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タイトルお返事ありがとうございます
記事No166
投稿日: 2016/02/03(Wed) 22:47
投稿者点丸
すみません、私の簡単ケータイでは返信機能を使うと長文過ぎて投稿ボタンが押せなかったので、また新しい投稿をさせて頂きました
(ToT)

ご丁寧な返信をありがとうございます。

すみません、晴明神社は五芒星でした。人間用が五芒星でもののけ向けが六芒星かなと一人ごちています。

弥彦の書籍の名前は覚えていません、すみませんです。
弥彦村の文化センター?内の図書室の鍵のかかった書棚にあって、職員さんに声をかけて読ませてもらった本で、上下か一巻二巻の二冊組の書籍です。弥彦の神代文字も載ってました。

青森の記事を楽しみにしています。
義経や土方歳三が北上したのはワケがあったのだろうと感じます。代々のお侍様の戦は現代人が思っているより精神的に深い事情があると感じます。

各地の図書館めぐりをもっとしたいですが、子育て真っ盛りでなかなか難しいです。
見附の図書館には見附の耳取山がヤマタノオロチ退治の舞台で、「耳」は国王の意味だと書いてある本がありました。(田中角栄に見せたい本みたいなタイトルです)その本には見附と栃尾の境辺りに稲田氏が神主の神社と薬師如来の像があって、神社裏の松の木の土まんじゅうがヤマタノオロチの墓だと書いてありました。行って見たらまんじゅうという膨らみもなくなっていました。

糸魚川ではヌナカワ姫の三種の神器を狙う大国主命がヌナカワ姫を殺して神器を奪ったという伝承があります。
欠史八代のヌナカワミミが気になるところです。
弥彦神社の宝物殿には歴代天皇の肖像画が飾られていて、欠史八代の髪型は耳のところで髪を束ねているのが興味深いです。

信濃川河口にはエジプトからの渡来人が住みついたという記事もどこかで見ましたが、根拠はありませんでした。
しかし、県外の人から見て新潟は背の高い人が多いと言われる理由がわかる気がします。
日本には似合わないビロウの木が家や神社や寺に点在するのが目印のように感じます。

新潟は神社も昔話も多いですが、出雲崎の多聞寺の和尚さんの話では明治頃まで人口も財産も日本一だったそうです。

なかなか謎は解けず、興味は尽きません。

駄文、散文失礼しました。

タイトルRe: お返事ありがとうございます
記事No168
投稿日: 2016/02/04(Thu) 06:45
投稿者管理人
参照先http://http://w312.k.fiw-web.net/hscp/

> 弥彦の神代文字も載ってました。

弥彦山の頂上にあったとする神代文字はどこかで見た記憶があります。

> 義経や土方歳三が北上したのはワケがあったのだろうと感じます。代々のお侍様の戦は現代人が思っているより精神的に深い事情があると感じます。

義経も出雲崎の近くにある寺泊を経由しています。偶然かも知れませんが土方歳三の生家は神社群中心の位置にあります。

寺泊の聚感園には弁慶の井戸まであります。聚感園(菊屋五十嵐家跡)から上がった高台にある順徳天皇を祀った建物の正面一段下がった右脇にひっそりと五十嵐伊織の墓があります。これらは皆関係しているようです。五十嵐家をたどると垂仁天皇第八皇子に行き着くのです。

> 弥彦神社の宝物殿には歴代天皇の肖像画が飾られていて、欠史八代の髪型は耳のところで髪を束ねているのが興味深いです。

それは面白いことにお気づきですね。その髪型はみずらですね、ユーラシアに起源を持つと言われる髪型でシュメール人もその髪型をしていました。

> 新潟は神社も昔話も多いですが、出雲崎の多聞寺の和尚さんの話では明治頃まで人口も財産も日本一だったそうです。

その通りです。出雲崎の繁盛した様子は港区芝にある料亭の女将から聞いて驚いたことがあります。先に書いた五十嵐伊織は私の生誕地と同じ村にある豪農田巻家(歴代、五十嵐家と婚姻関係を重ねてきた)の出です。明治維新では、これら豪農のお金が湯水のように使われたのです。

> なかなか謎は解けず、興味は尽きません。

出雲崎に近い分水町には伝説の鬼「酒呑童子」にまつわる史跡もあります。

タイトル追伸です。>鉱石マニア
記事No167
投稿日: 2016/02/04(Thu) 00:50
投稿者点丸
荒らされては困りますね。
私も石に興味はありますが掘ったりするほど本格的ではなく転がっているものを物色する程度です。
それで弥彦山山頂でも物色していて気づいたんですが、ロープウェイ駅から山頂の駐車場側(北)に歩くとブロックが隙間をあけて並んだ簡易な歩道の左側に芝生と地面がでていて、その地面をよく見たら丸い層がありました。
ボーリングの球ぐらいの大きさで、5mm程度の厚さの丸い層を2こ。ちゃんと探せばもっとあったのかもしれませんが、これはなんだろうと思って、しゃがんで手で触った部分は砕けました。
球体のバウムクーヘンみたいな土の塊といえばよいのか、歩くブロックのすぐ脇ですので、下を見ていればすぐみつけられると思います。
どうしたらこんな具合の土の塊ができるのかな、丸い溶岩でも飛んできて外側から冷めたらこんな層になるのかな?とか素人なのでワクワクしました^^
ひょっとして隕石?なんて思ったりしましたが、感触は乾いた粘土質ぽく普通の土という感じで、不思議なのは形状だけです。

ちなみにロープウェイの名前がやまひことうみひこなのも個人的に因縁を感じます。

お札の伊夜日子の日が月みたいな字の書き方でとても引っ掛かってます。
鍛冶は炎の色を見極めることが重要で夜に行われていたことと関係あるのかなと感じます。月は夜の目ですから。

うさぎと伊夜日子大神の説話もありましたね。

山幸彦と海幸彦の本場、宮崎県に行ってみたいですが、遠いです。

熊野は「いや」と読めて天香山命繋がりもあって弥彦とリンクしていて、神の代を明かすヒントがありそうな気がします。
国上山のクガミは九鬼もそう読めて、熊野には九鬼(クキ)さんの部落があるそうで。

そういえば鬼の住み処=鉱山という話もありますが、もしかして酒呑童子が住んでいたという洞窟がポイントだったんでしょうか。今はわからなくなってるそうですが。

ヤマタノオロチ退治もまた、剣を作る為の鍛冶の描写という説がありますね。

北越奇談は自然やもののけの生き生きとした躍動感を感じますが、明治維新はお侍様をリストラして自然やもののけや伝承をひどく抹殺してしまいました。
現代人には神話の描写は夢物語でしょうが、人智を超えたものが活躍していた時代はあったと思います。

謎解きして本来の神に座って頂きたいです。

タイトルRe: 追伸です。>鉱石マニア
記事No170
投稿日: 2016/02/04(Thu) 06:46
投稿者管理人
参照先http://http://w312.k.fiw-web.net/hscp/

> それで弥彦山山頂でも物色していて気づいたんですが、ロープウェイ駅から山頂の駐車場側(北)に歩くとブロックが隙間をあけて並んだ簡易な歩道の左側に芝生と地面がでていて、その地面をよく見たら丸い層がありました。

それは枕状溶岩ではないでしょうか?

タイトルRe^2: 追伸です。>鉱石マニア
記事No171
投稿日: 2016/02/04(Thu) 18:31
投稿者点丸
> 枕状溶岩
検索して画像を見た印象では違う感じがしますが、なんともいえません;

旧姓が管理人さんと同じで、本家は相当な資産家だったらしいですが、明治頃にりんご畑に出資して失敗して土地財産を奪われ東京に行ってしまい、100歳手前の祖母は東京のどこに本家が行ったかわからないそうです。
ぶっちゃけハメられたなと感じました;

東京の大田区も新潟の大田さんが買った土地だったとか。
田巻邸の方も笹川邸の方も東京へ行ったようですね。

預金封鎖とかめちゃくちゃして、土地を育んできた庄屋は消され、出自の怪しいものが官について、日本は本当にことごとく破壊されてきました。
明治維新直後のエピソードでお侍様が立ちションしているのを警官が咎めたんですが、ボロボロの着物を着た元お侍様は「便器に菊の紋の描かれた切手があって小便できん。平民が何を言うか」と裁判沙汰になって無罪になったそうですが、
なんだかその明治維新後のカオスな感じが伝わって印象に残ってます。

伝承も途切れて、祖母は庭にあったビロウの木を切り倒してしまいました。
探求心を持って積極的に調べなければわからないピースも、図書館にある古本が捨てられたら永遠に闇の中なのかな、とか虚しいような思いがします。

拉致被害者が新潟に多いのも、その血を求めてのことと思います。
日本人には伝承が途絶えているのに、大陸の方は何やら真実を知っているみたいですね。

邪馬台国じゃま大国なんて嫌みな当て字とか…。やまと大国でしょうと思うんですが。

理路整然と考えを表現できたら良いのですが、それが苦手でまいど感情的な書き方しかできずすみません。

このたびもご丁寧な返信をありがとうございました。

タイトルRe^3: 追伸です。
記事No172
投稿日: 2016/02/05(Fri) 00:00
投稿者点丸
佐渡(長者ヶ原遺跡)と石川(間脇遺跡)の関係ですが、
弥彦神社の奥宮的存在の佐渡の度津神社と能登島のイヤヒメ神社の関係とリンクするのではないかと思いました。
ちなみに能登島には須曽蝦夷穴古墳という高句麗式の古墳が海を眼前にありました。

最も古い神社について明記された部分をみつけられてないんですが、越路の宝徳山稲荷大社の由緒書きには縄文時代から続くとありました。物部の巫女さんによるらしいです。
そこから車で10分ぐらいのところに長谷川邸もありますね^^
宝徳山稲荷大社のある小山は日本一のガス田です。

居座らせて頂き恐縮ですが、自分の知っていることをどこかに残しておきたくて、この場をお借りしました(>_<)
ごめんなさい。ありがとうございました。

タイトルRe^4: 追伸です。
記事No173
投稿日: 2016/02/09(Tue) 06:26
投稿者管理人
> 佐渡(長者ヶ原遺跡)と石川(間脇遺跡)の関係ですが、
> 弥彦神社の奥宮的存在の佐渡の度津神社と能登島のイヤヒメ神社の関係とリンクするのではないかと思いました。

> 最も古い神社について明記された部分をみつけられてないんですが、越路の宝徳山稲荷大社の由緒書きには縄文時代から続くとありました。

点丸さんの書かれたポイントから何を期待しているかは何となく想像できますが、残念なことに、今のところそのようなものはHSCP線からは見つかっていません。

 しかし、とても驚くことがありました。点丸さんの書かれたポイントは長野県茅野にある「上之段石器時代遺跡」に偶然ではない確率で行き着くのです、そこから更に多くの関東地方の縄文遺跡にも関係してきます。本当に不思議なことです。

 この時、最も大切なポイントは真脇遺跡の位置になります。こんなことを書いても、にわかには信じる人はいないでしょう。しかし、これから書く三内丸山遺跡に関わることを知れば、私の主張していることがわかってもらえると信じています。そして、縄文遺跡に関係する神社は宝徳山稲荷大社だけではなく、多くの神社が関係していることもわかるでしょう。

宝徳山稲荷大社や長谷川邸は別宅から車で簡単に行けるのですが、まだ行ったことはありません。宝徳山稲荷大社は越後丘陵公園の展望台からも際立って目立って見えます。 
 
> 宝徳山稲荷大社のある小山は日本一のガス田です。

 天然ガスは液化してタンカーで全部が外国から運ばれて来ると考えている人が多いのですが、わずかですが新潟産もあるのです。

かつて新潟県はガスの産出量が多く、新潟交通のバスはすべて天然ガスで動き、トラックまでポンベを抱いていたり、ガスカー(気動車)も普通にありました。

 ガスをとり過ぎると地盤沈下が起きます。旧新潟気象台も海の中になってしまいました。新潟地震もガスの採取が間接的に関係しているとした説もあります。
 

タイトルRe^5: わざわざ検証して頂きありがとうございます。
記事No174
投稿日: 2016/02/09(Tue) 19:03
投稿者点丸
お手数おかけして恐縮です。
茅野市、興味深いです。教えて下さってありがとうございます。

素朴な疑問として、「なぜ90度なのか」と思っていましたが、
西方を守護する麒麟は曲がる時、直角に曲がるそうで、面白いなと思いました。
カド族というのもそういう習性があるのかな?と興味津々です^^