[リストへもどる]
一括表示
タイトル枯野神社の謎(九州の神社と密接な関係)
記事No244
投稿日: 2017/12/13(Wed) 15:56
投稿者管理人
参照先http://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/9d85b7da478b0be56fce83eed8b3291d
 枯野神社は「神社」をどのように呼んだわかれませんが、枯野は「カ
ノ」と呼んでいた可能性があります。

狩野川、狩野山(天城山)、豪族の狩野氏、軽野神社などは元をたどれば
すべて船に行き着くのでしょう。

 応神期(日本書紀)、仁コ期(古事記)に、伊豆国に作らせた「枯
野」と名づけられた船が老朽化し、その廃材を使って塩を焼いたところ
燃え残りがあり、それで琴を作ったら遠く響く音がしたとする記載があ
ります。

 参照ページにわかりやすい解説があります。記紀に具体的な船と場所
が明確に書かれている場所は伊豆だけです。

 これまで、九州と伊豆は近畿を飛び越えて密接な関係があることを説明
してきました。もちろん飛行機のない時代ですから船で行き来する必要が
あります。

 ここで、軽野神社(静岡県伊豆市松ケ瀬79)の位置をHSCPで解
析して見たところ驚く結果が出ました。この結果を知ると 「古代に九
州と伊豆の神社が互いに関係しているなどとんでもない」と言っている
人も黙らざるを得なくなるでしょう。

 もしかしたら、この船は中東から持って来たのではないかとする可能
性もでてきました。また、神岡鉱山が当時から注目されていたことがさ
らに明らかになってきました。

タイトルRe: 「カノ」は丸木舟ではなく構造船
記事No245
投稿日: 2017/12/15(Fri) 00:54
投稿者管理人
参照先http://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/9d85b7da478b0be56fce83eed8b3291d
 記紀には、船を燃したたとき一部が燃え残ったとあります。これは、
船の材料がカヌーから連想するような丸木舟ではなかったことを記紀は
語っているのです。

 伊豆はかつて船材に適した「楠」の集積地でもありました。そこで
作る船は楠で作られたのは自然の成り行きでしょう。

 しかし、部分的に燃え残った部分は別の材料で作られていたことにな
ります。しかも燃え残りから琴を作ることができたのですから、小さな
部品ではありません。恐らく最も強度の必要な竜骨部分がレバノン杉で
作られていたのです。

 レバノン杉は船材として最も適していて、乱伐によって絶滅したほど
です。レバノン杉は日本には自生していません。と言うことは、豪族
の狩野氏の先祖は中東から来た可能性があります。

 枯野神社はかつては「笠はずし明神」と呼ばれ、村人がそこを通る
時はその神威を恐れて笠を外したとの言い伝えもあります。そうです、
それは神のように優れた異人(中東から来た)を恐れていた名残がそこ
にあったのです。

http://kodaimousoukyou.web.fc2.com/lebanon-1.htm

の写真にある石棺は日本の古墳時代の長持形石棺に瓜二つです。

http://www.oct-net.ne.jp/hatahata/pink-rink.html

石棺に使われている九州産の阿蘇ピンク石は九州に縁のある人の墓とも
言われていますが、このピンク石は代用品で、本来はクフ王のピラミッド
にも使われているアスワンの赤い花崗岩を真似ていると考えるとすると、
むしろ辻褄が合います。

 次は、枯野神社の位置が、日本の神社の発祥にも関わる重大な位置に
に鎮座していることを説明します。

 驚くことに、それに関わる神社は日本の三大環状木柱列+寺地遺跡の
4本木柱列、さらに神岡鉱口(閃亜鉛鉱を産出する鉱山の出入り口、
岩石中に亜鉛・鉛・銀を含有)の位置と極めて正確な幾何学的配列を
しています。

タイトルRe^2: 驚く枯野神社と九州の神社の関係
記事No246
投稿日: 2017/12/16(Sat) 16:28
投稿者管理人
延喜式神名帳に式内社(伊豆國田方郡)とある枯野神社の秘密を暴くと
まず線分、古富士ポイント−弥陀の岩屋のピギーバック点を求めると

出発 古富士ポイント 静岡県御殿場市
経由 井宮神社 静岡県静岡市葵区井宮町181
到着 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
補正内角は90.31゜となって井宮神社がピギーバック点になります。

ここでは省略していますが、井宮神社、枯野神社共に神社群中心の特性を
持ち、周辺の神社から引いた直角線の収斂点になっています。

ここで、井宮神社から枯野神社を結び直角線の到着点を見ると、弥陀の岩
屋になります。

出発 井宮神社 静岡県静岡市葵区井宮町181
経由 枯野神社 静岡県伊豆市松ケ瀬79
到着 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
補正内角は89.33゜となります。

これだけでも極めて特異な事象で計画的に神社が配置されていることが
わかります。さらに驚くことが続きます

先の井宮神社からは桜町遺跡を経由して宇佐神宮に直角線が到着します。

出発 井宮神社 静岡県静岡市葵区井宮町181
経由 桜町遺跡 富山県小矢部市桜町
到着 宇佐神宮 大分県宇佐市大字南宇佐
補正内角は89.60゜

ここで桜町遺跡は全国で三例しかない環状木柱列です。

これまで気付いた方もいると思いますが、肝心の宇佐神宮に東側から
届く線がないではないか?とする疑問が解消します。
補正内角は89.33゜

さらに、枯野神社からは、神岡坑口を経由して直角線が投谷八幡宮に
到着します。

出発 枯野神社 静岡県伊豆市松ケ瀬79
経由 神岡鉱口 岐阜県飛騨市神岡町和佐保
到着 投谷八幡宮 鹿児島県曽於市大隅町大谷5536
補正内角は90.16゜

ここで、投谷(なげたに)八幡宮は九州の三大八幡宮に入れる例もある鹿
児島八幡宮の別宮です。神岡鉱口は先に書いたように閃亜鉛鉱を産出する
鉱山の出入り口です。

さらに古富士ポイントを出て、寺地遺跡の4本の木柱を持つ類のな
い木柱列を経由した線は沖津宮に届きます。

出発 古富士ポイント 静岡県御殿場市
経由 寺地遺跡 新潟県糸魚川市大字寺地
到着 沖津宮 福岡県宗像市大島沖ノ島2988
補正内角は89.49゜


さらについでに書くと

出発 長者ヶ原遺跡 新潟県佐渡市小木金田新田
経由 チカモリ遺跡 石川県金沢市新保本5−47
到着 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
補正内角は90.21゜

出発 長者ヶ原遺跡 新潟県佐渡市小木金田新田
経由 本宮神社 長崎県対馬市上対馬町鰐浦531
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角は89.56 

ここで本宮神社は一時は神社の始まりではないかと考えたことのある
神社群中心です。ここは天皇陵を結んだ直線の延長線の到着点でもあ
ります。

以上のように、枯野神社、真脇遺跡、桜町遺跡、チカモリ遺跡、さらに
神岡坑口が九州の宗像大社、八幡宮と密接なつながりがあることがわか
りました。それも近畿を完全に飛び越えている大きな特徴があります。

この西(神社と甌穴、高千穂峰)と東(主に縄文遺跡) 700kmを
超える距離で西と東の異質な融合・・・・不思議です。

これまで古代にこのような融合があったことは誰も説いたこともなく、
想像もしていないことです。ここにはこれまで知られていない日本古代
の秘密が隠されているはずです。

その中で不思議な一致が古事記にあります。ここには「ひすい」の女神
奴奈川姫に大国主が求婚し、その後結婚した話があります。

考古学では、糸魚川のひすいは縄文時代は驚くほど広い範囲で使われて
いました。しかし、その多くは東日本でした。ところが弥生時代になる
と突然それは九州の北部に集中するようになるのです。この事実と先の
東西の異質な融合が関係しているのではないでしょうか?