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新着記事

タイトル久々利銅鐸の出土位置
記事No324   [関連記事]
投稿日: 2019/10/16(Wed) 07:56
投稿者管理人
参照先http://maps.gsi.go.jp/#15/35.390896/137.138089/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f2/
https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/kouko/doutaku.html

久々利銅鐸の出土位置につて岐阜県庁に問い合わせたところ、その返
事は

「久々利銅鐸が出土した住所は岐阜県可児市久々利柿下入会3-249・
3-250です。
ただし、出土位置は伝承で大まかな位置が判明しているだけで、緯
度・経度等の正確な出土位置については不明です。
よろしくお願いします。」

となり、今のところその出土位置は不明のようです。

その後、銅鐸、銅剣、銅戈の出土点をHSCPで解析したところ、
久々利銅鐸の出土位置は。多くのポイントから参照される重要なポ
イントであることがわかりました。

そこでHSCPの規則を応用して、その出土位置を求めて見ました。

その位置は、参照先に示したように、

35度23分27.23秒 137度8分17.12秒

となり、現在は富士カントリーのゴルフ場の中にあることがわかり
ました。

この位置は主に突線紐式の銅鐸埋蔵位置を結んだ直角線の収斂点に
なっていて、その直角精度が格段に高い特徴があります。

この様子は後にHP上で図示する予定です。

タイトルRe: タレスの定理 と中心点
記事No323   [関連記事]
投稿日: 2019/10/01(Tue) 07:25
投稿者管理人
>タレスの定理 (直径に対する円周角は直角である)
>に照らすと出発点と収斂点は直径、経由地は円周上にあります。
>円の中心点に何もないとは思えません。

タレスの定理は平面座標で成立します。地球のような楕円体の表面
ではこの定理は成立しません。
正確な意味での中心点は存在しません。

>中心点に何かある事例はありますか?

中心点付近に意味のありそうな点はこれまでありません。
古代人は遠方の距離を計測することが出来なかったのでコンパスで
円を描くような考えはできなかったでしょう。

ついでに書きますが、これまでたくさんのHSCP線を引いてきまし
たがその線が対称のバターンを作ることは全くありませんでした。

古代人は対称のパターンを嫌っていたようです。
これは、縄文土器の紋様に対称になるパターンが少ないことと関係し
でいるのではないかと、勝手に考えています。

タイトルタレスの定理 と中心点
記事No322   [関連記事]
投稿日: 2019/10/01(Tue) 07:13
投稿者ケムリ(管理人宛メールを転載)
タレスの定理 (直径に対する円周角は直角である)
に照らすと出発点と収斂点は直径、経由地は円周上にあります。
円の中心点に何もないとは思えません。
中心点に何かある事例はありますか?

2019/10/01 02:47:15

タイトルRe^3: HSCPとはどの様なことでしょうか?
記事No321   [関連記事]
投稿日: 2019/09/30(Mon) 23:57
投稿者管理人宛メールを転載
参照先http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/iseki_taku.html
>ないでしょうか。日本中央の碑と神社の関係を調べていて先生のHPに偶々たどり着いた次第。

>不躾な質問疑問を失礼いたしました。

日本中央付近のHSCPによる線引は10年ほど前に引いたことがあります。


>
>
>二つの主要点(A,B)を決定し各ポイント(P?)を設定(定礎)する。しかもPのA,Bに
>対する角度は直角という、縄文測量士が大好きな角度90度とくれば
>タレスの定理、直径に対する円周角は直角という、半径線分ABの1/2の中心点から無数に
>P点を設定できるわけです。一つの結界を表わす手段か。

ポイント(P?)は私が名付けたピギーバック点です。
干字状パターンの一端が消失したり、見つからなかった場合、(P?)点からその端点を
見つけることができます。

http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/Sannai-maruyama.html


 ★鷲ノ木遺跡(環状列石)の干字状パターン(巨大津波の跡を示す)

図S33 鷲ノ木遺跡の干字状パターン(八雲鉱山の山神社が端点)
図S35 海中に没した二つの神社の位置
付近を参照してください。より理解が深まるでしょう。


>
>三内丸山遺跡は、ツングース族が最終的に到達した地点、是川遺跡は縄文人が北上してきて到達した
>最終地点ではないか。環状列石は数千年をかけて移動しながら見晴らし好く川が近い場所に居住しながら
>造り上げたベンチマークではないでしょうか。それは北方系は木柱、南方系は石柱文化を継承しながら。

>線分ABの中点から半径Rで円弧を描くと神社ポイントが再現できる。

>実際は中点から見通したのではなく交会法でポイントを決めたのか。
>
>縄文の測量士部隊は必ず存在したと想定しています。日置一族がその系譜かもしれません。日置幸介氏は
>先々代の水沢天文台の所長でしたが、これも天体の測量士です。測量部隊の古くは山伏、マタギ、サンカの
>先祖、縄文祖人の集団であり、当時は国家と云うものが存在していたのかは定かではありませんが、縄文の
>後期には天皇制国家の原型ができていたという説もあります。国の輪郭を位置付けるために、測量をしまくっていた
>と想像すると愉快なのですが。

全く時代の異なる事象を混同していなければいいですね。


>
>小生の考え方
>
>古代、何もない原野に寄る辺となる物を構築するとき、人は石ころを後ろに投げて、

>偶然の位置を期待し決定するだろうか?技術者であればそうはしないだろう。

>太陽の通り道である春分秋分点や目印となる山岳を三角点に見立てて、点の記を作成するだろう。

>そうでなければ意思決定の欠片にもならないからだ。全ての技術は歴史化するが、

>その歴史は測点決定の意志を語るものでもあろう。

>
> 私はその意思決定の過程を追跡している。なぜか?暇だからだ。そうではなく、

>測量による地図作製は国家形成のための重要な施策だからだ。

>

>縄文時代に三内丸山という一大集落を形成なしえた技術もまた測量の成果であろう。

>
>環状列石なるものは、技術屋の眼でみれば立派な2等三角点だ。図根点の周囲に人々が住み始めたに過ぎない。

>
>レイラインかゲシュタルトの法則か?

>
>ある点と点を結び関連付けて心理的にグループ化する。

>これはゲシュタルトの法則という。

>人間は近いものや似ているものをグループ化したり、閉じた図形を見出そうとする性向がある、という法則。

>
>レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説だ。

>レイラインの存在を認める動きは学術的には主流とは言えない。

>その理由としては、レイラインが実在するならば、古代の人々がどうしてそのような直線性を持たせたのかが不明であり、

>さらには存在するかに見えるその直線性はまったくの偶然にでも発生するのではないかという疑いをぬぐえないためである。

>
>つまり不明であるから偶然であるというのならば、確かな意思を以ってそうしたのであれば、

>必然的なレイラインが引けるのであり、明確な作業性がそこに「ある」と見ることができ、

>ゲシュタルトの法則も消滅する。

>
>HSCPは意図的に神社位置を定礎するために、再現可能なように定めたポイントだと認めざるを得ない。

>素人ですがもうすこし勉強してみます。有難うございました。白戸 明 拝

ホームページでの結論は、「神社のはじまりは、斑島の玉石甌穴である」としていま
すが、これは日本神話が形成される時代のことで、もっとそれ以前に北海道に初期の
神社があったと考えています。

北海道の神社
http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/hokkaido.html
参考図  北海道の神社分布状況
http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/image224.jpg
にもあるように、明治政府が開拓団を北海道に派遣したとき、常識的にはアイヌしか
いないと考えられていた原野に得体の知れない小祠がたくさんあり、それを祀ること
を禁じたのです。

これは、開拓民が到着したとき、すでに参考図のような神社の分布がすでにあった
と考えなければいけません。学者はこの大切な事実を無視し、大衆は学者を信じ、
北海道の神社は明治期に出来たとし、これを誰も疑問として考えなかったのです。

参考図  北海道の神社分布状況

にあるように、礼文島や利尻島に極端に密度の高い神社分布があります。飲まず食わ
ずの状態だった開拓民がいくら信心深いと言ってもこんなにたくさん神社を建てるわ
けはありません。しかもその神社のほとんどすべてが正確なHSCPの法則を満足し
ているのです。開拓民が絶対にこのようなことはできません。

開拓民がそこに到着したとき、そこには何らかの神社の原形がすでにあったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何度も書きますが、アイヌはそのような神社を建てる習慣はありません。

ところで、

最新の遺伝子研究で礼文島の船泊遺跡から発掘した女性の全ゲノムの解析が終わりま
した。

船泊の付近には、知床稲荷神社の神社群中心(直角線の収斂点)があります。

https://www.yomiuri.co.jp/science/20190513-OYT1T50209/
茶色の瞳、酒強く…礼文島の縄文女性ゲノム解析
このようなニュースもありました。

しかし、この発表には重要なことが抜けているのです。

これらの発表前に国立科学博物館の副館長から直接聞いた話はもっと驚くも
のでした。

この女性は、アジア人よりも北欧の人種に似ているのだそうです。北欧にも
ストーンサークルがたくさんあります。おそらくこのストーンサークルと
北海道、東北のストーンサークルは同じ起源を持つに違いありません。

HSCPで見る限り、ストーンサークルと神社は同一配列にあることは明らか
です。しかし、これが同一思想から発生したものか異なる思想を併せたものか
はまだ不明です、どちらかと言えば異なる思想が結合したのでは?とも考えて
います。


貴殿の書かれたツングースのゲノムについてはまだ知りませんので「三内丸山
遺跡は、ツングース族が最終的に到達した地点、是川遺跡は縄文人が北上して
きて到達」についてはまだ書きようがありません。

この礼文島の女性は、穀物よりも動物の脂質を食べるように適応している
そうです。

東北にも、縄文時代に米作の痕跡があったものの、それが続いたた様子
がなかったのは、縄文人の遺伝子がこれを拒否したことが考えられます。

話は変わりますが、現在銅鐸、銅戈、銅剣の埋蔵位置をポイントとして、HSCPに
よる詳細な結線がほぼ完成に近づいています。これまで誰も考えたこともなかっ
た青銅器祭祀の詳細な地理的関係が明らかになるのです。

驚く結果がすでに出ています。ここでも、南北融合の明確な様子が現れています。

タイトルRe: いつも楽しく拝見しています
記事No320   [関連記事]
投稿日: 2019/09/22(Sun) 11:07
投稿者管理人
> はじめまして、こんにちは。
> いつも楽しく拝見しています。

連絡ありがとうございます。

>
> さて、角度の微妙なズレに関してなんですが
> 設置時から長い年月を経ている関係で、その間の地震などでの地殻の動きがあって、少しズレを生じているのではないかと思いました。
> 参照URLを引いておきました。

研究を始めたころは、水平方向のずれが大きく、垂直方向のズレが
ほとんどない現象を地殻変動の影響と考えていました。

HPにはまだその間違いをそのまま残してあります。

しかし、その後これは地殻変動ではなく、地図の問題であることがわ
かりました。この問題は補正内角の考えによって完全に解決すること
ができました。

地殻変動の影響は確かにあるのですが、現在の精度ではそれを知るこ
とができないことがわかりました。

例えば、ラサ島(沖大東島)は、数cm/年動いていると言われていま
すが、これをHSCPで検出しようとしましたが、今のところそれもでき
ていません。


> 古代からどの程度ずれたのか知る由もありませんが、補正できたとすると、ピタッと直角の可能性があり得るかもしれません。

神社の位置は、改築で動いたりして明確ではありません。また、どの
ポイントを取るかによってもデータが異なる問題もあります。しか
し、銅鐸、銅剣、銅戈の埋蔵位置はその問題がありません。更に精度
を上げた評価が可能になりました。今後、もっと新しい発見があるか
も知れません。


>
> また、北極星も古代からズレていることが解っていますので、そういったことも少し関連してるのかも?と思ったりしています。

北極星は確かに時代と共にずれます。それは非常に大きく、とても
神社の位置を決める基準とはならなかったと考えています。

以下がそのシミュレーション結果です。古い時代ほど使い物になら
ないことを示しています。

長者ヶ平遺跡(新潟県佐渡市小木金田新田)から見た値です。
(時間は23時59分59秒の値です)

年度        方位(度)   高度(度)
2019 秋分 9月23日  180.521     38.349
2019 春分 3月21日  179.450     37.353

1000 秋分 9月17日  178.795   43.970
1000 春分 3月15日  180.600   31.664

元年 秋分 9月25日   174.947   48.997
元年 春分 3月23日   183.025   26.376

BC1000 秋分 10月9日  160.481   56.012
BC1000 春分 4月7日   190.454   17.455

文字の無い頃の古代人は恒星同士の相対位置を詳しく知っていたので
す。文字が使われた頃、そのすばらしい能力は失われたと考えていま
す。

恒星の相対位置は地球の公転による視差の問題を解決します。もち
ろん歳差の問題もほとんど誤差にはなりません。


> さらに、四国がこういったものと深い関わりがある(=聖地として)らしいので、このあたりもすごく興味があります。

HSCPで見る限り、今のところ四国が特別だとする例はありませ
ん。剣山付近は大いに興味があるのですが、今の所はまだ残念な結果
です。

>
> お体に気をつけて頑張ってください。

ありがとうございます。

タイトルいつも楽しく拝見しています
記事No319   [関連記事]
投稿日: 2019/09/22(Sun) 00:56
投稿者愛読しているおじさん
参照先https://www.jstage.jst.go.jp/article/afr/2017/46/2017_33/_pdf
はじめまして、こんにちは。
いつも楽しく拝見しています。

こういったデータに基づいた関係性というのは非常に貴重ですので、研究も大変かとお察しいたしますが、がんばってください。

さて、角度の微妙なズレに関してなんですが
設置時から長い年月を経ている関係で、その間の地震などでの地殻の動きがあって、少しズレを生じているのではないかと思いました。
参照URLを引いておきました。
古代からどの程度ずれたのか知る由もありませんが、補正できたとすると、ピタッと直角の可能性があり得るかもしれません。

また、北極星も古代からズレていることが解っていますので、そういったことも少し関連してるのかも?と思ったりしています。

さらに、四国がこういったものと深い関わりがある(=聖地として)らしいので、このあたりもすごく興味があります。

お体に気をつけて頑張ってください。

タイトルRe^2: HSCPとはどの様なことでしょうか?
記事No318   [関連記事]
投稿日: 2019/09/21(Sat) 12:19
投稿者シラトアキラ   <hayabusadandy@tenor.ocn.ne.jp>
HSCPは単語の頭文字と思われますが、その単語を教えてください。
また、干字状パターンとはどの様な形?ピギーバック点とはどの様な意味なのか、用語の解説が分かりません。北海道、東北の主要な神社の緯度、経度の数値表はございますでしょうか。当方は環状列石と古代城柵、神社、山岳山頂ポイントとの関係から、古代測量士の足跡を追跡しています。

タイトルRe: HSCPとはどの様なことでしょうか?
記事No317   [関連記事]
投稿日: 2019/09/20(Fri) 09:53
投稿者管理人
連絡ありがとうございました。

 HSCPは別の呼び名は「直角収斂則」とする神社の配列法則です。
三つの神社を結んだ直角線の端点が一点に収束する状態を指します。

 これを言い換えると、ある一点(神社群中心と呼ぶ)から任意の神
社に引いた線から直角に伸ばした線の先には必ず神社があるとした規
則です。

 最も簡単な例は、

http://w312.k.fiw-web.net/hscp/
にある図10です。

ここでは、直角線@−C−Dと@−A−Bの2つの直角線が@に収斂しています。

@を神社群中心と呼びます。

これを元にした神社配列の例は広い範囲で見ると
同じページの 左側ウインドウ

★北海道の神社201612.30更新

図H3 聲問神社を神社群中心とする干字状パターンとHSCP線とピギーバック点などの内角

のようになります。

 驚くことに、この配列規則は北海道から沖縄まで同じ規則になって
います。直角の角度精度は±1度以内です。

 最近、この配列規則が銅鐸、銅剣、銅戈の埋蔵地点でも成立するこ
とがわかりました。その直角精度は±0.3度以下と極めて高い精度に
なっています。紀元前の青銅器祭祀の地理的な関係を一目瞭然に見る
ことが可能になったのです。

タイトルHSCPとはどの様なことでしょうか?
記事No316   [関連記事]
投稿日: 2019/09/20(Fri) 09:44
投稿者シラトアキラ(管理人宛メールを転載)
HSCPとはどの様なことでしょうか?解説が見当たりませんでし
た。初歩的な質問ですみません。



(管理人宛メールで連絡がありましたが、返送用メールアドレスの
 記載がなかったので、この掲示板に転載しました)

タイトル銅鐸、銅矛、銅剣の出土地緯度・経度データ
記事No315   [関連記事]
投稿日: 2019/09/16(Mon) 18:21
投稿者管理人
参照先http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/iseki_taku.html
 参照先にあるように、主題のデータの多くが一気に得られるサイト
がありました。

 最近公開されたのでしょうか?、わずかな間違いもありますが、と
ても便利なサイトです。これまでの苦労が嘘のようです。

 ここから、一気に主題の位置を地図に書き込むことができました。
ここでわかったことは、銅鐸、銅矛、銅剣の出土地のほとんどが、正
確なHSCPの規則の中に分布していることです。

 これだけ、多くの位置を入れても、現在ある仁徳天皇陵の位置が青銅
器祭祀の中心にあることは変わりがありませんでした。

 部分的に見ると、対馬は鰐浦の本宮神社が一つの収斂点、驚くこと
に赤村後円中心で説明した、正一位稲荷大明神(福岡県北九州市若松
区百合野町3-1)も重要な収斂点でした。

 この点は紀元前から聖地だったことが明らかになったのです。ここ
から見ても、赤村の古墳が安閑天皇の陵墓とする説などは、とんでも
ない間違いであることがわかります。反論大歓迎!!

 青銅器埋蔵位置からみて、九州で最も大きい収斂点は弊立神宮(熊
本県上益城郡山都町大野712)でした。ここでも、紀元前から、弊
立神宮が重要な聖地だったことが証明されました。

 しかし、弊立神宮には、竜宮の潮吹き(山口県長門市油谷津黄498
)を経由した89.96度のすばらしい直角精度で仁徳天皇陵から直角
線が到着しています。この事実を持っても、仁徳天皇陵が、地方豪族
の墓であるとすることはできません。

 ここでも、九州王朝説は完全に否定されます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 何はともあれ、銅鐸、銅矛、銅剣の出土地を入れた、HSCP線で
これまで、誰も想像することもできなかった、紀元前の祭祀の地理的
な様子を一目瞭然に表示することができるようになりました。

どなたかわかりませんが、参照のサイトを提供してくださった方に感
謝申し上げます。

タイトルRe^4: 参照先の「(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵」も本物の可能性
記事No314   [関連記事]
投稿日: 2019/08/31(Sat) 05:28
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
その後追加されたホ−ムページの

★銅鐸出土地と形式、文様、内角
で、善通寺銅鐸に関する記載が下記のように追加されました。

出発 三柱神社 京都府京丹後市丹後町筆石
経由 寺町昭和町銅鐸出土地 大阪府堺市西区浜寺昭和町3 扁平鈕式、6区袈裟襷文
到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 ?、袈裟紋
補正内角 90.59度


出発 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 ?、袈裟襷文
経由 城山遺跡銅鐸出土地 島根県浜田市上府町(城山一ノ界) 扁平紐式4区袈裟襷紋
到着 寺福童遺跡銅戈出土地 福岡県小郡市寺福童籔付
補正内角 89.82度


出発 崇福寺址銅鐸出土地 滋賀県大津市滋賀里町甲
経由 越路遺跡銅鐸出土地 鳥取県鳥取市久末(越路字丸山) 外縁付紐2式2区流水紋
到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 袈裟襷文
補正内角 90.09度

となって、善通寺銅鐸の埋蔵されていた位置は古代は重要なポイント
であったことが決定的になりました。ここで、善通寺の銅鐸に関わる
記載が付会であるとした大御所の説は間違いであったことになりまし
た。

皮肉なことに、越路遺跡銅鐸出土地を通過点とする例は、出発点が
『扶桑略記』第5に書かれた崇福寺址で到着点が善通寺になってい
ます。大御所がご存命ならさぞかし驚かれるに違いありません。

タイトルRe: 『扶桑略記』第5崇福寺の銅鐸の記載はやはり正しい
記事No313   [関連記事]
投稿日: 2019/08/26(Mon) 10:31
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
出発 崇福寺址銅鐸出土地 滋賀県大津市滋賀里町甲
経由 越路遺跡銅鐸出土地 鳥取県鳥取市久末(越路字丸山)
到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4

補正内角 90.09度

が見つかりました。このような配列が偶然に起きる大雑把な確率は
1/1000です。
ここから見ても、崇福寺を建てるときに銅鐸が出たとする『扶桑略
記』の記載は、正しいことがわかります。

また善通寺もここで再び登場してくるので、参照先の(37)讃岐 善
通寺銅鐸の記載も益々たしかなことになります。

タイトルRe^3: 参照先の「(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵」も本物の可能性
記事No312   [関連記事]
投稿日: 2019/08/14(Wed) 09:20
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵。

に関しても、「寺の五重塔の下から出土したものという。梅原は、阿育
王塔鐸に比して寺地を神聖視するために付会された伝承の可能性を指摘
している。」

 となっていますが。ホームページでも示したように

出発 柳沢遺跡 長野県中野市大字柳沢
経由 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4
到着 荒神谷遺跡(左、銅戈6) 島根県出雲市斐川町神庭873ー8
補正内角 89.84度

出発地と到着地の文様が一致の項にあるように、このように補正内角が
偶然に89.84度になる大雑把な確率は1/600ですから、付会されたものと
するには疑いがあることになります。

タイトルRe^2: 参照先32道成寺銅鐸 (鐘巻銅鐸)も本物の可能性
記事No311   [関連記事]
投稿日: 2019/07/29(Mon) 11:58
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の32道成銅鐸 (鐘巻銅鐸)も道成寺付近から出土したものです。

出発 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽
経由 三重塔位置  和歌山県日高郡日高川町大字鐘巻
到着 沖津宮  福岡県宗像市大島沖ノ島2988
補正内角 89.75

三重塔ではなく、南側の田から出たとの説もあります。三重塔よりも
南になると更に補正内角は90度に近づきます。
桜ヶ丘銅鐸には扁平紐式6区袈裟掛文様ですが、鐘巻銅鐸は突線鈕5式
近畿IVCです。
http://dojoji.blogspot.com/2011/02/blog-post_22.html
にあるように素人の目では6区袈裟掛文様と似ています。

タイトルRe: 参照先42大川上美良布神社の銅鐸も本物の可能性
記事No310   [関連記事]
投稿日: 2019/07/29(Mon) 07:32
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の42大川上美良布神社の銅鐸も

ホームページの「★九州王朝説が一目瞭然で崩壊する図」

出発地と経由地の文様が一致する例

出発 加茂岩倉遺跡出土地 島根県雲南市加茂町岩倉837 扁平紐2式、6区袈裟襷文4口
経由 大川上美良布神社銅鐸出土地 高知県香美市香北町韮生野243 突線鈕式、6区袈裟襷紋2口
到着 弊立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712
補正内角 89.93 度

となり、このような角度が偶然に起きる大雑把な確率は1/1400であり、
しかも出発地と経由地の文様が一致しているので、神社付近から出土した
銅鐸の可能性が高いことになります。

追記 参照先論文で 美布良神社→美良布神社の誤植です。