その後追加されたホ−ムページの
★銅鐸出土地と形式、文様、内角 で、善通寺銅鐸に関する記載が下記のように追加されました。
出発 三柱神社 京都府京丹後市丹後町筆石 経由 寺町昭和町銅鐸出土地 大阪府堺市西区浜寺昭和町3 扁平鈕式、6区袈裟襷文 到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 ?、袈裟紋 補正内角 90.59度
出発 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 ?、袈裟襷文 経由 城山遺跡銅鐸出土地 島根県浜田市上府町(城山一ノ界) 扁平紐式4区袈裟襷紋 到着 寺福童遺跡銅戈出土地 福岡県小郡市寺福童籔付 補正内角 89.82度
出発 崇福寺址銅鐸出土地 滋賀県大津市滋賀里町甲 経由 越路遺跡銅鐸出土地 鳥取県鳥取市久末(越路字丸山) 外縁付紐2式2区流水紋 到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 袈裟襷文 補正内角 90.09度
となって、善通寺銅鐸の埋蔵されていた位置は古代は重要なポイント であったことが決定的になりました。ここで、善通寺の銅鐸に関わる 記載が付会であるとした大御所の説は間違いであったことになりまし た。
皮肉なことに、越路遺跡銅鐸出土地を通過点とする例は、出発点が 『扶桑略記』第5に書かれた崇福寺址で到着点が善通寺になってい ます。大御所がご存命ならさぞかし驚かれるに違いありません。
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