[リストへもどる]
一括表示
タイトル米泉遺跡、井口遺跡と九州の神社の関係
記事No251
投稿日: 2018/01/25(Thu) 06:09
投稿者管理人
参照先http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/12945/1/jouflh_55_25.pdf
名古屋大学の山本直人教授が
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/12945/1/jouflh_55_25.pdf

「環状木柱列からみた縄文時代晩期の地域社会」で書かれているよう
に、環状木柱列として認定できる遺跡はチカモリ遺跡、真脇遺跡、桜町
遺跡、米泉遺跡の4遺跡であると書かれています。これまで、チカモリ
遺跡、真脇遺跡、桜町遺跡の位置が九州の神社と特異な幾何学的関係に
あることを明らかにしてきました。この事実はこれまで誰も予想した事
のない驚くことです。ここで、このような特異な事実をまさか?と疑っ
ている人も多いことと考えます。


そこで、これまで検討していなかった米泉遺跡(山本教授が環状木柱列
として認定した遺跡)の位置も九州の神社と特異な幾何学的特性を持っ
ていれば、私の主張がさらに確かになるものと考えました。また、山本
教授が環状木柱列から外してしまった井口遺跡についてもHSCPで検討し
て見ました。

 ところで、考古学者は遺跡の中心位置に関しては、その緯度・経度の
データを持っていないとした、驚くほど怠慢な事実があることを以前に
書きました。これまで、日本各地の環状列石や環状木柱列の位置を問い
合わせた中で、その位置の緯度・経度に対してすぐに正確な位置の回答
のあった遺跡は、桜町遺跡(富山県)と鷲ノ木遺跡(北海道)だけで
す。ほかは、データを持っていなかったり、とんでもない間違った位置
があったり、ひどい場合はその質問が無視され、回答すらない遺跡も
ありました。

このように、考古学者はご自分の発掘している遺跡の位置(緯度・経
度)に無関心なのです。このような学者にとっては九州の神社の位置
と北陸の環状木柱列の位置が幾何学的に関係しているなどと言っても
無視するのは当然のことでしょう、ご自分の足元しか見ていないので
ほかは関係ないのです。

 最近は、地理院の地図から真脇遺跡、チカモリ遺跡などは、空中写真
や衛星写真から見て、その位置を確かめることができる便利な時代にな
りました。しかし、米泉遺跡、井口遺跡はそれができません。

そこで、米泉遺跡の位置は遺跡ウォーカー
http://www.isekiwalker.com/iseki/212176/
井口遺跡の位置は「5343_1_富山県南砺市埋蔵文化財分布調査報告8.pdf
」14ページ 第4図から概略の緯度・経度を求めました。大変手間のか
かかる作業ですが、HSCPで周辺の神社から引いた直角線の収斂点を求
めその位置を修正しました。予期した通り、どちらの点も神社群中心の位
置にありました。その点は

米泉遺跡は 北緯36度32分40秒60、東経136度37分23秒70
驚くことに、遺跡ウォーカーに書かれている位置そのものでした。

井口遺跡は 北緯36度32分25秒77、東経136度55分08秒82
となりました。

その位置を検討したところ、両遺跡の位置は「まさか?」と言っていた人
たちを黙らせる位置にあることがわかりました。

タイトルRe: 米泉遺跡の特異な幾何学的特性
記事No252
投稿日: 2018/01/26(Fri) 10:10
投稿者管理人
先にも書いたように米泉遺跡は山本直人教授が環状木柱列として選んだ遺
跡です。
この木柱列の位置は
出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
経由 米泉遺跡 石川県金沢市米泉町2
到着 速日の峰 宮崎県延岡市北方町早中
補正内角 89.67゜
とした特異な幾何学的な位置にあります。速日の峰(はやひねのみね)は
別名二子山とも呼ばれている標高868mの山で速日岳と呼ばれる一等三角点
でもあります。ここには、かつて早日渡神社があり、961年に早日渡村に遷
座した記録があるようです。米泉遺跡から速日の峰まで650kmもあります。
このような遠方の方向を古代人が知るわけはないと考える方には次の事実

出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
経由 金剛堂山 富山県南砺市利賀村上百瀬
到着 速日の峰 宮崎県延岡市北方町早中
補正内角 89.92゜

とした特異な幾何学的特性もあります。ちょうど合うように金剛堂山を選
んだのではないかと疑う人には
出発 須賀神社 静岡県静岡市駿河区東新田1丁目16-12
経由 金剛堂山 富山県南砺市利賀村上百瀬
到着 天満神社 愛媛県西宇和郡伊方町高浦239
補正内角 89.41゜
さらに、天満神社を恣意的に選べば当たり前だと考える方には

出発 天満神社 愛媛県西宇和郡伊方町高浦239
経由 宇佐神宮 大分県宇佐市大字南宇佐
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角 90.00゜
と、まるで神が決めたのではないかと思うほど特異な幾何学的特性があり
ます。このような事象は決して偶然に起きる事象ではないことは確率論を
持ち出すまでもなく理解できるでしょう。

タイトルRe^2:井口遺跡の特異な幾何学的特性
記事No253
投稿日: 2018/01/27(Sat) 09:44
投稿者管理人
米泉遺跡は山本直人教授が環状木柱列として選んだ遺跡でしたが、井口
遺跡はその選考基準から外れている遺跡です。首都大学東京の山本典幸
氏も「環状木柱列と祖霊(下)」の97ページで「井口遺跡は本稿の環
状木柱列に属さない・・・」と書いている遺跡です。

この遺跡の様子は「環状木柱列と祖霊(下)」の97ペーシに書かれて
いるように、真脇遺跡の環状木柱列に良く似ていて、同じ場所に何回も
立て替えられていることまで同じです。この遺跡がこれまで書いた環状
木柱列に属さない理由はその立地条件にあるようですが、あまり良く理
解できません。

これらの遺跡をHSCPで細かく分析すると、井口遺跡も神社群中心で、周
辺の神社を結んだ直角線の収斂点になっています。これは、チカモリ遺
跡、真脇遺跡、桜町遺跡、米泉遺跡と同じ特性を持っています。しか
も、真脇遺跡と結べる直角線は他の環状木柱列と比較しても最も多いだ
けでなく、その直角線の組み合わせた図形が点対称となって四方形を作
る線があります。

HSCPで引いた線は、その組み合わせの図形で、互いに対称となる線が滅
多にないとする不思議な特性があります。これは縄文土器の紋様にも対
称となる部分を見つけるのが難しいことと似ています。その中で真脇遺
跡と井口遺跡間に引いた直角線の二つの組み合わせが四角形となるのは
何か意味があるのかも知れません。

何はともあれ、HSCPで見る限り、井口遺跡の環状木柱列をチカモリ遺跡
、真脇遺跡、桜町遺跡、米泉遺跡の環状木柱列のグループと分けて、別
のグループにする理由は見つかりません。

 ここで、井口遺跡と九州の神社とどのような関係があるかを検討して
見ました。

出発 井宮神社 静岡県静岡市葵区井宮町181
経由 井口遺跡 富山県南砺市井口
到着 阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
補正内角 89.33゜ ここで阿蘇神社は肥後一之宮です。
これが偶然と考える人には



出発 斑島玉石甌穴 長崎県北松浦郡小値賀町班島郷
経由 阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角 89.09゜

があり、ここにも阿蘇神社が登場してきます。さらに
出発 枯野神社 静岡県伊豆市松ケ瀬79
経由 井口遺跡 富山県南砺市井口
到着 投谷八幡宮 鹿児島県曽於市大隅町大谷5536
補正内角 89.36

ここでも、枯野神社、投谷八幡宮は何度も登場してきた神社です。この
ような事象が偶然に起きることはほとんどないことは言うまでもありま
せん。