先の、神社に「秘められた日本史の謎」新谷尚紀氏、洋泉社の読 後感想で気になることがありました。謎を解いていないと指摘した 中で、内宮と外宮の争いがあります。「そこには外宮の鎮座伝承は 記紀には書かれていない」と書いてあります。確かにその通りなの ですが、私はこれまで外宮を味方するようなことを書いてきました。
これは、誤りであったとお詫びして訂正いたします。と言うと内 宮の勝ちをこれから言うのを期待される人も多いでしょう。しかし、 期待に反して、そうではないのです。
それは南紀の神社配列を「縄文ランドスケープ」の観点から見る と、内宮、外宮両者ともその周囲にあるの多くの神社の位置が決ま ったときには、まだ存在していなかったことがほぼ明確になったこ とです。
先にも書いたように、南紀の神社配列はは3000年前の富士山(静 岡大学教育学部小山真人教授がこれまで主張されてこられたピーク) を望む縄文ランドスケープそのものだったのです。
この突飛な考えは、縄文ランドスケープの実在をこれまで主張さ れてこられた小林達雄國學院大學名誉教授も驚くに違いありません。 しかし、このお考えから、主題の「内宮と外宮の争い」に関してこ れまでにない新しい知見を生むことは間違いないと確信しています。
私の、発見が革新的なお二人の考えの後押しをできることは大変 な幸運と考えています。
とは言うものの、当のご本人がどのようにお考えかどうかを聞い て書いているわけではありません。
しかし、ここで堂々と書いているのは、お二人のお考えになって いたことが、絶対に間違いないと確率論で証明できたからです。
このような状況下にもかかかわらず、このような事実を全く無 視して書かれた新谷尚紀氏の書籍の内容に関して、「月から戻っ た宇宙飛行士に向かって、月には兎がいるはずだと」主張してい るに等しいと失礼なことを書いてしまいました。
そうですね、「月に行ったことのない人」=「神社間に線を引い て何になるかと言いながら、それを確かめようともしない人」
このような人達がいつまでもいる限り、日本の真の歴史は解明 できず、神世の時代から抜けられないでしょう。
歴史学博士はなぜか日本にはいません、しかし歴史の権威者の 中には「文学博士」は多くいます。
文学博士は大勢を感動させれば、それが真実であろうとなかろ うと認められると勝手に考えているので、権威にもとづいて書い たことに文句はつけられませんが、古い思想そのものを新しい思 想ののように書いていることに気がつかない人がいることは残念 でなりません。学問は先輩の業績を乗り越えなければ進歩しませ ん。
また、前置きが長くなってしまいました。南紀の神社配列が和 歌山から見た古代の富士山頂を望むランドスケープとして配列さ れていることは絶対に間違いありません。
これまでの礼金の条件を格段に下げ、これを理論的に否定さ れた方(南紀の神社配列にランドスケープなどあるわけがない と証明された方)には500万円を差し上げます。もちろん権威者 である新谷尚紀氏からのご意見も承ります。遠慮無くお申し出 ください。その場合はもちろん、礼金もそのまま受け取ってい ただきます。
追記
南紀の神社配列が和歌山から見た古代の富士山頂を望むランドス ケープとして配列されているとした場合、そのキーになる神社を園 相神社(そない)神社と倭姫宮であり、そこから派生した神社の位 置に源慶寺があることを書きました。
線引が進むと、さらに神社群中心が派生してくるはずです。そこ へさらに別の神社群中心、
伊射波神社(三重県鳥羽市安楽島町1020) 牟山中臣神社(三重県伊勢市田尻町179) 御座神社(三重県志摩市志摩町御座) 贄浦不詳神社(重県度会郡南伊勢町贄浦(34.284373,136.557266)
などがあれば、線引きは順調に進んでいる証拠です。
追記 国土地理院の地図に神社としてマークされた「・」(ドット)の 位置はかなりいい加減です。恐らく地図を作成した担当者に恵まれ なかったと見えて、この地域は要注意です。
古代人の方向精度はすばらしく、このような細かいミスもわかり ます、現地で確認したりgoogle地図(こちらも相対的なずれがある ので注意)と対比するなどしないと正解は得られません。何度も書 いていますが定規でずれが少しでもわかるような線引きは無意味で す。正確に直角を引くように勤めれば必ず驚く結果が現れます。
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