別子銅山でも神社群中心を探索していましたが、愛媛県新居浜市 の山中
北緯33度51分40秒28 東経133度19分35秒84
の点に神社群中心がありました。国土地理院の地図からは坑口の正 確な位置はわかりません。そこで、この点を調べてみると、歓喜坑 と呼ぶ古い坑口の位置とピッタリと一致していました。
一宮テンプレートによる検証ももちろんOKでしたが、不思議な ことに、生野銀山、鐘内鉱山、別子銅山のすべてが環状木柱列のあ る真脇遺跡を経由するだけでなく、HPで最近説明したばかりの、 弥山(奈良県吉野郡天川村)を経由することがわかりました。弥山を 紹介した動画を見ると、神社の前に環状列石のようなものが見えま すが、これは何でしょうか。
何はともあれ、一宮が鉱山の位置を示していることは確定的に なってきました。最初から予測していたように、本来、一宮は鉱 山の位置を示す目的で特別扱いされていた神社だったものが、後 世になって一宮にすり替えられたのです。地域別に決めたられた ものではないものを、無理やり地域の代表の神社として選んだの で論社が多くなるのは当たり前だったのでしょう。
一宮テンブレートの検証をパスする鉱山の探索をまだ続けます が、これが全部明らかになった時点で、真の一宮(同一地域で重 複している場合もある)が明確になるはずです。
ところで、先にも説明したように、鉱山が変わっても、同じ経 由点を通る例が多くあります。経由点たけでなく、端点でも多く の鉱山が共有する一の宮があります。伊雑宮や伊射波神社などで す。
この意味するものは何でしょう。最もはっきりしていることは、 伊雑宮が籠神社の別宮から順次遷宮してきたなどとする話は後世 の作り話であることは間違いありません。
一宮テンプレートによって、古代人の能力の高さに驚かされま した。日本中にある(九州、東北、北海道はまだ未発見)鉱山の 位置が、一宮として限られた数の神社の位置で正確な直角線で示 すには、日本の地理を完全に把握しているだけでなく、クイズを 解くような難しさがあったはずです。
一体どのようにしてそれを決めたのでしょう。本当に不思議な 事です。一生の間、このように不思議なことに出会ったことは他 にありません。
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