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タイトル日本最初に位置が決まった神社は宇佐神宮
記事No243
投稿日: 2017/12/07(Thu) 21:23
投稿者管理人
参照先http://w312.k.fiw-web.net/hscp/Pothole.jpg
神社のはじまりは玉石甌穴であると、何度も書いてきました。しかし、玉
石甌穴は神社ではありません。(玉石甌穴のすぐ近くに玉石大明神の扁額
のついた鳥居と小祠が現在ありますが、これは後世につくられたものでし
ょう)

それでは最初の神社はどこに作られたのでしょうか。
その答えはすでにスレッド、No224に書かれています。

 そうです、それは玉石甌穴から由布岳、京丈山、国見岳、の三つの山
岳を経由してきた直角線の収斂する点に鎮座する「宇佐神宮」です。

次に、佐渡にある長者ヶ原遺跡と古富士ポイントに関係する弥陀の岩屋
の位置が定まった時点で、大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)の位置が
定まりました。大分八幡宮は筥崎宮の元宮として知られていますが、こ
の通説と順序は良く合っています。筥崎宮の位置が定まった後、古富士
ポイントの位置に関係する筥崎宮と中津宮、沖津宮の位置が決まりまし
た。

 不思議なことに、この時点では八幡神社を代表する八幡三社と宗像三
社のうちの二社の位置が決まりますが、肝心の宗像大社である辺津宮の
位置はまだ決まっていません。

 辺津宮は環状木柱列である真脇遺跡の位置と神岡坑口の位置が定ま
り、両者を結ぶ線分のピギーバック点である寺地遺跡の木柱の位置が定
まり、さらに玉石甌穴から寺地遺跡に到達する直角線の経由点である
須賀神社(静岡県静岡市駿河区東新田1−16−12 )の位置が決ま
ってからようやく定まったと考えられます。

それは次の関係から明らかになります。

出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
経由 大分八幡宮 福岡県飯塚市大分1272
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角 90.04゜

出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
経由 古富士ポイント 静岡県御殿場市
到着 沖津宮 福岡県宗像市大島沖ノ島2988
補正内角 90.68゜

出発 古富士ポイント 静岡県御殿場市
経由 中津宮 福岡県宗像市大島1811
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角 90.14゜

出発 古富士ポイント 静岡県御殿場市
経由 筥崎宮 福岡市東区箱崎1-22-1
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角 90.25゜

出発 寺地遺跡 新潟県糸魚川市大字寺地
到着 須賀神社 静岡県静岡市駿河区東新田1丁目16-12
到着 斑島玉石甌穴 長崎県北松浦郡小値賀町班島郷
補正内角 90.45゜

出発 須賀神社 静岡県静岡市駿河区東新田1丁目16-12
経由 宗像大社(辺津宮) 福岡県宗像市田島2331
到着 高千穂峰 宮崎県高原町大字蒲牟田
補正内角 89.53゜

ここからわかることは、古代の神社の始まりは

玉石甌穴から始まり、高千穂の峰、弥陀の岩屋、古富士ポントを結ぶ
線に、八幡三社と中津宮を除く宗像二社から始まったことになります。
ここで注目することは、近畿のポイントが全くないことです。

この頃の宇佐神宮の祭神は比売大神でした。比売大神が誰かは大変
興味のあることですが、少なくともこの頃は近畿には重要な祭祀ポ
イントが全くなかったことが考えられます。

近畿に神社ができるのは、ずっと後のことになります。

注;玉石甌穴の位置は地理院の位置から実測値に変更しました。