> まだその全部を説明する至っていません。
先に上のようなことを書きましたが、ついにその謎のほとんどを解明 することができました。
江戸時代の文化年間に編纂された新編会津風土記に「博士山山勢 高大ニテ其脈支分シテ数山トナル、西ニ引タル峯ニ伊佐須美明神ノ 社跡アリ、御神楽嶽ヨリ此山ニ遷座アリテ、又明神嶽ニ遷レリト云、 其地二間四方計、今ニ草木生セス」
と書かれていることがわかったのです。伊佐須美神社社伝にある遷宮 の伝承は事実を伝えていたのです。
さらに検討した結果、驚くことがわかったのです。社伝に書かれ ていた御神楽岳、明神ヶ岳、博士山、伊佐須美神社の位置それぞ れに重要な意味があることがわかりました。
ここから、古富士を基準とせずに、蛭ヶ岳(神奈川県相模原市緑 区と足柄上郡山北町の境界にある1673m)の山頂位置を基準とした 神社配置を用いた時代があったこともわかりました。
それらの結果から、E.Jscience 1号に書いた、八桂社(愛知 県田原市、後に八柱神社に訂正)はその時代の神社群中心であるこ とがわかりました。
ここから、伊豆大島岡田にある福聚寺が神社群中心であることが わかり、八柱神社との密接な関係もわかりました。いくら引いても 釈然としなかった伊豆大島の結線が満足できる状態で完了しました。
また、八柱神社と福聚寺の密接な関係から、八柱神社が古代から 重要な神社であったことが益々明確になって来ました。
それに引き換え、八柱神社のすぐ近くにあり、著名な伊良湖神社 の位置(砲台を作る前の旧位置)からは何も読み取るこができませ ん。これは過去に神社を比定する時に何かの間違いがあつたものと 考えています。
また、この中で御神楽岳に対応する神社は山梨県笛吹市一の宮町 にある浅間神社(90.27゜)であり、この時代にすでにこの神社が 存在したことが明確となり、三大実録の記載が間違いであることが 明確となりました。(他の浅間神社は大きくずれる)
HSCPで見る限り、論社であった笛吹市の浅間神社が延喜式内社とし て有力候補となります。これは数字で明確に表すことができるので、 今後この説を崩すことはできないでしょう。
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