またとんでもない発見がありました。
時代順に書くと
荒神谷の銅剣の埋蔵→卑弥呼→仁徳天皇
の順になり、それぞれの時代が異なりますが、この流れが互いに密接な 関係があることがわかりました。ここから、紀元前の沖縄と日本本土の 明確な関係がわかってきました。
ここに至っては、九州王朝説はすっかり小説化してしまいましたが、 その小説よりも格段に奇妙な事実がわかったのです。
古田先生は「偽書」東日流外三郡誌が発行された後に加茂岩倉遺跡 から大量の銅鐸が発見され、苦しい答弁しかできず、小説どころではな かったかも知れません。参照先にその一部があります。
皮肉なことに、先の驚く発見は参照先の偽書説を更に確かにすること になりました。
何はともあれ、和田家文書は真の古代史解明には全く役立たないこと がわかりました。ましてや、全く価値のない、この書物の真偽を議論す るなど無駄以外の何者でもありません。
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