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タイトル真言宗金剛院(対馬)は神社の位置にある
記事No255
投稿日: 2018/03/12(Mon) 07:21
投稿者管理人
対馬にある金剛院は現在高野山真言宗の寺院です。しかし、この寺院は
神社群中心の位置にあります。この寺院は豆酘金剛院高麗版大般若経が
あることで知られています。(重要文化財として答申中)
https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2018/03/1519893151.pdf

また、最近はハート形の手水鉢でも話題になっています。
http://yurapuka.net/tsushima/?p=800

この寺院の位置はHSCPで見ると、間違いなく神社の位置にありま
す。対馬では、金剛院だけでなく、鰐浦にある本宮神社(天皇陵を結
んだ直線の到着点)、住吉神社(恐らく最初の住吉社No254,No212参
照)など重要な神社群中心があります。

すでに干字状パターンで一部を説明していますが、これらの神社群中心
から出る古富士線は中国地方の神社の位置にも影響を与えています。ま
た、福岡に到着する直角線の端点もこの地域の神社の位置に重要な影響
を与えています。

この中で、金剛院の位置は下記に示すように、世界遺産の沖津宮、古富
士ポイント、弥蛇の岩屋、真脇遺跡(日本最大の環状木柱列)と極めて
正確な幾何学的関係を持ちます。

出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
経由 真脇遺跡 石川県鳳珠郡能登町真脇
到着 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
補正内角 89.96

出発 古富士ポイント 静岡県御殿場市
経由 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
到着 八幡神社 鹿児島県十島村大字口之島
補正内角 89.96

出発 沖津宮 福岡県宗像市大島沖ノ島2988
経由 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
到着 八幡神社 鹿児島県十島村大字口之島
補正内角 90.17

出発 ハンドウ島 山口県柳井市平郡
経由 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
到着 玉石甌穴 長崎県北松浦郡小値賀町班島郷
補正内角 89.94

注;八幡神社(鹿児島県十島村大字口之島)も今後出現くる重要な
神社群中心です。(国土地理院の地図には未掲載です)、ハンドウ
島は無人島ですが、ここも重要な神社群中心の位置にあります。

どれも神が決めたような極めて高い精度の直角線を持つ特徴がありま
す。今回は金剛院の位置の特殊性だけを紹介しましたが、次にはさら
に驚く事実が待っています。

タイトルRe: 高千穂峰から真言宗金剛院経由で直角線が伊勢堂岱遺跡に到達
記事No256
投稿日: 2018/03/14(Wed) 03:52
投稿者管理人
参照先https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%A0%82%E5%B2%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
さて、ここで金剛院が普通の寺院ではなく、古代から神社としての重要
な位置にあったことを理解したところで、さらに驚く幾何学的特性を示
します。このような事実は古文書や伝承からはほとんど得ることのでき
ない貴重な事実です。

古代史と言われているほぼ全ての記載で富士山を完全に無視していま
す。これは記紀だけでなく外国の文献にも古代の富士山は全く書かれて
いないからです。ですから、古代史のほとんどは富士山を完全に無視せ
ざるを得ないのです。富士山がなかったなどと言うことはあり得ないこ
とを承知で無視しているのです。文献だけに頼る古代史の最も大きな欠
点がここにあります。

文献派なら当然古代の金剛院の位置も無視せざるを得ないでしょう。これ
を無視すると、当時の日本がどのようになっていたかはまるで見当もつか
ないはずです、こんな状態で奴国がどこにあったかなど、断定できるわけ
はありません。ここでも同じように文献だけに頼る欠点が出ることになり
ます。

私の書いている内容が自説と会わないと言って無視している人達の説も
恐らく同じようなものでしょう。三世紀以前の出来事などほとんどどこ
にも書かれていないので、所詮想像でしかないのです。それを大勢でわ
かったように似た説を色々と言い合って騒いでいるのは不思議でなりま
せん。

前置きが長くなってしまいましたが、その驚く特性は下記です。

出発 伊勢堂岱遺跡(D) 秋田県北秋田市脇神
経由 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
訂正内角 90.16

出発 伊勢堂岱遺跡(C) 秋田県北秋田市脇神
経由 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
訂正内角 90.18

すなわち、高千穂峰を出た線が金剛院を経由して秋田県の伊勢堂岱遺跡
に到着する線も極めて高い直角線であることです。
この遺跡には日本最大と言われる環状列石があり、それぞれには北側か
らA、B、C、Dと呼び名が付いています。

https://www.city.kitaakita.akita.jp/kyouiku_bunka_sports/bunkazai/images/yosou_1.jpg

このように、環状列石が4つもあり、どれが神社群中心がわかりません。
そこで、HSCPの規則で周辺の神社から来る直角線の収斂点を探索し
たところ(大変手間のかかる作業です)、直径が45mと最大の直径を
持つ環状列石(C)のほぼ中心の位置

北緯40度12分11秒09 東経140度20分48秒89

が神社群中心であることがわかりました。

先に示したように、その補正内角は90.18゜と、これも素晴らしい直角精度
です。最も南側にある(D)の補正内角は90.16゜となっていて、(D)の
方が直角精度が高くなっています。しかし、(D)の位置は神社群中心で
はありません。

これは金剛院から伊勢堂岱遺跡までおよそ1,200kmもあるので、わずかな誤
差でこのような結果が生じたものと考えています。

このような直角精度が偶然に生じる大雑把な確率は1/500です。全国の環
状列石は数えるほどしかありませんから、偶然ではこのような事象が起
きることは極めて稀です。

これは、高千穂峰と金剛院、伊勢堂岱遺跡の位置が計画的に配置されて
いたとする決定的な証拠になります。

それでも、まさか?やはり偶然ではないかと考える気持ちを持たれる専門
家が多いでしょう。

そこでもう一つの証拠を上げます。

出発 伊勢堂岱遺跡(C) 秋田県北秋田市脇神
経由 若宮神社(御領貝塚) 熊本県熊本市南区城南町東阿高
到着 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
訂正内角 90.03

これは何を意味するかと言うと、金剛院から伊勢堂岱遺跡に引いた線分
のヒギーバック点が若宮神社(御陵貝塚)にあり、そのピギーバック点
の補正内角が90.03゜であるとする意味を持っています。
先にも書いたように、この線分の距離はおよそ1,200kmです。この距離
で、このすばらしい直角精度が出ているのですから、驚くよりほかはあり
ません。

このような直角精度が偶然に起きる大雑把な確率は1/3,000です。これが
ただでも数の少ない九州の縄文遺跡の位置で置きている極めて珍しい事象
ですから驚かない人はいないでしょう。世界中を探してもこのような実例
はないはずです。

参考

https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/192

ここで、もう一つ明確になったことがあります。No246にも書いたよう
に、これまで、九州と東日本の関係で、一方は神社と山岳、他方は縄文
遺跡と坑口跡など全く異質のものが、幾何学的に相関がある不思議があ
りましたが、ここで九州側にも先の縄文遺跡のビギーバック点があった
ことで同一時代にこの事象が置きていることがわかりました。

まだ驚くことが続きます。

タイトルRe^2: 金剛院経由で直角線が鷲の木遺跡、音江環状列石に到達
記事No260
投稿日: 2018/03/28(Wed) 04:48
投稿者管理人
参照先https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%A0%82%E5%B2%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1
先に、金剛院経由で直角線が伊勢堂岱遺跡に到達することに対し、ちょ
うどこのようになるように金剛院を選んだだけと考えている人達には次
の事実があります。


到着 鷲ノ木遺跡 北海道茅部郡森町鷲ノ木町
経由 幣立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712
出発 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
補正内角 89.38

到着 音江環状列石 北海道深川市音江町
経由 幣立神宮 熊本県上益城郡山都町大野712
出発 金剛院 長崎県対馬市厳原町豆酘3342
補正内角 89.27

と金剛院を出発した線が、幣立神宮を経由して北海道の環状列石である
鷲ノ木遺跡と音江環状列石に到着しています。ここから見ても、金剛院
の位置が計画された位置にあり、勝手に選んだのではないことを認識で
きるでしょう。ここで、幣立神宮はNo267で説明した神社です。

 このように、九州の神社の位置は、北海道の環状列石にまで影響を及
ぼしていることがわかります。(ここでも近畿を飛び越している)

話が前後しますが、金剛院経由で直角線の到着した、伊勢堂岱遺跡(C)
の位置は神社群中心となり、干字状パターン神社を持ちます。その干字
状パターンの上段右側の端点は釜石環状列石(岩手県八幡平市柏台、移
転前の位置)になります。