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タイトル | : Re^3: HSCPとはどの様なことでしょうか? |
記事No | : 321 [関連記事] |
投稿日 | : 2019/09/30(Mon) 23:57 |
投稿者 | : 管理人宛メールを転載 |
参照先 | : http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/iseki_taku.html |
>ないでしょうか。日本中央の碑と神社の関係を調べていて先生のHPに偶々たどり着いた次第。
>不躾な質問疑問を失礼いたしました。
日本中央付近のHSCPによる線引は10年ほど前に引いたことがあります。
>
>
>二つの主要点(A,B)を決定し各ポイント(P?)を設定(定礎)する。しかもPのA,Bに
>対する角度は直角という、縄文測量士が大好きな角度90度とくれば
>タレスの定理、直径に対する円周角は直角という、半径線分ABの1/2の中心点から無数に
>P点を設定できるわけです。一つの結界を表わす手段か。
ポイント(P?)は私が名付けたピギーバック点です。
干字状パターンの一端が消失したり、見つからなかった場合、(P?)点からその端点を
見つけることができます。
http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/Sannai-maruyama.html
★鷲ノ木遺跡(環状列石)の干字状パターン(巨大津波の跡を示す)
図S33 鷲ノ木遺跡の干字状パターン(八雲鉱山の山神社が端点)
図S35 海中に没した二つの神社の位置
付近を参照してください。より理解が深まるでしょう。
>
>三内丸山遺跡は、ツングース族が最終的に到達した地点、是川遺跡は縄文人が北上してきて到達した
>最終地点ではないか。環状列石は数千年をかけて移動しながら見晴らし好く川が近い場所に居住しながら
>造り上げたベンチマークではないでしょうか。それは北方系は木柱、南方系は石柱文化を継承しながら。
>線分ABの中点から半径Rで円弧を描くと神社ポイントが再現できる。
>実際は中点から見通したのではなく交会法でポイントを決めたのか。
>
>縄文の測量士部隊は必ず存在したと想定しています。日置一族がその系譜かもしれません。日置幸介氏は
>先々代の水沢天文台の所長でしたが、これも天体の測量士です。測量部隊の古くは山伏、マタギ、サンカの
>先祖、縄文祖人の集団であり、当時は国家と云うものが存在していたのかは定かではありませんが、縄文の
>後期には天皇制国家の原型ができていたという説もあります。国の輪郭を位置付けるために、測量をしまくっていた
>と想像すると愉快なのですが。
全く時代の異なる事象を混同していなければいいですね。
>
>小生の考え方
>
>古代、何もない原野に寄る辺となる物を構築するとき、人は石ころを後ろに投げて、
>偶然の位置を期待し決定するだろうか?技術者であればそうはしないだろう。
>太陽の通り道である春分秋分点や目印となる山岳を三角点に見立てて、点の記を作成するだろう。
>そうでなければ意思決定の欠片にもならないからだ。全ての技術は歴史化するが、
>その歴史は測点決定の意志を語るものでもあろう。
>
> 私はその意思決定の過程を追跡している。なぜか?暇だからだ。そうではなく、
>測量による地図作製は国家形成のための重要な施策だからだ。
>
>縄文時代に三内丸山という一大集落を形成なしえた技術もまた測量の成果であろう。
>
>環状列石なるものは、技術屋の眼でみれば立派な2等三角点だ。図根点の周囲に人々が住み始めたに過ぎない。
>
>レイラインかゲシュタルトの法則か?
>
>ある点と点を結び関連付けて心理的にグループ化する。
>これはゲシュタルトの法則という。
>人間は近いものや似ているものをグループ化したり、閉じた図形を見出そうとする性向がある、という法則。
>
>レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説だ。
>レイラインの存在を認める動きは学術的には主流とは言えない。
>その理由としては、レイラインが実在するならば、古代の人々がどうしてそのような直線性を持たせたのかが不明であり、
>さらには存在するかに見えるその直線性はまったくの偶然にでも発生するのではないかという疑いをぬぐえないためである。
>
>つまり不明であるから偶然であるというのならば、確かな意思を以ってそうしたのであれば、
>必然的なレイラインが引けるのであり、明確な作業性がそこに「ある」と見ることができ、
>ゲシュタルトの法則も消滅する。
>
>HSCPは意図的に神社位置を定礎するために、再現可能なように定めたポイントだと認めざるを得ない。
>素人ですがもうすこし勉強してみます。有難うございました。白戸 明 拝
ホームページでの結論は、「神社のはじまりは、斑島の玉石甌穴である」としていま
すが、これは日本神話が形成される時代のことで、もっとそれ以前に北海道に初期の
神社があったと考えています。
北海道の神社
http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/hokkaido.html
参考図 北海道の神社分布状況
http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Beginning%20of%20Shinto%20shrine/image224.jpg
にもあるように、明治政府が開拓団を北海道に派遣したとき、常識的にはアイヌしか
いないと考えられていた原野に得体の知れない小祠がたくさんあり、それを祀ること
を禁じたのです。
これは、開拓民が到着したとき、すでに参考図のような神社の分布がすでにあった
と考えなければいけません。学者はこの大切な事実を無視し、大衆は学者を信じ、
北海道の神社は明治期に出来たとし、これを誰も疑問として考えなかったのです。
参考図 北海道の神社分布状況
にあるように、礼文島や利尻島に極端に密度の高い神社分布があります。飲まず食わ
ずの状態だった開拓民がいくら信心深いと言ってもこんなにたくさん神社を建てるわ
けはありません。しかもその神社のほとんどすべてが正確なHSCPの法則を満足し
ているのです。開拓民が絶対にこのようなことはできません。
開拓民がそこに到着したとき、そこには何らかの神社の原形がすでにあったのです。
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何度も書きますが、アイヌはそのような神社を建てる習慣はありません。
ところで、
最新の遺伝子研究で礼文島の船泊遺跡から発掘した女性の全ゲノムの解析が終わりま
した。
船泊の付近には、知床稲荷神社の神社群中心(直角線の収斂点)があります。
https://www.yomiuri.co.jp/science/20190513-OYT1T50209/
茶色の瞳、酒強く…礼文島の縄文女性ゲノム解析
このようなニュースもありました。
しかし、この発表には重要なことが抜けているのです。
これらの発表前に国立科学博物館の副館長から直接聞いた話はもっと驚くも
のでした。
この女性は、アジア人よりも北欧の人種に似ているのだそうです。北欧にも
ストーンサークルがたくさんあります。おそらくこのストーンサークルと
北海道、東北のストーンサークルは同じ起源を持つに違いありません。
HSCPで見る限り、ストーンサークルと神社は同一配列にあることは明らか
です。しかし、これが同一思想から発生したものか異なる思想を併せたものか
はまだ不明です、どちらかと言えば異なる思想が結合したのでは?とも考えて
います。
貴殿の書かれたツングースのゲノムについてはまだ知りませんので「三内丸山
遺跡は、ツングース族が最終的に到達した地点、是川遺跡は縄文人が北上して
きて到達」についてはまだ書きようがありません。
この礼文島の女性は、穀物よりも動物の脂質を食べるように適応している
そうです。
東北にも、縄文時代に米作の痕跡があったものの、それが続いたた様子
がなかったのは、縄文人の遺伝子がこれを拒否したことが考えられます。
話は変わりますが、現在銅鐸、銅戈、銅剣の埋蔵位置をポイントとして、HSCPに
よる詳細な結線がほぼ完成に近づいています。これまで誰も考えたこともなかっ
た青銅器祭祀の詳細な地理的関係が明らかになるのです。
驚く結果がすでに出ています。ここでも、南北融合の明確な様子が現れています。
タイトル | : Re^4: 研究用ツールの改善が終了しました |
記事No | : 286 [関連記事] |
投稿日 | : 2018/10/25(Thu) 22:10 |
投稿者 | : 管理人 |
> ご指摘をいただき、再考してみると、私が間違っていたように思います。
古代人は当然地図は持っていなかったでしょう。地球が丸いことも知ら
なかった可能性もあります。
もちろん、高精度の時計などとても考えが及ばなかったでしょう。しか
し、天体の位置に関しては現在の文明人よりよく知っていたし、その伝
承も確かだったと考えます。
もしそれが正しいとすると、神社が驚くほど正確に配列されていること
は決して不思議ではないのです。
それを合理的に説明するにも補正内角の意味はとても重要な事項なので
す。
タイトル | : Re: 真実だと思う |
記事No | : 12 [関連記事] |
投稿日 | : 2010/11/08(Mon) 05:52 |
投稿者 | : 管理人 |
参照先 | : http://w312.k.fiw-web.net/hscp/ |
ここでは大田樣に対するご返事も一緒に書かせていただきます。
「神社の系譜」も手に入りました。残念ながら、この本も期待したパターンと実際の誤差が書かれていません。したがって読者はこの本を読んだだけでは、それが正しいかどうかは判断できないようになっています。
それぞれの著書に書かれているポイントを実際の地図に入れてみるとわかりますが、そのほとんどは私が期待したような精度から大きく乖離しています。書かれているポイントが一点ではなく、複数になってしまって、そのどちらを指しているのか判らないものもありました。
私が何度も主張しているように、期待したパターンから1度を超える線のほとんどは意味を持たないと考えています。古代人が方向を決める能力は驚くほど高かったのです。
また、引かれた線が期待した誤差の中にあったとしても、その線が単純な「点」から「点」だけの線でその線が確かな構造の中にあったり、一貫性を持った規則の中にあったりしないと、その線が偶然であるかどうかを判断することは難しいのです。私が天体に関係したことを自信を持って書けない理由もそこにあります。
それぞれの著書に書かれている件に対して具体的に説明すればもっと良くわかるご返事になると考えていますが、著者のお立場を考え、このあたりで遠慮させていただきます。
タイトル | : Re: 真実だと思う |
記事No | : 10 [関連記事] |
投稿日 | : 2010/10/31(Sun) 08:52 |
投稿者 | : 管理人 |
参照先 | : http://w312.k.fiw-web.net/hscp/ |
> 渡辺豊和、栗本慎一郎は、縄文時代に日本全国に夏至冬至の日の出、日没の太陽光の方向を基準とした、格子状のネットワークが設定され、この線上に重要な宗教施設が位置すると主張しています。
> また、宮元健次は、「神社の系譜」にて、東西線、および夏至冬至の日の出、日没の太陽光の方向の線上に全国の重要な神社が位置すると述べています。
ご購読ありがとうございました。また私の意見にご賛同いただき感謝しております。ご指摘の書籍は図書館でも見つからず確かな意見をお返しすることができません。
私の研究に対して天体との関係はどうかと度々質問を受けることがあります。その答えはまだなんとも言えないと答えています。残念なことに、何本かの該当しそうな線があったとしても、それが偶然ではないとする確信がまだ得られていないからです。
その点で考えると、HSCPを基本にして作られる古富士線と野迫川線は数百本もの共通な収斂線を持つので、絶対に間違いないと言い切れるのです。
私の発見した法則の特徴はこれまでの単なる「点」から「点」に結んだ単純な線だけではなく。それらの線が確かな構造の中に組み込まれていることにあります。確率論から見てその信頼性は桁違いに高くなるのです。
例えば、ページの都合で書くことができませんでしたが、伊良湖岬にある八桂社の位置は古富士線を含んだ構造から見るとさらに驚嘆する事実が隠されています。