺の五重塔の下から出土したものという。梅原は、阿育
王塔鐸に比して寺地を神聖視するために付会された伝承の可能性を指摘
している。」

 となっていますが。ホームページでも示したように

出発 柳沢遺跡 長野県中野市大字柳沢
経由 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4
到着 荒神谷遺跡(左、銅戈6) 島根県出雲市斐川町神庭873ー8
補正内角 89.84度

出発地と到着地の文様が一致の項にあるように、このように補正内角が
偶然に89.84度になる大雑把な確率は1/600ですから、付会されたものと
するには疑いがあることになります。

タイトルRe^2: 参照先32道成寺銅鐸 (鐘巻銅鐸)も本物の可能性
記事No311   [関連記事]
投稿日: 2019/07/29(Mon) 11:58
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の32道成銅鐸 (鐘巻銅鐸)も道成寺付近から出土したものです。

出発 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽
経由 三重塔位置  和歌山県日高郡日高川町大字鐘巻
到着 沖津宮  福岡県宗像市大島沖ノ島2988
補正内角 89.75

三重塔ではなく、南側の田から出たとの説もあります。三重塔よりも
南になると更に補正内角は90度に近づきます。
桜ヶ丘銅鐸には扁平紐式6区袈裟掛文様ですが、鐘巻銅鐸は突線鈕5式
近畿IVCです。
http://dojoji.blogspot.com/2011/02/blog-post_22.html
にあるように素人の目では6区袈裟掛文様と似ています。

タイトルRe: 参照先42大川上美良布神社の銅鐸も本物の可能性
記事No310   [関連記事]
投稿日: 2019/07/29(Mon) 07:32
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の42大川上美良布神社の銅鐸も

ホームページの「★九州王朝説が一目瞭然で崩壊する図」

出発地と経由地の文様が一致する例

出発 加茂岩倉遺跡出土地 島根県雲南市加茂町岩倉837 扁平紐2式、6区袈裟襷文4口
経由 大川上美良布神社銅鐸出土地 高知県香美市香北町韮生野243 突線鈕式、6区袈裟襷紋2口
到着 弊立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712
補正内角 89.93 度

となり、このような角度が偶然に起きる大雑把な確率は1/1400であり、
しかも出発地と経由地の文様が一致しているので、神社付近から出土した
銅鐸の可能性が高いことになります。

追記 参照先論文で 美布良神社→美良布神社の誤植です。

タイトル『扶桑略記』第5崇福寺の銅鐸は本物の可能性
記事No309   [関連記事]
投稿日: 2019/07/23(Tue) 18:14
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
 参照先の文献は奈良文化財研究所飛鳥資料館学芸室長 石橋茂登氏の書
かれた論文です。この論文@に『扶桑略記』第5に崇福寺を建てるとき
に5尺5寸の巨大な銅鐸が出たことが書かれています。

 また対論 銅鐸で同じ銅鐸を森浩一氏は「実は出てはいないけれども
縁起に加えられている」可能性もあると書かれています。

 さてこれが本物かどうか私なりの方法で検討して見ます。

到着 柳沢遺跡 長野県中野市柳沢
経由 崇福寺址 滋賀県大津市滋賀里町甲
出発 三柱神社 京都府京丹後市丹後町筆石

補正内角 90.33゜

となります。ここで、このような角度の出る大雑把な確率は1/300です。
しかも到着点が柳澤遺跡の銅鐸埋蔵点と一致していることを加味すると
決して偶然では起きない事象です。

と言うことは『扶桑略記』の記載は正しいことになります。もちろん銅
鐸の大きさは知るすべはありません。

タイトル桜ヶ丘銅鐸出土地と仁徳天皇陵、高津宮址の関係
記事No308   [関連記事]
投稿日: 2019/07/23(Tue) 14:10
投稿者管理人
参照先https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B4%A5%E5%AE%AE#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Legendary_Imperial_Palace_of_Emperor_Nintoku.jpg
 すでに仁徳天皇陵と銅鐸出土の関係についてHPで書きはじめていま
すが、桜ヶ丘銅鐸出土地は特別です。

例えば

到着 富士写ヶ岳 石川県加賀市山中温泉枯渕町
経由 恩智銅鐸出土地 大阪府八尾市恩智中町四丁目
出発 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽
補正内角 90.12゜
偶然に起きる大雑把な確率は1/800


到着 上白岩遺跡 静岡県伊豆市上白岩660
経由 大石銅鐸出土地 福井県坂井市春江町大牧 東島
出発 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽
補正内角 90.03゜
偶然に起きる大雑把な確率は1/3000

としたように出発地が仁徳天皇陵ではなく、桜ヶ丘銅鐸出土地になる場
合が多くあることがわかりました。

ここで

到着 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽
経由 高津宮址碑 大阪府大阪市天王寺区餌差町10-10
出発 仁徳天皇陵 大阪府堺市堺区大仙町
補正内角 89.48゜

この事実は仁徳天皇陵がその名の通り仁徳天皇の墓である可能性を高める
ものと考えています。

タイトル事実は小説より奇なり(卑弥呼と荒神谷遺跡の関係)
記事No307   [関連記事]
投稿日: 2019/07/19(Fri) 04:09
投稿者管理人
参照先http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/wadake.htm
 またとんでもない発見がありました。

時代順に書くと

 荒神谷の銅剣の埋蔵→卑弥呼→仁徳天皇

の順になり、それぞれの時代が異なりますが、この流れが互いに密接な
関係があることがわかりました。ここから、紀元前の沖縄と日本本土の
明確な関係がわかってきました。

 ここに至っては、九州王朝説はすっかり小説化してしまいましたが、
その小説よりも格段に奇妙な事実がわかったのです。

 古田先生は「偽書」東日流外三郡誌が発行された後に加茂岩倉遺跡
から大量の銅鐸が発見され、苦しい答弁しかできず、小説どころではな
かったかも知れません。参照先にその一部があります。

 皮肉なことに、先の驚く発見は参照先の偽書説を更に確かにすること
になりました。

 何はともあれ、和田家文書は真の古代史解明には全く役立たないこと
がわかりました。ましてや、全く価値のない、この書物の真偽を議論す
るなど無駄以外の何者でもありません。

タイトル吉野ヶ里の銅鐸埋蔵地点も仁徳陵の位置で決められていた
記事No306   [関連記事]
投稿日: 2019/07/13(Sat) 15:47
投稿者管理人
参照先http://w312.k.fiw-web.net/hscp/tumulus_facing/tumulus%20facing.html#%E2%98%85%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC%E3%81%8C%E4%B8%80%E7%9B%AE%E7%9E%AD%E7%84%B6%E3%81%A7%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%81%99%E3%82%8B%E5%9B%B3
 待望の吉野ヶ里遺跡で出土した銅鐸の出土位置が佐賀県文化課文化財
保護室から届きました。

 九州は銅鐸の出土が少なく、しかも小銅鐸しか出土しません。参照にあ
るリンク先の図F−9では、到着点が九州にありましたが、小銅鐸の埋蔵
位置については未確認でした。この位置も同じ規則にあれば、九州王朝説
を完璧に崩し、もし裁判になっても絶対に勝てる、矛盾の全くない説にな
ると期待していました。

 早速、佐賀県から頂いた位置データを計算したところ。ピッタリと予
定通りの計算結果になりました。しかも、このデータから、対馬も間違い
なく近畿と同じ祭祀領域にあったことが明確になりました。

 これで自説は完璧になりました。以後これを無視して平気で自説に反
する説を拡散している人達は注意をしてください。

 紀元前に九州から関東まで、すべてが近畿の「青銅器祭祀圏」にあった
ことが明確になったのです。教科書に載っていた、銅鐸文化圏と銅矛文化
圏とした言葉も、もはや不要になりました。

 これはHSCPを用いないと絶対にできないもので。HSCPを馬鹿
扱いをしていた人たちは以後逆さの立場に立たされます。

 


 

タイトル九州王朝説の完全な崩壊
記事No305   [関連記事]
投稿日: 2019/07/06(Sat) 07:23
投稿者管理人
参照先https://iush.jp/uploads/files/20181116103301.pdf
 九州王朝説の賛同者は急激に減ってはいるものの、未だに熱狂的な信
奉者がいます。

 しかし、この説は近畿に巨大な仁徳陵があることをうまく説明できず
、最大の弱点になっていました。苦肉の策として、仁徳陵は自然地形の
山を利用したもので、土着の豪族でも造れるとした説です。

 おそらく、今日のうちに仁徳天皇陵は百舌鳥・古市古墳群とともに世
界遺産に登録されます。土着の豪族が造ったたものであれば登録されな
かったでしょう。

 九州王朝説の信奉者にとっては面白くない出来事に違いありません。
ここで、もっと面白くない出来事が起きます。この登録に合わせ、九州
王朝説を根底から崩す説を発表します。これまで、弁明に使っていた参
照先にあるような詭弁も全く通用しない説です。

 

タイトル加茂岩倉と中の御堂の両遺跡の位置は同一規則に配列
記事No304   [関連記事]
投稿日: 2019/06/28(Fri) 17:17
投稿者管理人
 銅鐸が埋蔵されていた、加茂岩倉遺跡(島根県雲南市加茂町岩倉837)
と中の御堂遺跡(兵庫県南あわじ市松帆慶野483−7)の位置が同一規
則で決められていたことがわかりました。

 この埋蔵位置は仁徳天皇陵、宇佐神宮(大分県宇佐市大字南宇佐859)、
関東の銅鉱山などの位置によって決定されています。

 銅鐸は鋳型がたくさん発見されることから、国内産であることは意見
が一致しています、その材料がどこからきたものかは、使用された材料
の鉛同位体比でわかることになっています。

 しかし、鉛の同位体比は、材料の加熱時間や温度によって変化する厄
介な問題もあり、未だにその産地に関しては論争があります。大方の意
見は大陸産で国内産とする意見は少数です。

 線引きから予想される材料は国内産です。国内の銅鉱山は、和銅銅山、
足尾銅山(本山坑跡)があります。白銀色に光るように、神岡鉱山の錫が
添加されている可能性があります。

タイトルRe^2: 神社のはじまりに関する再考察
記事No303   [関連記事]
投稿日: 2019/05/15(Wed) 02:15
投稿者管理人
> やしろ
> 本殿 鳥居があり
> 人間が知る祀られた神、天皇が居るのが神社ではない

 ここで書いている神社はそのとおりの神社であり、そのほとんどは
鳥居と本殿のある神社そのものです。神社の概念に違いはないと考え
ています。

 日本北端の礼文島にある神社も、多くが御嶽と呼ばれている沖縄でも
そのほとんどが鳥居と本殿がセットになっています。

 ただし、これらの神社の位置は、私がHSCPと名付けた正確な配列
規則で配列されています。HPで論じているのはその配列規則が日本の
どこから始まったか議論する中で、その配列の中に、洞窟や環状列石、
環状木柱列、水源や古墳などの位置が入ってくるのです。

タイトルRe: 神社のはじまりに関する再考察
記事No302   [関連記事]
投稿日: 2019/05/14(Tue) 23:46
投稿者雷鳥
やしろ
本殿 鳥居があり
人間が知る祀られた神、天皇が居るのが神社ではない

そもそもの
起源の概念が間違っている








>  これまで、神社の始まりがどこから始まったかを何度も考えてきまし
> た。これまで
>
>  @対馬の本宮神社(長崎県対馬市上対馬町鰐浦)
>  A出雲の最上位経王大菩薩(島根県出雲市十六島町252)
>  B佐渡の長者ヶ平遺跡(新潟県佐渡市小木金田新田)
>
> などをあげてきました。
> どれもHSCPで見ると広い範囲に影響を及ぼす神社群中心でした。次
> に考えられるのは
>
>  Cフゴッペ洞窟(北海道余市町栄町)です。
>
>  このポイントも神社群中心ですが、これまでと大きく異る点がありま
> す。No194でもその一部を紹介したように、東北と北海道にある多
> くの環状列石の位置とも幾何学的に関係している特異性を持っているこ
> とです。これは、本土と北海道の神社配置がシームレスにつながってい

タイトルかつて神社(御嶽)であった沖縄の寺院
記事No301   [関連記事]
投稿日: 2019/04/25(Thu) 05:20
投稿者管理人
沖縄の神社、グスク、御嶽の多くは、HSCPによる神社配列規則で配
列されています。驚くことに寺院の中でもこの配列にある例が見つかり
ました。

次はそれに該当する寺院と、その寺院の位置に出入りするHSCP線の
本数を示したものです。
17 金武観音寺 国頭郡金武町金武222(洞窟)
8 聖蓮寺 沖縄県豊見城市字豊崎1−102
7 普天間宮 沖縄県宜野湾市普天間1-27-11(洞窟)
6 浄土寺 沖縄県糸満市阿波根562
5 臨海寺 沖縄県那覇市曙1丁目18
5 供済寺 島尻郡与那原町字板良敷1121-1
4 洪済寺 沖縄県島尻郡与那原町字板良敷1121−2
4 宝壽院 沖縄県島尻郡南風原町新川692
4 不詳寺院 沖縄県宜野湾市大謝名3丁目3
4 球陽寺 沖縄県沖縄市山里3丁目7−1
4 与勝寺 中頭郡勝連町字平安名2884
3 新川不動院 沖縄県名護市親川229
3 興徳寺 沖縄県糸満市西崎町5丁目13−2
3 平安寺 沖縄県名護市許田554−1
2 妙徳寺 沖縄県南城市大里古堅266
2 佛立講佛立寺 沖縄県那覇市おもろまち4丁目15−1
2 千眼寺 沖縄県名護市港1丁目2−21
1 南禅廣寺 沖縄県糸満市真栄里1839

これらの寺院は過去に神社または御嶽であった可能性が非常に高いこ
とになります。仏教が入ってきたとき、新しい場所に寺院を建てずに、
かつて神社か御嶽であった場所を使って寺院にしたものです。

神社が寺院に代わった例は全国にありますが、沖縄はその実例が多いこ
とを示しています。

本土の例では、この神社から寺院に変更した事実は隠されている例が
多く、それを寺の由緒などから確かめることは難しい例が多いです。

ついでに、寺院ではありませんが

祖神堂 沖縄県那覇市宮城一丁目は14本ものHSCP線が出入りし
ます。

タイトル沖縄の聖地御嶽(岡谷公二著)平凡社を読んで
記事No300   [関連記事]
投稿日: 2019/04/19(Fri) 08:08
投稿者管理人
 主題の本を読んだ感想です。

まず残念なことにHSCPを全く無視していることです。神社の配列規
則は極めて正確です。不思議なことに、蝦夷地と呼ばれていた北海道が
本土の神社配列よりも規則正しいことです。

更にも増して、沖縄の神社配列も御嶽を含めると北海道よりも、規則正
しい配列になっていたことです。さらに驚くことは、沖縄の御嶽の位置
は沖ノ鳥島(東京都小笠原村沖ノ鳥島1)の位置の影響を最も受けてい
ることです。東京都と沖縄は意外なところでつながっていたのです。

ここで主題に戻ります。著者は断定はしていないものの、神社の始まり
には何もなかったと主張しているように見えます。

しかし、この説には次の矛盾があります。

○谷川健一氏の日本の神々にもあるように、北海道に開拓民が到着した
 とき、原野に小祠があったと書いています。明治政府はこの小祠を祀
 る禁止令を出したともあります。アイヌはこのような祀りはしないは
 ずです。一体この小祠はどんなもだつたのでしょう。著者は谷川健一
 氏と同じように、この大切な事項を無視しています。

○大東諸島の神社の位置も極めて正確な規則で配列されています。長い
 間無人であった島に到着した人達が、そこに何か形のあるものがなけ
 れば、その正確な位置に神社を建てることができないはずです。クバ
 などの植物では周りの植物が繁茂してすぐにその位置がわかからなっ
 ていたでしょう。

○久高島のクボー御嶽は現在でも形のあるものは何もないと言われてい
 ます。(立ち入り禁止で入り口までしか行けなかったので、それが確
 かかどうかわかりません)。しかし、この位置も正確な神社配列規則
 の中にあります。聖域を秘密にする目的で、はじめにあったものを意
 図的に隠してしまった可能性もあります。


賛成できるところ

○沖縄の神社(御嶽)は北から南に伝わった。これはすでにHPでも書い
 ているようにHSCPで見ても、奄美大島から沖縄方向に神社が伝わっ
たのは間違いありません。

○御嶽=グスク
 
 これは大賛成です。No299でもわかるように、御嶽とグスクは同
じ配列規則にあります。

賛成できないところ

○御嶽が祀られるようになったのはグスク時代以降とする説は絶対に間
 違いです。これは今後益々明らかになって行きます。 

タイトル奄美姑神社と沖ノ鳥島の位置で決定された聖地その1
記事No299   [関連記事]
投稿日: 2019/04/17(Wed) 23:18
投稿者管理人
参照先https://www.facebook.com/jyashinnet/posts/%E5%A5%84%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E9%99%8D%E8%87%A8%E5%9C%B0%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5%B8%82%E7%AC%A0%E5%88%A9%E7%94%BA%E7%AF%80%E7%94%B0%E3%81%9B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AB%E9%98%BF%E9%BA%BB%E5%BC%A5%E5%A7%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%82%E3%81%BE%E3%81%BF%E3%81%93%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8C%E5%BB%BA%E3%81%A4%E3%81%93%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AF%E5%A5%84%E7%BE%8E%E9%96%8B%E9%97%A2%E3%81%AE%E4%BA%8C%E7%A5%9E%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%81%A8%E7%94%B7%E7%A5%9E%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%92%E7%A5%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%8A%E3%81%9D/786082004824808/
沖縄の多くの聖地は奄美大島の奄美姑神社(阿麻弥姑神社)と沖ノ鳥島の
位置によって左右されています。

その聖地のリストを示します。その位置はHSCPで見るとすべてが神社
群中心の位置にあります。

@ 玉泉洞           沖縄県南城市玉城字前川
A 金武宮(日秀洞)      沖縄県金武町字金武
B メーヌカー         沖縄県北中城村字熱田
C ヤブサツの御嶽(薮薩御嶽) 沖縄県南城市玉城字玉城
D 斎場御嶽(セーファウタキ) 沖縄県南城市知念字久手堅
E 糸数城跡          沖縄県南城市玉城字糸数
F 知念城跡(旧城跡)     沖縄県南城市知念知念上田原
G 天つぎあまつぎの御嶽    沖縄県南城市玉城字玉城
H 謎の御嶽          沖縄県うるま市みどり町5丁目
注;謎の御嶽はNo297を参照

もちろんこの事実は

卑弥呼=奄美姑

とする重要なヒントになります。

HSCPを無視して、古代史論を書いていた人たちは、何をしていたので
しょう?。結果として、天孫降臨の地、オノゴロ島などの重要ポイントで
大きな間違いをおかしてしまいました。

HSCPを無視した古代史論は、言い換えれば「でたらめの古代史」で
しかなかったことになります。 反論大歓迎!!

先のリストに@、Aの自然洞窟が2つもあります。Bも自然洞窟を加工し
たものです。自然洞窟は人がその位置を決められない場所に最初からあ
ったものです。

こんなことが偶然に起きることは極めて稀です。と言うことは、奄美姑神
社の位置は玉泉洞と日秀洞、さらにメーヌカーの位置を考慮して決められ
たことになります。

奄美姑神社の位置にはさらに大きな秘密があります。これを知ったら

卑弥呼=奄美姑=アマミキヨ

は誰も否定することができなくなるでしょう。

ヒント、やはりこの説明には323mPeakや、開闢の島であるオノゴロ
島に相当する斑島の玉石甌穴が登場してきます。

追記

喜界島にある、異常に多い神社群中心の謎も解けました。こちらは尖閣
諸島に関係しています。

タイトル沖縄を語らずして卑弥呼を語るべからず
記事No298   [関連記事]
投稿日: 2019/03/26(Tue) 08:03
投稿者管理人
参照先http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/ancient%20tomb.html
 卑弥呼に関する古文書や伝承は日本にはないので、三国志に頼るしか
なく、そこから得られる情報は未だに雲をつかむような状態です。

 卑弥呼に関する情報は恐らく意図的に焚書にされ、日本の本土からは
消え失せてしまったのでしょう。

 参照先に書いた、卑弥呼に関わる重要な神社が全く注目されない正一
位稲荷大明神になってしまったのは同じ理由でしょう。重要な過去の伝
承は九州では北側(福岡)ほど消されてしまったに違いありません。

 九州の南側はまだわずかな伝承が残っていたと見えて、正一位稲荷大
明神に対応する鵜戸神宮は未だに多くの人に知られるように残っていま
す。

 さらに、卑弥呼の伝承がより多く残っている場所は??

それは沖縄です。沖縄では卑弥呼の伝承がアマミキヨとして残っていた
のです。

 323mPeakの発見から革命的な知見を得ることができましたが
今度は

アマミキヨ=卑弥呼

とする決定的証拠を見つけました。これまで誰も想像もしたこともない
科学的な証拠です。しかも、この証拠は赤村の丘陵が古墳であったこと
をより明確にしました。今後、これに代わる説は恐らくでないでしょう。


これからは、卑弥呼を理解するには琉球開闢七御嶽くらいの知識が必要
です。