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タイトル孀婦岩が神社群中心である決定的証拠
記事No360
投稿日: 2022/03/12(Sat) 11:08
投稿者管理人
孀婦岩についてはwikipediaでは、「ミアーズの記録によると1788年
4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し・・・」とあるように、古代は未
知の岩が日本の重要な神社の基本位置であったことなど信じられない
といた意見があります。

それでは、次の事実を知っても考えが変わらないでしょうか


黒沼神社 福島県福島市松川町浅川木戸前13 37.683915,140.469955

神功皇后陵 奈良県奈良市山陵町 34.706658,135.785190

孀婦岩 東京都 29.794097,140.341957

上記三点の内角は 89.977 度

黒沼神社 福島県福島市松川町水原宮ノ下170 37.662406,140.433666

神功皇后陵 奈良県奈良市山陵町 34.706658,135.785190

孀婦岩 東京都 29.794097,140.341957

上記三点の内角は 89.977 度

二つの神社は同じ名前でどちらも論社です。

しかも神功皇后陵を経由した直角線の内角は89.977と少数点以下3桁
まで同じ値です。こんなことが偶然に起きることは絶対にありません。

孀婦岩が神社群中心である決定的な証拠です。同時に、古代人が遠方の
方位を正確に知ることのできた証拠です。

信夫山にある黒岩神社も幾何学的に無視できない相関があります。

さらに、伊勢神宮の内宮と下宮、孀婦岩の関係を後に書きますがこ
の事実を知れば、これまでの神社の起源説はすべてでたらめであった
ことが明確になります。しかし、未だにwikipediaは神社の起源につ
いて、でたらめを書き続けています。

注;

https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1059727853.html

にある「江戸時代中期の享保6年(1721年)3月に火災で焼失、その後
現在地に遷座したという。と書かれていますが、これは何かの間違い
ではないでしょうか?」