現在石塔山荒覇吐神社(十和田神社)の位置から求まった大湯環状列 石にある万座、野堂2つの環状列石を含む干字状パターンの特性について 詳しく説明をしている最中です。
この干字状パターンの一段目は北海道にあり、その一つである南町神 社を中心とする一段目バターンがフゴッベ洞窟と偶然では決して起き得 ない幾何学的相関があることがわかってきました。この後に続いて書く ように地神・馬頭観音を中心とする干字状パターンは南町神社の場合と 同じ特性を持っていることがわかってきます。さらに洞窟との関係もフ ゴッベ洞窟だけでなく手宮洞窟でも同じ特性があることもわかってきま す。さらにマッカウス洞窟とはとてもわかりやすい幾何学的相関がある こともわかってきます。 以上の検証に使用される北海道の神社数は非常に多くなり、ここから 見ても北海での神社のほとんどは縄文時代に、その位置が計画的に決め られていたことが明らかになり、どんな学者もそれを否定することがで きなくなるでしょう。
北海道に開拓者が到着したとき、その原野には数多くの小祠がありま した。この得体の知れない小祠を明治政府は禁令を出してそれを祀るこ とを禁じました。しかし、その禁令は守られず、ほとんどの神社はその 小祠の付近に建てられに違いありません。これが北海道の神社が規則正 しいHSCPの配列をしている決定的な理由です。アイヌはこのような 風習を持たないので、この事実にはアイヌは無関係でしょう。学者の誰 も思いつくことのなかった驚く事実がここにあります。
この例は、北海道だけではありません。日本の本土だけでなく、沖縄 まで同じ状態にあったことも明らかになってきました。その具体的な例 は研究を始めた頃に書いた参照先に示した「★大東諸島の神社配置の不 思議にあります。」
南大東島には三つの神社があり北大東島にある神社と併せて図10で示 したように、星野洞と呼ばれる洞窟と見事な直角線を作っています。切 り立った断崖絶壁が島の廻りを取り囲み、現在でも上陸が困難でクレー ンを使用して上陸しなければならない不便な島です。
1600年以前の歴史はほとんど知られていません。大東島史を見ても神 社の由来は創建者の名前が描かれているだけです。このような島に古代に 神社があったと言っても誰も信ずる人はいないでしょう。しかし、ここで 驚くことを発見したのです。
星野洞の位置は八幡神社(長崎県五島市富江町長峰2197、一段目)を神 社群中心とする干字状パターンの左端にあたる位置にあることがわかり ました。
二段目中心は昊天宮(長崎県大村市宮小路2丁目537)、左端は上 中神社(極楽寺跡地、鹿児島県南種子町中之上)、右端は鷦鷯神社( 長 崎県対馬市上県町犬ケ浦)になります。この干字状パターンも非常に正 確で、周辺の対馬、奄美大島、沖縄の神社と正確な幾何学的関係を持っ ています。
縄文時代の後期には、日本は国としては呼べるように統一された状態 ではなかったと考えていますが、遠距離の精密な測量ができ、船を持 ち、断崖も容易に登れる神のような能力を持った人達に支配されていた ことは間違いないことがわかってきました。
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