上野原遺跡は縄文時代早期から近世までの巨大な複合遺跡です。
この遺跡に果たして神社群中心があるかどうかが、興味の的でした。し かし、このように広い遺跡でしかも時代の異なる遺跡が層になっている ところは、その神社群中心をみつける作業は非常に困難です。
ところが、ついにこの遺跡の領域から神社群中心を見付けることに成 功しました。その位置は
北緯 31度42分51秒03 東経 130度48分05秒46
となりました。この位置は残念ながら縄文時代の住居跡ではなく樹木の 生えている場所のようです。
しかし、この位置は非常に興味のあるポイントです。以下このポイントを 上野原ポイントと呼ぶことにしました。以下に「上野原遺跡」と書いて あるポイントは上野原ポイントの位置を指します。その特異な幾何学的 特性は
@ 出発 鹿児島神宮 鹿児島県霧島市隼人町内2496 経由 熊野神社 鹿児島県霧島市国分郡田1730 到着 上野原遺跡 鹿児島県霧島市隼人町内2496
補正内角 89.98゜
@は鹿児島神宮(大隅国一宮)を出発した線は熊野神社(郡田)を経由 して、89.98゜の補正内角で上野原ポイントに到着します。
さらに驚くことに
A 出発 鹿児島神宮 鹿児島県霧島市隼人町内2496 経由 熊野神社 鹿児島県霧島市隼人町真孝 到着 上野原遺跡 鹿児島県霧島市隼人町内2496
補正内角 90.00゜ @と同じ鹿児島神宮を出発した線はAでは@と異なる同名の熊野神社 (真孝)を経由して90.00゜のすばらしい直角精度で上野原ポイントに到 着しています。
このようなすばらしい直角精度は偶然では滅多に起きません、さらにそ の精密な直角線が同じポイントで交わるとなると、これは偶然ではあり ません。二つの経由点の神社名が一致していることをさらに考慮すれ ば、この配列が計画的に成されいることは疑いのない事実です。
さて、このようなポイントに果たして意味があるかどうかを見てみま す。
そこで、すでにおのごろ島であると断定している斑島の玉石甌穴から、一 万五千年もの歴史を持つとも言われている幣立神宮を経由して上野原ポ イントに線を引きます。すると
出発 玉石甌穴 長崎県北松浦郡小値賀町班島郷 経由 幣立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712 到着 上野原遺跡 鹿児島県霧島市隼人町内2496
補正内角 89.95゜
となり、この直角線も89.95゜とまるで神様が配置していたかののような 高い直角精度が成立します。
驚くことはまだ続くのですが、とりあえずここで終わり、ここで説明 を加えると、弊立神宮の位置は、上野原遺跡と玉石甌穴の位置を考慮し て決められていたことになります。これまで全国にあった縄文遺跡と神 社の関係から、複合遺跡である上野原ポイントの縄文期にあった何かの位 置が参照されたに違いありません。
と言うことは、弊立神宮の眉唾のような一万5千年の歴史と言う言い伝 えもまんざらでもないことになります。
No256で、九州でも明らかになった縄文遺跡と神社の関係、まさか?と信 じられない人達も考え直す必要に迫られるでしょう。
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