タイトル | : Re^3: 日本中央の碑、山内丸山遺跡、孀婦岩の関係 |
投稿日 | : 2022/08/21(Sun) 18:22 |
投稿者 | : 白戸明 |
> > >日本中央碑は元来、環状列石の中心石だったと想定しています。
>
> そのような意見も考えられますが、後に説明しますが、この発見位置
> は直角線で解析すると、「中央」の意味を説明することはできません
すごい量の直角線が引けることに敬意を表します「中央」の意味は、石柱にその様に刻まれていたということで田村麻呂か綿麻呂が蝦夷との戦いでの妥協の産物として、日の本即ち蝦夷の中心地という刻印をしたか、あるいは蝦夷が建立したのかと解釈しております。この石碑はいわば河川敷から発見されたもので、本来の建立位置ではないと思われます。夫雑原の台地は堆積岩で構成されていますが、この石碑のように火山岩の小石が農地造成時の石礫除去の作業で積まれているものもある。従って、この石碑は運搬された環状列石の石だと想定します。