これまで日本の神社の配列が北海道から沖縄まで、私がHSCPと名付けた配列規則で配置されていることを説明してきました。この事実は20年にも及ぶ研究にもかわらず、それを否定する事実は一つも見つかっていません。しかし、この事実は誰も説いたことのなかった説であるだけでなく、子供でも相手にしてくれないほど常識から外れたものでした。
その状況は今でも変わっていません。例えば「謎のHSCP」とするサイトがあります。これを書かれた方は、若くて柔軟な考えを持たれていると勝手に想像していますが、それでもHSCPには懐疑的な様子です。このような状況ですから、何も考えずボーとして生きてきた人たちは、常識から逃れることができず、神社に関する常識は「月には兎がいる」とした常識しか持ち合わせていません。
すでに何度も書いているように、実際に神社と神社の間に線を引いてみた事も無いにもかかわらず、HSCPを頭から否定する人たちを、「月から戻った宇宙飛行士に向かって、月には兎がいる」と主張しているようなものだと言ってきました。
なぜ、ご自分で線を引いて確かめないなでしょうか?。
第一の理由は、そんなことをしても意味がある訳はないので無駄であるとする考えが一番の理由です。私も、そんな無駄なことをるするなら、「コンビニ間に線を引いた方が面白い」とも言われました。そうですね、常識的に考えれば無駄であることは子供でもわかっています。結局、常識は崩れず、常識はずれの意見はいつまでもトンデモ説扱いのままになってしまいます。
第二の理由です。神社間に線を引くことは簡単のように見えても、古代人の考えと同じように線を引くことはそんなに簡単ではないのです。これまで、神社や古墳、遺跡などの間に線を引いた著書やホームページがありますが、そのどれを見てもその難しさをわかっているものはありません。地図が、楕円体の地球を色々と工夫して平面に投影していることを全く意識していません。したがって、その内容は、まぐれ当たりを除けば、そのほとんどがでたらめです。こんなでたらめがまかり通っている状態ではいつまで経っても常識は崩れることはありません。
第三の理由です。日本は神社が多いから、直角線を引けばどこかの神社に行き当たるのは当たり前だとする意見も多くあり、そんなことをしても無駄以外の何物でもないとした考えが多いことです。確かに日本は神社が多く、ネットの検索では、その総数が8万数千とした説が多いようです。しかし、国土地理院の地図にある神社の総数はその数倍以上もあり、神社がやたらと多いのは間違いありません。しかし、実際に線を引いてみてください、実際に正しく正確に線を引いてみれば先の意見は単なる思い付きに過ぎないことがすぐにわかります。しかし、これまで上げた理由などもあり、実際に正しい線を引いた人がほとんどいない上に、仮に線を引いた人たちがいても、ハッタリや思い込みで、でたらめな線を引いたにもかかわらず、最もらしい線に見える可能性も多くあります。これでは、信用する人が減るのは当たり前です。
このような状況下で、驚く事実が見つかりました。銅鐸の埋蔵地点にHSCPの規則に従って正確に配置されていることを発見したのです。これまで出土地が明確にになった銅鐸の総数はおよそ350口です。神社の総数よりも三桁も少ないので、先の第三の理由による間違いが少なくなり、HSCPの理解が飛躍的に高まることを期待できます。さらに、銅鐸には謎が多く、著名な研究者も歯が立たず、未だに分類と整理が整ってきているだけで、そこから、目立った成果が上がっていないのが現状です(分類と整理が重要な学問であることは充分に承知しているつもりです)。
銅鐸については記紀にも記載がないに等しく、銅鐸そのものの利用目的や方法も未だによくわかっていません。ましてや、それがなぜ埋められたかの決定的な説もまだなく、銅鐸の埋められた時期もまだ確かではありません。しかし、紀元前後であることは確かでしょう。記紀の記載ではなく、実年代を勘案すると、欠史の時代がそこに入るのかも知れません。このような、難しい問題に少しでもヒントになってもらうことを期待して、新しくページを作りました。
すでに九州王朝説が一目瞭然で崩壊する図にあるように、銅鐸の埋蔵ポイントを利用するだけで古墳時代以前から、その後作られた仁徳天皇陵の位置がすでに聖地であったことを示し、九州王朝説が単なる思い付きの滑稽な説でしかないことを証明しました。これを書いてから4ヶ月も経とうとしていますが未だに何の反論もありません。
その後掲示板のNo315の銅鐸、銅矛、銅剣の出土地緯度・経度データで書いたように、すばらしいサイトが見つかりました。このサイトのおかげでこの研究は急速に進みました。どなたが提供してくださっているのか未だにわからず、お礼のしようもありませんが、本当に感謝しております。今後の研究にはなくてはならない貴重なサイトとなっていて、正に神からの贈り物をいただいた気持ちでいます。そんなわけで、このサイトを今後「神サイト」と呼ばせていただくことを勝手に決めてしまいました。よろしくお願いいたします。
この神サイトは銅鐸だけでなく、銅剣・銅戈・銅矛などの埋蔵位置データもあり、そのおかげで、銅剣・銅戈・銅矛も銅鐸と同じHSCPの配列規則の中にある例があることを発見しました。銅鐸は墓から出ることはなく、墓からも出る銅剣や銅矛・銅戈の埋蔵位置が銅鐸と同じように扱われていることに驚くとともに、神サイトを提供してくださった方に感謝の気持ちでいっぱいです。
それでは、まずその御礼も含めて、銅剣の埋蔵ポイントも含めた重要な発見例を図b-1に示します。
注;吉野ヶ里銅鐸出土地の位置データは佐賀県文化課文化財保護室提供のデータを使用
ポイント名 住所 緯度,経度(十進) 緯度,経度(十進)
補正内角用補正内角
(度)到着 吉野ヶ里銅鐸出土地 佐賀県吉野ヶ里町大曲 33.333190,130.386780 35.397383,132.410725 経由 竹田遺跡銅戈出土地 島根県海士町海士3817 36.101472,133.101056 36.101472,133.101056 89.86 出発 仁徳天皇陵 大阪府堺市堺区大仙町 34.564897,135.487990 35.542464,133.969447 図b1 仁徳天皇陵の位置から竹田遺跡銅戈(剣)出土地を経由、吉野ヶ里銅鐸出土位置に到着する正確な直角線
神サイトの竹田遺跡のデータは下記であるが
竹田遺跡 島根県 隠岐郡海士町海士 中細形銅矛 1 (廃棄) 弥生後期中葉 (2C末頃~3C初頭) 36.101472,133.101056
その後Webから発見した奈良文化財研究所のサイトである下記
https://sitereports.nabunken.go.jp › attach › 13824_4_出雲神庭荒神谷遺跡
からダウンロードした表題不明のpdfファイル、第 2章 青銅器埋納 跡調査表の396ベージには、この遺跡は1968年に諏訪川が形成した沖積地の北辺、低丘陵南斜面の桑畑造成中に、中学生が銅剣(中細型銅剣b類1、剣身下半)を発見したとあります。また、ここでは所有者は海士町教育委員会とあるので、発掘された銅剣は現存している可能性もあります。どうやら「神サイト」の「中細型銅戈」は「中細型銅剣」の間違いである可能性が高くなりました。以降の記載は竹田遺跡銅矛出土地を竹田遺跡銅剣出土地と変更します。
図1bの説明は次回になりますが、この図はたった一本の直角線しか書いていませんが、これまでの常識を覆す重要な意味を含んでいます。もちろん、ここでも九州王朝説が成り立たないことが一目瞭然でわかるでしょう。また、次回の図1bの説明では「謎のHSCP」でほぼ無視されていたように見える十六島町の「最上位経王大菩薩」も登場してきます。
図1bで、竹田遺跡を経由する直角線の補正内角は89.86度です。このような角度が偶然に起きる大雑把な確率は1/700です。「神サイト」にかかれている銅鐸・、銅剣・銅矛・銅戈の埋蔵位置に、独自に調べた件数も加えて、今のところ。銅鐸349件、銅剣45件、銅矛164件、銅戈215件となってその合計は773箇所です。このような事象の中で1/700しかない確率のものが出現することは図1bの配列は偶然ではなく、計画的に考えた可能性が強くなります。
図b2 隠岐諸島における竹田遺跡の位置とその拡大図
図b1では隠岐の島は二つに見えますが、実際は図b2に示すように、主島で最も面積の大きい島後と西ノ島・中ノ島・知夫里島の三島で構成される島前に分かれています。竹田遺跡銅剣出土地は島前の中之島(海士島)にあり、隠岐神社の北約320m、海抜30mほどの山中にあります。隠岐神社はこの竹田遺跡と関係がありそうに見えますが、隠岐神社は1940年に島根県が紀元二千六百年記念行事として創建した神社です。竹田遺跡銅剣出土地をここで詳しく説明する理由は、竹田遺跡銅剣出土地は紀元前後の近畿と九州の関係を示す非常に重要なポイントであるにもかかわらず、「神のサイト」以外に全く見つからないからです。
もちろん、Webでこれを検索しても何も見つかりません。先の1/700の確率は海域も含めた領域に対する確率です、しかも青銅器の出土位置する遺跡は隠岐諸島の中で竹田遺跡一つしかないのです。このような希少なポイントを経由した線が、0.14度の誤差しかない、極めて正確な直角線になることは驚くほかはありません。
驚きはまだ続きます。古代人の能力を信ずることが未だにできず、やはり偶然に違いないと考えている人達も考えを改めなければならない事実がまだ続きます。
ポイント名 住所 緯度,経度(十進) 緯度,経度(十進)
補正内角用補正内角
(度)到着 木幡家銅鐸出土地 島根県松江市宍道町宍道 35.405457,132.909805 35.405457,132.909805 1 経由 竹田遺跡銅剣出土地 島根県隠岐郡海士町海士3817 36.101472,133.101056 36.101472,133.101056 89.94 出発 三柱神社 京都府京丹後市丹後町筆石 35.743230,135.121890 35.909327,134.185036 到着 最上位経王大菩薩 島根県出雲市十六島町 35.466800,132.755580 35.466800,132.755580 2 経由 竹田遺跡銅剣出土地 島根県隠岐郡海士町海士3817 36.101472,133.101056 36.101472,133.101056 90.23 出発 堀山田銅鐸 愛知県田原市西神戸町 34.641400,137.270000 35.745331,134.117998 到着 吉野ヶ里銅鐸出土地 佐賀県吉野ヶ里町大曲 33.333190,130.386780 35.397383,132.410725 3 経由 竹田遺跡銅剣出土地 島根県隠岐郡海士町海士3817 36.101472,133.101056 36.101472,133.101056 89.86 出発 仁徳天皇陵 大阪府堺市堺区大仙町 34.564897,135.487990 35.542464,133.969447 到着 吉野ヶ里銅鐸出土地 佐賀県吉野ヶ里町大曲 33.33319,130.38678 35.036297,133.039596 4 経由 泊村小浜銅鐸出土地 鳥取県東伯郡泊村小浜 35.517819,133.969431 35.517819,133.969431 90.30 出発 中川原銅鐸出土地 兵庫県洲本市中川原町清水二ツ石 34.374630,134.874043 34.761740,134.567762 到着 最上位経王大菩薩 島根県出雲市十六島町 35.466800,132.755580 35.466800,132.755580 5 経由 竹田遺跡銅剣出土地 島根県隠岐郡海士町海士3817 36.101472,133.101056 36.101472,133.101056 90.23 出発 堀山田銅鐸出土地 愛知県田原市西神戸町 34.641400,137.270000 35.745331,134.117998 到着 中川原銅鐸出土地 兵庫県洲本市中川原町清水二ツ石 34.374630,134.874043 34.919939,133.835000 6 経由 木幡家銅鐸出土地 島根県松江市宍道町宍道 35.405457,132.909805 35.405457,132.909805 89.86 出発 来縄溶銅戈土地 大分県豊後高田市来縄 33.546917,131.449692 34.648427,132.315056 到着 矢野遺跡出土銅鐸 徳島県徳島市国府町矢野 34.060961,134.473663 34.724557,133.661238 7 経由 加茂岩倉遺跡銅鐸出土地 島根県雲南市加茂町岩倉837 35.359854,132.883417 35.359854,132.883417 90.05 出発 吉野ヶ里銅鐸出土地 佐賀県吉野ヶ里町大曲 33.333190,130.386780 34.725851,132.104524 到着 中川原銅鐸出土地 兵庫県洲本市中川原町清水二ツ石 34.374630,134.874043 34.675554,133.521103 8 経由 中野仮屋銅鐸出土地 島根県邑智郡邑南町中野仮屋4133 34.910200,132.466063 34.910200,132.466063 89.72 出発 方財神社 宮崎県延岡市方財町167 32.586500,131.704390 34.040509,132.180980 到着 中川原銅鐸出土地 兵庫県洲本市中川原町清水二ツ石 34.374630,134.874043 34.919939,133.835000 9 経由 木幡家銅鐸出土地 島根県松江市宍道町宍道 35.405457,132.909805 35.405457,132.909805 89.86 出発 来縄銅戈出土地 大分県豊後高田市来縄 33.546917,131.449692 34.648427,132.315056 到着 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽 34.734400,135.241900 34.660850,135.250875 10 経由 ヒロサ銅鐸出土地 和歌山県田辺市中芳養 33.763639,135.366389 33.763639,135.366389 90.06 出発 吉野ヶ里銅鐸出土地 佐賀県吉野ヶ里町大曲 33.333190,130.386780 33.670935,134.293709 図b3 特異な点にある竹田遺跡銅剣出土地(全ての直角線が±0.3度以内の誤差)
図b3は銅鐸、銅剣、銅戈の埋蔵ポイントに関するHSCP線で、竹田遺跡銅剣出土地と吉野ヶ里銅鐸出土地に出入りする直角線図を示したものです。(吉野ヶ里銅鐸出土地にはその近傍からも出入りする直角線がありますが、それを省略しています)また、方財神社はHSCPで見ると宇佐神宮(大分県宇佐市大字南宇佐)と特異な幾何学的関係がある神社で、三柱神社、最上位経王大菩薩、曽根崎神社は青銅器の埋蔵ポイントではありませんが、これらはただの神社ではなく、すべてが神社群中心の特性のある特異な位置にある神社で、三柱神社と曽根崎神社は図F-9で説明をした神社です、方財神社はHSCPで見ると宇佐神宮(大分県宇佐市大字南宇佐)と特異な幾何学的関係がある神社、最上位経王大菩薩はこのHPで度々登場する神社です。また、曽根崎神社は後に九州大学病院出土銅鐸 (福岡市東区馬出)の説明で再び登場してきます。
図b3では、竹田遺跡銅剣出土地には、図b1で示した仁徳天皇陵を出発した直角線を含めて3本の直角線が経由しています。その補正内角は、89.94度、90.23度、89.86度と、どれもすばらしい直角精度です。もし、銅鐸の埋蔵位置が計画的ではなく、ランダムに配置しているとしたらこのようなことは決して起きることはありません。
さらに、図b3では異なる位置から出発した線が吉野ヶ里銅鐸出土地点の一点に6本も収斂しています。このような事象も青銅器の埋蔵地点が計画的ではなく、ランダムに配置されているとしたら決して起きることはありません。もちろん、近畿と九州が対敵的な関係であるとしたら、このように計画された正確な位置へ青銅器を埋蔵することが到底できないことは、確率論を出すまでもなく理解できるでしょう。また、敵が攻めて来たときに銅鐸の所有者が土中に隠匿して退散したとする古田武彦氏の説も成り立たなくなります。
かつて、和辻哲郎氏の説で、教科書に掲載されていたこともあった「近畿の銅鐸文化圏と九州の銅矛・銅剣文化圏が互いに相反した勢力となっていて、後者が前者を滅ぼして銅矛・銅剣文化圏にいた勢力がその後の大和朝廷を作った」とする説がありました。
この説は、1983年に島根の荒神谷遺跡から銅剣が385本と銅鐸6個、銅戈16個が発掘され、さらに続いて1999年に荒神谷遺跡から3.4Km離れた加茂岩倉遺跡から39口の銅鐸が発掘されました。同じ出雲の地から大量の銅剣と銅鐸、銅戈が発見されたことで、和辻哲郎氏の説は疑問視されるようになっていました。また、銅鐸が出土しないとされていた九州では、1998年に佐賀の吉野ヶ里遺跡のNo.26トレンチから、九州初となる銅鐸(図b3の吉野ヶ里銅鐸)が出土しました。しかもこの銅鐸と島根県出土の木幡家銅鐸(図b3の経由地1)と同じ鋳型で作られたことがわかったのです。そんなことから、銅鐸文化圏と銅矛文化圏の範囲があいまいになってしまい、銅鐸文化圏と銅矛文化圏の呼び名で地域を分けることは無くなってきている状態にありました。
ところが、ベストセラーになった百田尚樹氏の日本国記には「現在の教科書では文化圏と言う言葉は使われなくなったが本書では敢えて使う」として、「奈良にあった銅鐸文化を持った国を、別の文化圏の国が侵略し、銅鐸を破壊したと考えれば辻褄が合う。」としています。一見、この考えは古い説を蒸し返した間違いのように見えますが、これが間違いであるとは言い切れない難しい問題があります。これは後に百田氏も取り上げている破砕銅鐸についての説明で詳しく説明する予定です。
2019.12.6 記
難しい議論をする前に、青銅器の埋蔵位置の配列規則を更に見てみます。図b4は道蔵遺跡(神サイト、銅戈)にあるように、銅戈の出土ポイントになっています。この遺跡は弥生時代の環濠集落のあったところですが、その後古墳時代には大善寺校区の文化財に見られるように古墳がたくさん作られるようになります。この付近は筑後川が接しているので、弥生から平安時代まで水運を利用して栄えた複合遺跡になっています。その後明らかになるように、弥生時代にはこの付近は九州だけでなく、出雲や近畿ともつながりがあることが九州の外まで伸びるHSCP線によってわかります。
図b4は九州内の関係を明らかにする目的で、九州の外につながるHSCP線を省略しています。また、直角精度を±1%まで許容すると更に線が増え、例えば広形銅矛の出土点である冷水(福岡県北九州市小倉南区長野東)にも派生した直角線の収斂点を作り、この群中心からも四国や山陰に伸びるHSCP線が出ます。
図b4で唯一青銅器出土点になっていない㉑弊立神宮は中広形銅矛と単身の出土点である㉒景華園遺跡から、90.01゜度のすばらしい直角精度で到達する到達点になっています。このような精度が偶然に起きる大雑把な確率は1/10000ですから、弥生時代に㉑弊立神宮が存在していたことの証拠になります。(もしかしたら、この神社の下に青銅器が埋蔵されている可能性もあります)。当然のことですが、この神社にも沢山の直角線が到達しています。この様子は後に明らかにします。
道蔵遺跡に収斂するHSCP線
出土青銅器種別 番号 ポイント名 住所 緯度,経度(十進) 緯度,経度(十進)
補正内角用補正内角
(度)到着 中広形銅矛 1 ② 庄太郎丸遺跡 熊本県山鹿市鹿本町庄 33.006168,130.769196 33.006168,130.769196 経由 中広形銅矛 3 ③ つるかけ遺跡 福岡県うきは市浮羽町妹川 33.303479,130.731962 33.303479,130.731962 90.17 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 銅戈 ④ 永岡遺跡 福岡県筑紫野市大字永岡 33.475806,130.538500 33.475806,130.538500 経由 中広形銅矛 2 ⑤ 豊姫神遺 福岡県久留米市北野町金島 33.341487,130.615610 33.341487,130.615610 89.86 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 広形銅矛 ⑥ 飯倉D 福岡県福岡市 城南区七隈三丁目 33.557381,130.357773 33.557381,130.357773 経由 銅戈 ⑦ 乙隈東畑遺跡 福岡県小郡市乙隈 33.433190,130.584000 33.433190,130.584000 89.84 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 銅戈 ⑧ 西入部白塔遺跡 福岡県福岡市 早良区西入部四丁目 33.513562,130.328339 33.513562,130.328339 経由 銅戈 ⑨ 寺福童遺跡 福岡県小郡市寺福童 33.386291,130.550762 33.386291,130.550762 89.80 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 広形銅矛 1 ⑩ 太祝詞神社 長崎県対馬市美津島町加志512 34.278923,129.240419 34.066696,129.731459 経由 銅戈 ⑪ 立岩焼ノ正遺跡 福岡県飯塚市立岩 33.651788,130.691432 33.651788,130.691432 90.03 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 平形銅剣 ⑫ 清水迫遺跡 大分県大分市大字丹生 33.221361,131.708278 33.245196,131.651959 経由 銅戈 ⑪ 立岩焼ノ正遺跡 福岡県飯塚市立岩 33.651788,130.691432 33.651788,130.691432 90.03 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 銅戈 ⑬ 三雲南小路遺跡 福岡県糸島市三雲 33.536671,130.241669 33.536671,130.241669 経由 銅戈 ⑭ 原町遺跡 福岡県春日市原町三 33.534413,130.467469 33.534413,130.467469 90.05 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 広形銅矛 ⑮ 柏崎大深田 佐賀県唐津市柏崎 33.413139,130.006667 33.413139,130.006667 経由 銅戈 ⑯ 飯盛遺跡(1次調査) 福岡県福岡市 西区大字吉武 33.537533,130.318756 33.537533,130.318756 89.90 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 広形銅矛 ⑰ 井尻熊野権現 福岡県福岡市 南区井尻二丁目 33.558008,130.440841 33.558008,130.440841 経由 銅戈 ⑱ 櫟ノ木鋳型出土地* 佐賀県佐賀市久保泉町大字上和泉 33.318550,130.337845 33.318550,130.337845 89.71 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 銅戈 ⑲ 今宿五郎江10次 福岡県福岡市 西区今宿東一丁目 33.575813,130.272949 33.575813,130.272949 経由 銅戈 ⑳ 鍋島本村南遺跡 佐賀県佐賀市鍋島五丁目 33.286222,130.261861 33.286222,130.261861 90.03 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 到着 ㉑ 弊立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712 32.687070,131.135630 32.687070,131.135630 経由 中広形銅矛 2、短身1 ㉒ 景華園遺跡 長崎県島原市中野町 32.826639,130.349444 32.826639,130.349444 90.01 出発 銅戈 ① 道蔵遺跡 福岡県久留米市大善寺町中津 33.280833,130.464472 33.280833,130.464472 図b4 ①道蔵遺跡を中心とした青銅器出土点のHSCP配列 (直角精度が±0.3度以内の誤差) 出土点は神サイト銅戈、銅矛、銅剣を参照
図b4では、対馬の⑩太祝詩神社から⑪立岩焼ノ正遺跡を経由して①道蔵遺跡に到達する直角線の補正内角は90.03゜、⑫清水遺跡から立岩焼ノ正遺跡を経由して①道蔵遺跡に到達する直角線の補正内角も同じ90.03゜とすばらしい直角精度になっています。90.03゜の直角精度が偶然に起きる大雑把な確率は1/3000です、しかも三つの点⑩-⑪-⑫が250kmもの正確な直線でつながることは絶対に偶然では起きません。これは弥生時代の人たちが、極めて高い精度で遠方の方向を知ることのできた決定的証拠です。図では対馬からの線は一本しか書いていませんが、対馬には青銅器の出土が多く、そのほとんどの出土点がHSCPの規則で±0.3度以内の正確な直角線でつながり、九州に到達しています。これも後に明らかにします。それにしても、対馬から多くの青銅器が出土するにもかかわらず、壱岐からはそれがないのは実に不思議です。
2019.12.4 記
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