荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の位置は平地ではなく、どちらも傾斜の急な部分にあります。なぜ、そんなに不自然にみえる場所をあえて選んだか、その理由をを考える一つのヒントになります。

  下記に、古代人の方向決定能力とダイナミックな移動能力を示す具体例を示します。各遺跡から洞窟を経由して洞窟に達する線の角度が正確な直角になっている事実です。(
地球を楕円体とした国土地理院の超精密な計算式を使用した値です。)ここまでの説明からは、古代人が神社の位置を決める場合、古富士を除くと、山よりも洞窟の位置を重視していたことがわかります。その実例を下記に示します。

  もちろん、両遺跡の位置は洞窟の位置だけで決まるように単純ではありません。後に、周辺の神社位置、最終的には古富士の位置も関係してきます。また、宮崎県と大分県にまたがる祖母山(神武天皇の祖母、豊玉姫を祀っていることに由来すると言われている)を例とするように、その山頂の位置が周辺にある神社位置に大きく影響を与えている山もあります。



図−4 荒神谷遺跡の位置と洞窟の関係

@荒神谷遺跡− C鬼舌震− D秋芳洞 89.20度
@荒神谷遺跡− Eサルガ鼻洞窟住居跡−F満奇洞 90.83度



図−5 加茂岩倉遺跡遺跡の位置と洞窟の関係
    

A加茂岩倉遺跡−C鬼舌震− Gはなぐり洞門  89.09度
A加茂岩倉遺跡−H静ヶ窟 − I猿田洞 89.98度


@荒神谷遺跡(島根県出雲市斐川町)
A加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)
B静ヶ窟(島根県大田市)
C鬼舌震(島根県仁多郡奥出雲町)
D秋芳洞(山口県美祢市)
Eサルガ鼻洞窟住居跡(島根県松江市)
F満奇洞(岡山県新見市)
Gはなぐり洞門(長崎県平戸市)
H静ヶ窟(島根県大田市)
I猿田洞(高知県高岡郡日高村)

上記@からIのポイントは周辺の神社に対して線引きするとすべて神社群中心の位置にあります。単なる点ではなく、周辺の神社に対する総代のようなものです。この点が俗に言われているレイラインの手法とは全く異なり、偶然性の入る余地は桁違いに少なくなりますもちろん、この神社群中心のほとんどは古富士線を持ち、干字状パターンを形成し、さらにその信頼性を上げます


これまでの常識的な歴史観からはとても考えられない事実です。こんなことを古代人ができるわけはない、「偶然が重なっただけ」と考えてしまうのも無理はありません。しかし、まだ驚くことは続き、その考えを捨てざるを得なくなります。
また、神社の話のはずなのに、神社ではなくて遺跡と洞窟の関係をなぜ書くのか分からないとした疑問があると思います。一般の常識では神社と遺跡は全く別のもので、造られた時期や目的も異なるし、ましてや、神社と洞窟が関係するわけがないので、これを一緒に論ずること自体がおかしい、と思われるのは当然です。しかし、そのような一般常識の方がおかしいことをこれから説明して行きます。

  これまで、二つの遺跡と洞窟の関係について書きました。今度は出雲大社の位置と洞窟の関係を書いてみます。こここでも、出雲大社の位置が先の遺跡と同じように、
洞窟から洞窟に達する線が正確な直角になっていることがわかります。

 掲示板書いてあるように、出雲大社の位置は、古代に決められた場所から少し北にずれた場所に現在は建っています。図−6からはその様子を明確に知ることはできません。この理由は、対象ポイントから洞窟までの距離が遠距離の場合が多く、その事実を知るほど位置の精度を上げて線引きすることが困難な場合が多いのです。しかし、この項を理解して行くと、その問題もなくなり、現在の出雲大社が北に動いた事実を明確に知ることができるようになります。それだけでなく、出雲大社の本殿の向きが、なぜ正確な南に向かず、少し曲がった方向を向いている理由もわかって来るはずです。(驚くでしょうが、ここでも古富士の位置が大きく関係しているのです。)



図-6 出雲大社の位置と洞窟の関係(洞窟から別の洞窟を通り直角で達する線が4本もある)

@出雲大社−A鹿穴−B鵜殿窟 90.61度
@出雲大社−C白雲洞−D竜神洞 90.20度
@出雲大社−E猪目洞窟遺物包含層−F御洞滝 89.49度
@出雲大社−G多古の七ッ穴−J宇山洞 90.74度
@出雲大社−H鬼の穴−I風穴 89.99度

@出雲大社(島根県出雲市)
A鹿穴(広島県尾道市)
B鵜殿窟(佐賀県唐津市)
C白雲洞(広島県庄原市)
D竜神洞(鳥取県岩美郡岩美町)
E猪目洞窟遺物包含層(島根県出雲市)
F御洞滝(岡山県新見市)
G多古の七ッ穴(島根県松江市)、七ッ穴のうちで西を向いて開口している洞
H鬼の穴岡山県真庭市)
I風穴(愛媛県上浮穴郡久万高原町)
J宇山洞(岡山県新見市)

上記@からIのポイントは周辺の神社に対して線引きするとすべて神社群中心の位置にあります。単なる点ではなく、周辺の神社に対する総代のようなものです。この点が俗に言われているレイラインの手法とは全く異なり、偶然性の入る余地は桁違いに少なくなりますもちろん、この神社群中心のほとんどは古富士線を持ち、干字状パターンを形成し、さらにその信頼性を上げます。

  このように、古代に重視されていた神社や遺跡の位置は、洞窟の位置と定まった関係の配置がされているのです。
はたして、この奇妙な規則は出雲地方だけの特徴でしょうか?

 同じようにして、諏訪大社本宮と洞窟の関係をみると目を疑う結果になります。ここに書く前に、どなたもそれを試すことができるはずです。ぜひ試してみてください。驚く事実がそこにあります。      2011.9.8記

 すでに線引きをされて驚いた方もいたと考えています。実は、諏訪大社本宮と洞窟の関係をみると、
出雲大社とは比較できないないほど多くの洞窟と直角の線が引けるのです。その線のほとんどが偶然ではない証拠は、諏訪大社の位置を動かしてみるとすぐにわかります。例えば、その位置を4kmほど南西にある守屋山(聖地エルサレムの古い呼び方から来ているとした説もある)山頂にすると、洞窟と引ける直角線はほとんどなくなってしまいます。

 ここでは本題から少し離れますが、諏訪大社本宮の位置がどのようにして決まったかを考えてみます。(これまで、誰も語ったことのなかった説で、批判も承知で書いて見ました。遠慮なく、ご意見を掲示板にお願いいたします。)

○諏訪大社本宮の位置はなぜそこに決まったか。
  先にも書いたように、諏訪大社本宮の位置には実に多くの洞窟や穴、海食洞などと結んだ直角線の端点が収斂します。その位置から見ても、偶然にそのようになっている線もある可能性はありますが、それは確率に応じるもので、ほんの少しであると考えています。その数多い直角線の中から、注目する線だけを取り出し、それを図にしたものを下記に示します。(諏訪大社は本殿がなかったとされていますが、この議論も後にしたいと思っています。ちなみに、
諏訪大社本宮は上社前宮の方向を向いていると言われていますが、これは方向が似ていることによる勘違いで、方向はほぼ同じでも、諏訪大社本宮は古富士を向いているのです。これは、出雲大社が大将軍神社の方向を向き、そこから直角で古富士を向いてるのに対して諏訪大社本宮が直接古富士を向いていることを意味します。この事実は背景に大きな意味を含んでいると考えています。
掲示板のスレッド番号36、37も参照してください。)下の図−7で、青色の線についてみると、次の表になり、その直角精度はすばらしい値を示します。

@諏訪大社本宮-A宇津野洞窟−B大沢鍾乳洞 90.78度
@諏訪大社本宮-C養沢鍾乳洞−D桃洞滝 89.86度

  図-7諏訪大社本宮と洞窟の関係

@諏訪大社(上社)本宮(長野県諏訪市)
A宇津野洞窟(栃木県佐野市)
B大沢鍾乳洞(新潟県五泉市)
C養沢鐘乳洞(東京都あきる野市)
D桃洞(とうどう)滝(秋田県北秋田市森吉 )

ここで、A宇津野洞窟、B大沢鍾乳洞、C養沢鐘乳洞は自然にできた鍾乳洞です。D桃洞滝も自然物ですからそれらの位置は古代からすでに決まっていたことになります。言い換えれば、諏訪大社本宮の位置は前記した洞窟と桃洞滝の位置によって決定されたことになります。

B大沢鍾乳洞は新潟県南蒲原郡田上町と新潟県五泉市の境界付近にあり、管理人は田上町で生まれているので、この鍾乳洞へ度々探検に行きました。この洞窟の発見時には、洞窟内から完形の尖底土器が大量に発見されたようです。

子供の頃ですが、この土器の一部は亀徳泉の床の間に飾られていましたが、残念なことに現在はそれらの土器はすべて散逸してしまっているようです。そんなわけで、この洞窟にかつて人が住んでいたので、祖霊信仰の意味を持ってこのような配置をしたのかも知れません。
注;大沢鍾乳洞については

古富士−二ッ穴(福島県白河市)−大沢鍾乳洞 90.50度
古富士大沢鍾乳洞−岩穴(福島県二本松市) 90.61度

の線もあります。

一方、D桃洞滝はとても奇妙な景観の滝で、その景観からすぐに直感する人も多いでしょう。
注;北秋田市のHPにも桃洞滝の綺麗な写真があります。

そうです、豊穣、安産のシンボルです。この結線はそのシンボルを崇拝する意味があったものと考えています。(この滝は女滝とも呼ばれています。)

注;桃洞滝へは、他に諏訪大社本宮-大岳鐘乳洞(東京都あきる野市)-桃洞滝と90.86度で参照する線もあります。 ちなみに、ウッドサークルを持つ石川県の真脇遺跡からは狸穴(福島県石川郡玉川村)を経由し89.33度で桃洞滝も参照しています。また同じウッドサークルを持つチカモリ遺跡(石川県金沢市)からは、竹鼻町狐穴 (岐阜県羽島市)を経由して90.52度で桃洞滝を参照しています。さらに、木柱列を持つ矢瀬遺跡(群馬県利根郡みなかみ町)からは白蓮洞(岩手県気仙郡住田町)を経由して89.08度で桃洞滝を参照しています。後に示す、ストーンサークルからも弁天洞窟を経由して89.77度で桃洞滝を参照しています。このように、環状遺構と洞窟の位置は幾何学的に明確な相関があります。
参考;桃洞滝を参照する第二の位置

もし、この予想が当たっているとしたら男性側もあるのではないか?と探索した結果を図−7のピンクの線で示しました。ここでも、下記のようにすばらしい精度の直角があります。

                        

@諏訪大社本宮-E歓喜神社-F御洞滝 89.96度

   E歓喜神社     和歌山県西牟婁郡白浜町
   F御洞滝      岡山県新見市大佐大井野
  

 歓喜神社は1300年前に南紀の氏子が祀っていたものが津波で埋まり、それを昭和38年に発掘したものを御神体としている、と言われている神社です。こちらは男性、女性ともにあります。一方、線引きの端点である御洞滝は総計20mほどの落差を持つ滝ですが、これが男性の何に関係するかどうかはわかりません。しかし、御洞滝は、出雲大社からも同様な結線があり、古代から重要視されていたようです(図−6のF)。桃洞滝も以後の説明で北海道からも参照されますから、覚えていてください。歓喜神社の位置はウッドサークルを持つ真脇遺跡(石川県珠洲郡能登町、紀元前800年)から甌穴(岡山県苫田郡鏡野町)を経由し角度が89.4度で参照されています。歓喜神社は伝承よりもさらに古い時代からあったことになります。

2011.9.14記

◎さらに驚く発見がありました御洞滝が金印ポイント(図−2参照)からも洞窟との関係で参照されていることがわかったのです。金印ポイントの重要性が益々明らかになってきました。この発見は、もしかしたら邪馬台国論争にも波紋を及ぼすかも知れません

   金印ポイント−稲積鍾乳洞(大分県豊後大野市)−御洞滝  89.91度
 

2011.9.18記