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タイトル『扶桑略記』第5崇福寺の銅鐸は本物の可能性
記事No309
投稿日: 2019/07/23(Tue) 18:14
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
 参照先の文献は奈良文化財研究所飛鳥資料館学芸室長 石橋茂登氏の書
かれた論文です。この論文@に『扶桑略記』第5に崇福寺を建てるとき
に5尺5寸の巨大な銅鐸が出たことが書かれています。

 また対論 銅鐸で同じ銅鐸を森浩一氏は「実は出てはいないけれども
縁起に加えられている」可能性もあると書かれています。

 さてこれが本物かどうか私なりの方法で検討して見ます。

到着 柳沢遺跡 長野県中野市柳沢
経由 崇福寺址 滋賀県大津市滋賀里町甲
出発 三柱神社 京都府京丹後市丹後町筆石

補正内角 90.33゜

となります。ここで、このような角度の出る大雑把な確率は1/300です。
しかも到着点が柳澤遺跡の銅鐸埋蔵点と一致していることを加味すると
決して偶然では起きない事象です。

と言うことは『扶桑略記』の記載は正しいことになります。もちろん銅
鐸の大きさは知るすべはありません。

タイトルRe: 『扶桑略記』第5崇福寺の銅鐸の記載はやはり正しい
記事No313
投稿日: 2019/08/26(Mon) 10:31
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
出発 崇福寺址銅鐸出土地 滋賀県大津市滋賀里町甲
経由 越路遺跡銅鐸出土地 鳥取県鳥取市久末(越路字丸山)
到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4

補正内角 90.09度

が見つかりました。このような配列が偶然に起きる大雑把な確率は
1/1000です。
ここから見ても、崇福寺を建てるときに銅鐸が出たとする『扶桑略
記』の記載は、正しいことがわかります。

また善通寺もここで再び登場してくるので、参照先の(37)讃岐 善
通寺銅鐸の記載も益々たしかなことになります。

タイトルRe: 参照先42大川上美良布神社の銅鐸も本物の可能性
記事No310
投稿日: 2019/07/29(Mon) 07:32
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の42大川上美良布神社の銅鐸も

ホームページの「★九州王朝説が一目瞭然で崩壊する図」

出発地と経由地の文様が一致する例

出発 加茂岩倉遺跡出土地 島根県雲南市加茂町岩倉837 扁平紐2式、6区袈裟襷文4口
経由 大川上美良布神社銅鐸出土地 高知県香美市香北町韮生野243 突線鈕式、6区袈裟襷紋2口
到着 弊立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712
補正内角 89.93 度

となり、このような角度が偶然に起きる大雑把な確率は1/1400であり、
しかも出発地と経由地の文様が一致しているので、神社付近から出土した
銅鐸の可能性が高いことになります。

追記 参照先論文で 美布良神社→美良布神社の誤植です。

タイトルRe^2: 参照先32道成寺銅鐸 (鐘巻銅鐸)も本物の可能性
記事No311
投稿日: 2019/07/29(Mon) 11:58
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の32道成銅鐸 (鐘巻銅鐸)も道成寺付近から出土したものです。

出発 桜ヶ丘銅鐸出土地 兵庫県神戸市灘区高羽
経由 三重塔位置  和歌山県日高郡日高川町大字鐘巻
到着 沖津宮  福岡県宗像市大島沖ノ島2988
補正内角 89.75

三重塔ではなく、南側の田から出たとの説もあります。三重塔よりも
南になると更に補正内角は90度に近づきます。
桜ヶ丘銅鐸には扁平紐式6区袈裟掛文様ですが、鐘巻銅鐸は突線鈕5式
近畿IVCです。
http://dojoji.blogspot.com/2011/02/blog-post_22.html
にあるように素人の目では6区袈裟掛文様と似ています。

タイトルRe^3: 参照先の「(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵」も本物の可能性
記事No312
投稿日: 2019/08/14(Wed) 09:20
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
参照先の(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵。

に関しても、「寺の五重塔の下から出土したものという。梅原は、阿育
王塔鐸に比して寺地を神聖視するために付会された伝承の可能性を指摘
している。」

 となっていますが。ホームページでも示したように

出発 柳沢遺跡 長野県中野市大字柳沢
経由 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4
到着 荒神谷遺跡(左、銅戈6) 島根県出雲市斐川町神庭873ー8
補正内角 89.84度

出発地と到着地の文様が一致の項にあるように、このように補正内角が
偶然に89.84度になる大雑把な確率は1/600ですから、付会されたものと
するには疑いがあることになります。

タイトルRe^4: 参照先の「(37)讃岐 善通寺銅鐸 善通寺蔵」も本物の可能性
記事No314
投稿日: 2019/08/31(Sat) 05:28
投稿者管理人
参照先https://core.ac.uk/download/pdf/96989557.pdf
その後追加されたホ−ムページの

★銅鐸出土地と形式、文様、内角
で、善通寺銅鐸に関する記載が下記のように追加されました。

出発 三柱神社 京都府京丹後市丹後町筆石
経由 寺町昭和町銅鐸出土地 大阪府堺市西区浜寺昭和町3 扁平鈕式、6区袈裟襷文
到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 ?、袈裟紋
補正内角 90.59度


出発 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 ?、袈裟襷文
経由 城山遺跡銅鐸出土地 島根県浜田市上府町(城山一ノ界) 扁平紐式4区袈裟襷紋
到着 寺福童遺跡銅戈出土地 福岡県小郡市寺福童籔付
補正内角 89.82度


出発 崇福寺址銅鐸出土地 滋賀県大津市滋賀里町甲
経由 越路遺跡銅鐸出土地 鳥取県鳥取市久末(越路字丸山) 外縁付紐2式2区流水紋
到着 善通寺市善通寺五重塔下 香川県善通寺市善通寺町3丁目-1-4 袈裟襷文
補正内角 90.09度

となって、善通寺銅鐸の埋蔵されていた位置は古代は重要なポイント
であったことが決定的になりました。ここで、善通寺の銅鐸に関わる
記載が付会であるとした大御所の説は間違いであったことになりまし
た。

皮肉なことに、越路遺跡銅鐸出土地を通過点とする例は、出発点が
『扶桑略記』第5に書かれた崇福寺址で到着点が善通寺になってい
ます。大御所がご存命ならさぞかし驚かれるに違いありません。