HPを更新し、伊弉諾神宮と諏訪大社、真脇遺跡の関係を追加しました。この事実も神社の配置が縄文時代に決まった決定的証拠と考えています。すでに、北海道朱円の環状土籬、新潟県佐渡の長者ヶ平遺跡でも同じように縄文遺跡と神社の関係を書いていますから、これで3例の証拠をあげています。邪馬台国論争が古代史のすべてと考えておられる先生方は、また偶然の結果だと叫ぶに違いありません。そのために、まだ別の証拠も用意してあります。楽しみにしてお待ちください。