東日本のウッドサークル,環状列石・土籬などの縄文遺跡の位置が 神社群中心の位置にあることから、神社の位置が決められたのは縄 文時代であると考えていました。
ところが、長者ヶ平遺跡(新潟県佐渡市)と幾何学的関係の深い静ヶ 窟(島根県大田市)、岩穴宮(広島県福山市)の位置を検討している ときに、偶然これらの位置が応神天皇陵の後円中心位置と正確に 関係していることを知りました。
更に検討を続けると、この後円中心の位置は伊弉諾神社の位置とピ ギーバック配列されていることがわかりました。
ここで、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の後円中心位置を検討したとこ ろ、全く同じ規則で配列されていることがわかりました。しかもそ の端点が伊弉諾神宮(淡路島)になっています。
驚くことに、箸墓古墳(倭迹々日百襲媛命墓)など多くの著名な古 墳の位置も次々と同じ配列規則で配置されていることがわかりまし た。その端点はすべて伊弉諾神宮にあります。本当に驚きです。
ピギーバック配列もHSCPの特殊例であり、HSCPが古墳時 代まで伝承されていたことは間違いないようです。
縄文時代から、古墳時代まで続いた古代人の共通した思想を見つけ たことになります。しかも、その規則は正確で、統計的に見ても、 これまであった似たような手法と比較して、桁違いに信頼性が高く、 学門として取り上げられる信頼性を充分に持っているものと確信し ています。
|