タイトル | : 北海道の旅と近々明らかになる神社の発祥 |
記事No | : 201 |
投稿日 | : 2017/06/25(Sun) 17:09 |
投稿者 | : 管理人 |
今月の上旬から中旬近くまで北海道を旅してきました。いつもながら 驚くのはその大きさです。これから次第に明らかになってきますが、古 代人はこの広い北海道の広い大地を思う存分に線を引いて神社の位置を 決めていたのです。本当に驚くことです。
ここで、北海道の神社のほとんどが明治期にできたとする説は全くの 幻想に過ぎないことが、もうすぐ明らかになります。現在、石塔山荒覇 吐神社の位置から簡単な理屈で求めた大湯環状列石の干字状パターンの 上段(中心は南町神社と地神・馬頭観音)のパターンとフゴッペ洞窟、 手宮洞窟、マッカウス洞窟の幾何学的関係を説明中ですが、先と同じ理 屈で石塔山荒覇吐神社から求まる大山津見神社(図S46)と古富士線 から温川神社の神社群中心が見つかります。
この温川神社(図S7〜図S10)の干字状パターンの上段も北海道 にあり、その中心位置は音江環状列石になります。音江環状列石の干字 状パターンも先の大湯環状列石の干字状パターンと同じように、フゴッ ベ洞窟、手宮洞窟、マッカウス洞窟と全く同じ特性を持ちます。
以上の説明をするための直角線だけでも、あの広い北海道の神社の多 くを直角線で結ぶことになります。ここで、学者も含む日本人のすべて が、北海道の神社の発祥に関して根本から間違っていたことが明らかに なるのです。もちろん、これは北海道に限らず、日本の神社すべての発 祥について、大きな勘違いしていたことが明らかになります。
北海道の旅の最後に、不覚にも風邪を引き、こじらせてしまいました。 ようやく快方に向かっている様子です。
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