2018/04/21のNo266で天孫降臨とは何であったか(田中英道著)につい て書きましたが、今度は同じ著者が書いた「邪馬台国は存在しなかった」 が勉誠出版から今年の1月9日に出版されました。
驚くことに、この本の書き出しは赤村の前方後円墳からはじまってい ます。
私が赤村の前方後円墳について書きはじめたのは昨年の6月23日のNo2 72ですから、この記事を読もうとすれば読めたはずです。
しかし、有名な学者ですから、素人の説など読む気は毛頭なく、このペ ージも知らなかったでしょう。
先にも書いたように、著者のご意見は私も共感することが多いので 期待して読みました。しかし、残念なことにこの著書では赤村の前方後円 墳はその素性を知ろうとすることもなく、いきなりこれまでの邪馬台国論 争を批判する材料として使ってしまったのです。
先の「天孫降臨とは何であったか」でも、肝心の「天降神社」まで書 いておきながら、その取り上げ方に不備があり、その結論はとんでもな い結論を出すことになってしまいました。
とても残念なことに、こんども同じミスを犯しています。邪馬台国論 争には神社が欠かせないとする、これまでの研究者にない優れた着想を 持って研究をしています。にもかかわらず、近年建てられた神社を除く と「卑弥呼神社」が日本に全く存在しないから卑弥呼はいなかったし、 当然の結論として邪馬台国はなかったことになっています。
そもそも、卑弥呼の時代に神社に名前がついていたかどうかも全く わかっていなのに、「卑弥呼神社」がないから卑弥呼はいなかったと するのは性急過ぎますます。
同じ論法を使うと、「富士山は三国志、記紀のどこにも見当たらない から、古代に富士山はなかった」となります。もちろん、先生は富士山 の存在を否定するどころか
「天孫降臨とは何であったか」では
@富士山信仰が縄文時代からあった。 A縄文時代に列島全体は同じ文化位相を持ったゆるやかな国家があっ た。
と、他の学者にはない優れた主張をしています。また、「邪馬台国は 存在しなかった」ではこの存在には神仙思想と太陽祭祀が重要であると 説いています。ここまで鋭くポイントを絞っておきながら、とんでもな い結論になっているのは残念でなりません。
ちなみに、赤村の前方後円墳は田中英道先生の要求する必要事項を すべて満足しています。
仙神思想→323mPeak
太陽祭祀→卑弥呼の没年に323mPeakの真上から日の出
不正確なものは信ずるに足らない→常識を超える精度 さらに、これから書く323mPeakの素性には驚かずにはいられない でしよう。
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