No158の内宮と外宮の争いと新谷氏の著書 では、「それは南紀の神社配列を「縄文ランドスケープ」の観点から 見ると、内宮、外宮両者ともその周囲にあるの多くの神社の位置が決 まったときには、まだ存在していなかったことがほぼ明確になったこ とです。」
と書きましたが、この記載に問題があったことがわかりました。
実は、このとき、こちらの調査不足で、古い時代の内宮(皇太神宮) の位置が良くわかっていませんでした。この時点ではこの記載は正し かったのです。しかし、その後、古い時代の位置がわかり、現在は google Mapでも、「7世紀建立の神宮の位置」が書かれています。 この位置で再計算すると、驚くことがわかりました。伊勢神宮の 位置は、孀婦岩の位置で決まっていたのです。
孀婦岩と伊勢神宮(7世紀建立の神宮の位置)を結んだ直角線の 延長線上には、0.1度以内の驚く精度で数多く(100件を超える)の神 社と寺院が配置されている線が見つかったのです。
パワースポットのように、俗っぽい名前でしかもすでに会社名も もありますが、これをパワ−ラインと仮称します。
この発見で、これまであった伊勢神宮成立・・・云々とした説は、 すべて想像上の説でしかないことになります。同様な線は剣山(四国)- 長者ヶ平遺跡(佐渡)、などの各所で見つかっています。
今後、伊豆諸島の神社に加えて、藺灘波島も登場してきます、迷信や 偽書を信じ、伊勢神宮と伊豆諸島の関係説を笑った人は、穴に入るし かなくなります。
HSCPの理論は益々確かになり、日本国成立の謎に迫るところ まで到達しました。また、ここでも古代人が遠方の方位を正確に知 ることのできた確かな証拠が一挙に増えたことになります。
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