スレッド210に書いた弥陀の岩屋に関する重大な事実をここで明らかにしま す。
先に 出発 古富士ポイント 静岡県御殿場市 経由 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石 到着 斑島玉石甌穴 長崎県北松浦郡小値賀町班島郷 の補正内角を90.42゜と書きましたが斑島玉石甌穴の位置を実測値に正す と90.43゜になります。
恐らく大抵の人たちはこれは古代人が意図したものではなく、これに 合わせるように、線を引いただけだと思っているに違いありません。 そのような人たちは次の関係を見て果たしてどのような考えを持つでし ょう。
弥陀の岩屋から斑島玉石甌穴へ到達する直角線は、上記以外に下記があ ります。
出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石 経由 上之段石器時代遺跡 長野県茅野市北山湯川 到着 斑島玉石甌穴 長崎県北松浦郡小値賀町班島郷
この補正内角は 89.83゜
ここで線分、弥陀の岩屋−上之段石器時代遺跡のピギーバック点は下記 のように、真脇遺跡(巨大環状木柱列の中心位置)となっています。
出発 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石 経由 真脇遺跡 石川県鳳珠郡能登町字真脇 到着 上之段石器時代遺跡 長野県茅野市北山湯川
この補正内角は 90.50゜
また線分、弥陀の岩屋−上之段石器時代遺跡に対してはピギーバック点 は下記のように高ヶ坂石器時代遺跡(敷石遺跡)になっています。
出発 上之段石器時代遺跡 長野県茅野市北山湯川89.49 経由 高ヶ坂石器時代遺跡 東京都町田市高ヶ坂 到着 弥陀の岩屋 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
この補正内角は 89.49゜
ここから、玉石甌穴が日本の神社の中心と決められた時期が推測できます。
さらに
ここでも、古代人の地理観が一般常識を越えた広い範囲であったことが わかるでしょう。また、敷石遺跡が単なる住居跡ではないことが、ここ でもわかります。
|