タイトル | : Re: お返事ありがとうございます |
投稿日 | : 2016/02/04(Thu) 06:45 |
投稿者 | : 管理人 |
参照先 | : http://http://w312.k.fiw-web.net/hscp/ |
> 弥彦の神代文字も載ってました。
弥彦山の頂上にあったとする神代文字はどこかで見た記憶があります。
> 義経や土方歳三が北上したのはワケがあったのだろうと感じます。代々のお侍様の戦は現代人が思っているより精神的に深い事情があると感じます。
義経も出雲崎の近くにある寺泊を経由しています。偶然かも知れませんが土方歳三の生家は神社群中心の位置にあります。
寺泊の聚感園には弁慶の井戸まであります。聚感園(菊屋五十嵐家跡)から上がった高台にある順徳天皇を祀った建物の正面一段下がった右脇にひっそりと五十嵐伊織の墓があります。これらは皆関係しているようです。五十嵐家をたどると垂仁天皇第八皇子に行き着くのです。
> 弥彦神社の宝物殿には歴代天皇の肖像画が飾られていて、欠史八代の髪型は耳のところで髪を束ねているのが興味深いです。
それは面白いことにお気づきですね。その髪型はみずらですね、ユーラシアに起源を持つと言われる髪型でシュメール人もその髪型をしていました。
> 新潟は神社も昔話も多いですが、出雲崎の多聞寺の和尚さんの話では明治頃まで人口も財産も日本一だったそうです。
その通りです。出雲崎の繁盛した様子は港区芝にある料亭の女将から聞いて驚いたことがあります。先に書いた五十嵐伊織は私の生誕地と同じ村にある豪農田巻家(歴代、五十嵐家と婚姻関係を重ねてきた)の出です。明治維新では、これら豪農のお金が湯水のように使われたのです。
> なかなか謎は解けず、興味は尽きません。
出雲崎に近い分水町には伝説の鬼「酒呑童子」にまつわる史跡もあります。