神社はなぜそこにあるか?
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タイトル 銅鐸、銅矛、銅剣の出土地緯度・経度データ
投稿日: 2019/09/16(Mon) 18:21
投稿者管理人
参照先http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/iseki_taku.html

 参照先にあるように、主題のデータの多くが一気に得られるサイト
がありました。

 最近公開されたのでしょうか?、わずかな間違いもありますが、と
ても便利なサイトです。これまでの苦労が嘘のようです。

 ここから、一気に主題の位置を地図に書き込むことができました。
ここでわかったことは、銅鐸、銅矛、銅剣の出土地のほとんどが、正
確なHSCPの規則の中に分布していることです。

 これだけ、多くの位置を入れても、現在ある仁徳天皇陵の位置が青銅
器祭祀の中心にあることは変わりがありませんでした。

 部分的に見ると、対馬は鰐浦の本宮神社が一つの収斂点、驚くこと
に赤村後円中心で説明した、正一位稲荷大明神(福岡県北九州市若松
区百合野町3-1)も重要な収斂点でした。

 この点は紀元前から聖地だったことが明らかになったのです。ここ
から見ても、赤村の古墳が安閑天皇の陵墓とする説などは、とんでも
ない間違いであることがわかります。反論大歓迎!!

 青銅器埋蔵位置からみて、九州で最も大きい収斂点は弊立神宮(熊
本県上益城郡山都町大野712)でした。ここでも、紀元前から、弊
立神宮が重要な聖地だったことが証明されました。

 しかし、弊立神宮には、竜宮の潮吹き(山口県長門市油谷津黄498
)を経由した89.96度のすばらしい直角精度で仁徳天皇陵から直角
線が到着しています。この事実を持っても、仁徳天皇陵が、地方豪族
の墓であるとすることはできません。

 ここでも、九州王朝説は完全に否定されます。
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 何はともあれ、銅鐸、銅矛、銅剣の出土地を入れた、HSCP線で
これまで、誰も想像することもできなかった、紀元前の祭祀の地理的
な様子を一目瞭然に表示することができるようになりました。

どなたかわかりませんが、参照のサイトを提供してくださった方に感
謝申し上げます。


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