参照先にあるように、主題のデータの多くが一気に得られるサイト がありました。
最近公開されたのでしょうか?、わずかな間違いもありますが、と ても便利なサイトです。これまでの苦労が嘘のようです。
ここから、一気に主題の位置を地図に書き込むことができました。 ここでわかったことは、銅鐸、銅矛、銅剣の出土地のほとんどが、正 確なHSCPの規則の中に分布していることです。
これだけ、多くの位置を入れても、現在ある仁徳天皇陵の位置が青銅 器祭祀の中心にあることは変わりがありませんでした。
部分的に見ると、対馬は鰐浦の本宮神社が一つの収斂点、驚くこと に赤村後円中心で説明した、正一位稲荷大明神(福岡県北九州市若松 区百合野町3-1)も重要な収斂点でした。
この点は紀元前から聖地だったことが明らかになったのです。ここ から見ても、赤村の古墳が安閑天皇の陵墓とする説などは、とんでも ない間違いであることがわかります。反論大歓迎!!
青銅器埋蔵位置からみて、九州で最も大きい収斂点は弊立神宮(熊 本県上益城郡山都町大野712)でした。ここでも、紀元前から、弊 立神宮が重要な聖地だったことが証明されました。
しかし、弊立神宮には、竜宮の潮吹き(山口県長門市油谷津黄498 )を経由した89.96度のすばらしい直角精度で仁徳天皇陵から直角 線が到着しています。この事実を持っても、仁徳天皇陵が、地方豪族 の墓であるとすることはできません。
ここでも、九州王朝説は完全に否定されます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何はともあれ、銅鐸、銅矛、銅剣の出土地を入れた、HSCP線で これまで、誰も想像することもできなかった、紀元前の祭祀の地理的 な様子を一目瞭然に表示することができるようになりました。
どなたかわかりませんが、参照のサイトを提供してくださった方に感 謝申し上げます。
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