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タイトル南紀の神社群は古富士ポイントを向いていた
記事No157
投稿日: 2015/07/03(Fri) 23:12
投稿者管理人
参照先http://w312.k.fiw-web.net/hscp/
 牛石遺跡の2重点の発見から、干字状パターンとは別に山岳の頂点を
指す直線状に並んだ神社群中心があることがわかってきました。

 しかし、不思議なことに、牛石遺跡のようにその方向が二十四節気と
関係する場合と全く無関係のものがあることもわかってきました。

 これまで、苦労して求めてきた、神社群中心のほとんどは、この多重
点か、その神社群中心から派生したものであることも見えてきました。

 この考えを南紀にも適用したところ、驚くことに、ここにもピッタリ
と古富士ポイントを向いた多重点がありました。
小林達雄國學院大學名誉教授の主張された縄文ランドスケープがここに
もあったのです。

 現在は正面には頂上が見えません。今年も、夏至の頃に、和歌山から
富士山が見えると話題になっていました。古代は二見ヶ浦から古代の富
士山頂上が眼前に見えたのです。

(多重点から見る正確な方向では夫婦岩はわずか外れています、もちろん
現在の富士山山頂はさらに外れます。)

 やはり、古富士ポイントは3000年前の富士山のピークであったこと
は間違いありません。ここで、そのポイントに内宮か外宮の位置が入
ることを期待したのですが、その期待は見事に外れました。

 古富士ポイントを指している多重点は、園相神社(そない)神社と
倭姫宮でした。もちろん両者は神社群中心付近の位置にあります。し
かし、どちらも、神社の位置が後世になって決めたれたと言われてい
て、意図的にその候補から外していた神社でした。

 どちらの神社も、わずか位置がずれていますが、周辺の神社の位置
からHSCPで求めた位置で補正すれば古富士ポイントを向いている
のです。もちろん、両者の神社を結んだ線分に対して雷電神社(三重
県伊勢市小俣町本町1166)の神社群中心の特性を持つピギーバッ
ク配列もあります。
 
 ここでもう一つ大切なポイントがあります。それは現在、真宗大谷
派に属している源慶寺(重県志摩市阿児町国府2818)の位置です
す、恐らく寺の記録にも無い可能性がありますが、この位置は神社群
中心の特性を持ち、神社があるべきボイントなのです。推測ではなく、
確率から見て絶対に神社があったと学問で証明できる位置に源慶寺が
あるのです。

 HSCPを理解されている方々はこれをヒントにぜひ先の神社群中
心から線引きを試されることをお薦めします。この範囲の中には内宮
も外宮も入っています。これまで私が主張してきたことの意味がここ
でもわかると考えています。

蛇足になりますが

 洋泉社の歴史新書、新谷尚紀氏の「神社に秘められた日本史の謎」、
「神様に秘められた日本史の謎」を読みました。読後の感想は何も謎を
解いていないことです。権威者もまだ月から戻った宇宙飛行士に向かっ
て月には兎がいるはずだと主張していると同然なのです。

 ご自身ができないならぜひ部下に命令して先の事実を確認し、ご自身
の書かれた本の内容が「それでも月に兎がいる」になっていないか確認
していただきたいと希望しています。

 私の主張に間違いがあれば、ぜひご指摘をお願いいたします。すでに
お約束しているように、その場合は500万円を礼金としてお受け取
りください。そのような確かな説を期待してお待ちしています。

神社について最大の謎は

1.流人の島で知られる伊豆七島になぜ多くの延喜式内社があるか?
2.過去にも現在も人の住んだことのない地域になぜ神社があるか?
3.岩盤を削ってまで神社の位置合わせをした理由は?
4.北海道になぜ2千社余も神社があるのか?
5.南・北大東島にある神社までなぜHSCPの正確な規則に配置さ
  さているか?
6.神社とは関係ないように見えるが、最も関係がある事項「日本の
  縄文遺跡からなぜ金製品が検出されないか?」

ついでですが、「柳田民俗学」は神社の配列から見たら完全に破綻し
ているのです。先の2.の回答がそれを証明しています。また、折口
信夫氏は「民衆の集まった場所に神社が発生した」とするような安易
な柳田説を決して容認しようとしませんでした。