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「大江さん」の公開メール
残念なことに、最近はうっかりメールアドレスも書けないという、大変情けない世の中になってしまいました。
そんな世相なので最近は進んでアドレスを書かれる方が減ってしまいました。
もし、なんらかのリアクションを期待なさるときは、管理人宛メールでご連絡いただきたく、あわせてお願いいたします。
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繧「繧ャ繝 逋コ闃ス 蜈
投稿者:
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投稿日:2024/11/11(Mon) 04:15
Favor Ideas. "The Lazy Strategy to Great Winter Marriage ceremony Centerpieces." Undated.
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ロレックス 偽物 574
投稿者:
ロレックス 偽物 574
投稿日:2024/02/29(Thu) 10:36
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900
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ブランド偽物
投稿者:
ブランド偽物
投稿日:2023/03/21(Tue) 21:31
手書き手紙は感動しました
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飽海郡古川邑
投稿者:
古川久美子
投稿日:2013/05/28(Tue) 21:37
飽海郡古川邑
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多賀城の大江さんへ
投稿者:
暇人
投稿日:2010/11/15(Mon) 15:51
見ていただけるかどうかわかりませんが、とても古い書き込み2008/11/01(Sat) 15:57 への返事です。
ご丁寧なお返事をいただいておきながらご返事を失礼していました。神社の研究に夢中になっている間すっかりご無沙汰してしまいました。申し訳ございません。
その後東北を旅し、多賀城市にあるアラハバキ神社をはじめとして、東北にあるほとんどのアラハバキ神社を見て来ました。
その後の私の推論です。
東北における坂上田村麻呂と神社に関わる伝承はほとんど後世の創作ではないか?と考えています。
坂上田村麻呂はその事績から見ると、例えば清水寺を建てたように仏教を広めていたはずです。神社をそんなにたくさん建てる理由は考えられません。神社の歴史は坂上田村麻呂よりもずっと古いのです。
東北にある大同ニ年頃に建てられた坂上田村麻呂にかかわる神社はすべてその例に入るのではないかと考えています。
東北にあるほとんどのアラハバキ神社は神社群中心(下記URL参照)の位置にあることがわかりました。しかし、山陰にあるアラハバキ神社は例外が多く、本当に不思議な神社です。関東でも小野神社のように例外もあります。
神社群中心の位置にある神社の場所が決められた時代は、想像以上に古いことがわかりました。
多賀城市にあるアラハバキ神社(個人の宅地内にある)は元々そこにあったもので、中央政府が建てたものではないと考えています。
教えていただいた古志族についてはまだ良くわからないことだらけです。
ところで、神社の研究はようやくその一部を雑誌に発表しました。
やはり日本の神社のほとんどは計画的に位置が決められていたのです。
http://w312.k.fiw-web.net/hscp/
ここに書いたことは研究のほんの一部です。まだ驚くことがたくさんあります。
追記
私が調べたい場所と「でんでんむしさんの岬めぐり」の場所が一致するときが度々あり、たいへん参考になっています。
スパム書き込みもそのまま放置していて申し訳ありませんでした。
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私の先祖
投稿者:
毛利連
投稿日:2010/03/17(Wed) 11:59
はじめまして、私の先祖は大江広元です。
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ルーツをめぐる旅「高知県の大江について」
投稿者:
「どうじゅん」です(旧姓 大江)
投稿日:2010/02/17(Wed) 01:34
前回2005年03月26日投稿しました旧姓大江です。
ご無沙汰しております。
このページが移行される前に・・・と書き込みいたします。
さて、以前祖父が宮崎県に移る前は高知県に居たと書きました。NHK大河ドラマがきっかけで、祖父が亡くなる前に高知へ墓参りに母と行ったと聞いたことを思い出しました。
今年はルーツをめぐる旅を予定しています。それで母に高知の大江について知ってることを教えてとメールしましたら、高知県宿毛市橋上町京法(旧高知県幡多郡橋上村大字京法“七番屋敷”)に私のひいひいひいおじいさんが住んでいたことがわかりました。
大江國蔵(安政の大獄の年に永眠)→長男常次→長男菊太郎→
長男勇(祖父)という流れを知りました。恐らく過去帳で確かめたのでしょう。お墓はいとこの西谷家のものだそうです。
菊太郎の姉栄の次男と祖父がいろいろ話をしているなかで、橋上町にはまだ大江という家があると聞いたそうです。
ちなみにこの宿毛(すくも)市は山内一豊の家老である(美濃安藤氏)伊賀氏が治めた土地だそうです。その伊賀氏に仕えた家臣の中に大江家があるようです。幕末に大江卓(おおえ たく)という有名人がおります。亡くなった祖父は先祖のことを(下級)武士だったと申しており、伊賀氏に仕えたその家系かどうかまではまだ掴めていません。
ところでルーツをめぐる旅ですが、今年姑の親戚がいる大分中津で法事があるので、そのついでに一緒に高千穂まで足を伸ばそうと誘われていて、大分からなら宿毛はフェリーで行けるので、大分宮崎高知と周遊しようと思っています。
姑の先祖の一つは中津藩主奥平家なんです。中津大江さんのことはネットで調べてほんの少し知っていましたが、まさか3系統もあるとは思いませんでした。ご先祖様は奥平家について何かご存知なのでしょうか・・・。
中津城が売りに出されたニュースにはビックリですが、姑は傍流(女系)なので城の持ち主ではありません。奥平も養子を迎えて存続してきたのでとうに徳川家康の長女の血は消えさっていたのでしょうが、現在岡崎市に縁があるのでなんかただならぬ運命を感じます。また代々御典医という大江家が中津藩に仕えていたことを知ったときもなんの暗示かな???って。
法事は奥平家か姑の父方の中山家なのかはまだ聞いてないです。中山家は明治天皇の実母中山慶子の実家です。これまた女性なので血のつながりは全くありません。
去年舅の道順(どうじゅん)家のルーツを探りに伊賀上野へ行きました。忍者らしいのでなかなかみつからないとは思いますが、ダメもとで探し、さっぱりわかりませんでした。
わかっているのは富山県に集落があり、夫のいとこ(本家の長男)が富山の道順さんにあって意気投合し、いろいろ話したそうですが、結局よくわからなかったそうです。北海道へ開拓移民となったそうですからきっと先祖はつながっているのでしょう。
不思議なご縁ですが、どなたも先祖をたどれば歴史上有名な人にたどりつく・・・というのが主人の持論です。
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管理人様
投稿者:
千葉県
投稿日:2010/01/16(Sat) 13:10
他に移行するなら、URLのの添付お願いしますね。
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894
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知りたい
投稿者:
古川
投稿日:2009/10/11(Sun) 11:26
近年家系図に興味を持ち始めておりますが、先祖は佐賀県鍋島藩御金蔵係と聞いておりましたが、それもあやふやです。
よければ教えていただきたいです。
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891
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無題
投稿者:
大江 等
投稿日:2009/08/07(Fri) 23:34
私は青森県階上町ですが6,7件だけまとまってあります
ルーツは全く不明です、どなたかわかる方いますか。
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890
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このサイトは閉鎖してブログに移行しようかと…
投稿者:
管理人の大江です
投稿日:2009/04/22(Wed) 06:36
そんなことを考えています。
掲示板の代わりは、コメントでも充分対応できるように思います。
削除依頼もあるように、あまり古いのをいつまでもそのままにも置けないし、いろいろ悩んだ結果、そういう結論に向かいつつあります。
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889
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呉の大江さん、ありがとうございました
投稿者:
管理人の大江です
投稿日:2009/04/22(Wed) 06:33
貴重な情報ありがとうございました。
そうですか。宮原の正円寺がそうですか。
大江さんは、この付近にはかなりの勢力があったという、証明ですね。
400年ずっと、辿って調べてみたいですね。
今度広島へ帰るときには、ぜひ宮原の正円寺をお訪ねしてみたいと思います。
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888
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削除希望の項目番号をお知らせください
投稿者:
管理人の大江です
投稿日:2009/04/22(Wed) 06:28
886の「削除依頼」について。
どの項目の削除をご希望でしょうか。
項目番号をお知らせください。
返信は、管理人宛メールで結構ですので、よろしくお願いいたします。
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887
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呉の大江でした
投稿者:
加藤泰憲
投稿日:2009/04/21(Tue) 14:04
30年前から愛媛県の今治で浄土真宗の常高寺と言う寺の住職をしております。生まれ育ったのは呉で宮原の正円寺。旧姓は大江です。現在、正円寺は兄が16代目の住職しております。ご存知かも知れませんが浄土真宗は世襲制をとりますので、400年ずっと大江です。管理人さんが倉橋と関係のある方だと知り思い切ってメール致しました。
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886
]
削除依頼です
投稿者:
削除依頼です
投稿日:2009/04/15(Wed) 02:33
以前に投稿したものですが、もうだいぶ古い投稿で、個人名も入っているので削除していただきたいです。
公開メール1997〜1998年のものです。
よろしくお願いします。
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885
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無題
投稿者:
大江
投稿日:2009/04/15(Wed) 02:24
テスト
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884
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無題
投稿者:
大江
投稿日:2009/04/15(Wed) 02:22
投稿
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883
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暇人さんへ
投稿者:
多賀城の大江です
投稿日:2008/11/01(Sat) 15:57
アラハバキ神社の位置は坂上田村麻呂らの奥州征服の過程で中央の神仏に取って代わられたといわれています。また、多賀城市にあるアラハバキ神社の位置は多賀城政庁が蝦夷側の神を祭ることによって蝦夷を平定しようと中央側で創建したようです。以上のことからアラハバキ神社の位置の特定は難しいようです。アラハバキ神社を調べている「アラハバキ学会」があります。岩手県北上市の「鬼の館」の学芸員らが発起人となって平成13年5月19日に旗揚げされています。その経緯が河北新報の平成13年5月16日の記事に掲載されています。代表の連絡先は平成10年1月4日の河北新報の記事「千夜一遇の会」に掲載されています。記事は河北新報社から取り寄せることができます。古志族は山形県神社庁が発刊した山形縣神社誌に見ることができます。また、インターネットで古志族と検索すると見ることができます。おっしゃるとおり新潟県は昔は越後の国とよばれ、つまり越の国(こしのくに)で古志族の国だったところです。奥の院大根明神も七ケ浜町のホームページで祭事記のところにみれます。ここは大江家のホームページなので大江家のことも一言。山形には大江家ゆかりの神社もたくさんあります。山形県婦人神職協議会の会長も大江さんです。西川町に「大江院」あり。寺社造りの外観です。村の端れには仏教で墓を意味する神道形式の奥津城が建っています。「大江家奥津城」は見上げる高さ4〜5メートルはあろうかという大きな一枚岩に彫られています。明治になり復飾大江氏を称しました。大江家は古代においては天孫族とされ天照大神が右の角髪に付けていた勾玉から生まれた天之穂日命から出たといわれています。系図をさらに昇っていくと淡路島や本州、四国、九州も先祖にいます。このへんは神話の世界です。追記、二つの神社の名前はわかりませんが宮城県神社庁に問い合わせるとわかると思います。
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882
]
多賀城の大江様へ その2
投稿者:
暇人
投稿日:2008/10/28(Tue) 02:17
当該エリア付近の神社配置は鹽竈神社(宮城県塩竃市一森山)の左宮本殿の位置が注目ポイントであ
ることは以前からわかっていたのですが、今ひとつ、解析がうまく進まず、中途半端な状態になっ
ていた場所です。(驚くと思いますが左宮本殿の位置も古冨士の位置が極めて高い精度で関係しています)
その後慎重に検討した結果、神社名がわかりませんが、黒川大郷分校(中村字東浦18)の南東約
100mの神社と大迎寺(松島町手樽)南西約290mにある神社も注目ポイントになっていること
がわかりました。
この付近の神社は上記の三つのポイントを基準として配置されているのです。狭いエリアで三つも
基準点があるのは全国でもあまり例がありません。このような神社配置は解析がとても面倒です。
しかし、このように基準点が多いことは、欠損した神社の方向だけでなく、絶対位置を求めること
ができる可能性が逆に増えてきます。
更に、解析を困難にしていたもう一つの理由が、海中に没して欠損した神社が一つだけでなく、複数
ある様子です。このように欠損した神社数が多いほど解析を困難にします。
現在、解析の途中ですが、奥の院大根明神かどうかはわかりませんが、七ケ浜町の花渕崎東南東海上
約5.5kmのところにそれらしい点がありそうですがまだ断定する段階にはありません。
これも蛇足になりますが、先に書きましたように、鹽竈神社は左宮本殿の位置が基準点になっていま
す。恐らく古代の祭祀場はその位置にあり、その後増築や改築によって現在の姿になったものと思わ
れます。
神社名のわからない前記二つの神社名がわかったらぜひ教えていただきたいと希望しています。
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881
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多賀城の大江様へ
投稿者:
暇人
投稿日:2008/10/27(Mon) 04:11
私もアラハバキ神社には強い興味を持っています。しかし、残念なことに、私の研究からは、アラハバキ神社名を持つ
神社の位置から、その特異性は見つかっていません。
かつて、多くあったアラハバキ神社はその後勝手に別の神社名が割り振られてしまったのではないかと考えています。
関東の例では、割合と新しい時期に白山神社などに名前が変えられてられてしまっているようです。
>古志族の神社は古志族の父祖の地を向いており北向きの神社として太陽に背を向けてロシヤの方角に向いています。
初めて知りました。本当でしょうか?
良く調査した新潟県を例にすると、確かに北部の神社は北向きが多いようです。私は神社の向きは複数の神社が作る神
社群(最小6個の基本構造)の向きとして研究しています、個々の神社の向きと私の主張する神社群の向きとの相関に
ついてはまだ何とも言えない状況です。
外国領にあったと思われる神社の位置が関係している例は国後・択捉を除くと、現在数万社を調査した段階ですが、韓
国領にあった神社が関係しているのではないか?と思われる神社(すべて鹿児島県の南西にあにある神社群)3例があ
るだけです。(噴火などで神社が欠損して誤った結果が出ている可能性も否定できません)
私の主張する神社群の向きはきわめて正確に(方位ではなく、方向で0.01度以下の精度)古冨士(噴火によって現
状の姿になる以前の位置)と奈良県・野迫川村のある一点を指しています。西日本では例外もありますが東日本では例
外は一つも見つかっていません。
>貞観の大地震で地盤が陥没して海底に没した奥の院大根明神
そうですか、これも知りませんでした。大変興味があります。この方向に神社があったかどうかは必ずわかります。運
が良いとその位置を正確に(10m以内の精度)決定できる可能性もあります。
蛇足になりますが、十三湊付近では神社の欠損はありません。神社の欠損するような津波はなかったことになります。
佐賀県の瓜生島(沖ノ浜)についても、その証拠は今のところ何も見つかっていません。
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880
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暇人さんへ
投稿者:
多賀城の大江です
投稿日:2008/10/26(Sun) 17:19
今回、波切不動明王のあるあたりには時間の都合上、立ち寄ることはできませんでした。御存知のとおり東北地方には古代より現代にいたるまで連綿と蝦夷が住しております。古代に蝦夷が信仰した自然神アラハバキは現在は足の病の神などに姿を変えアラハバキ神社となって残っています。私の住んでいる多賀城市にもアラハバキ神社はあります。古代東北のキーになる神社と思います。また、異民族の神社として北方アジア大陸から渡って来た古志族の神社は古志族の父祖の地を向いており北向きの神社として太陽に背を向けてロシヤの方角に向いています。その古四王神社は山形や秋田に多いのですが、私は岩手県花巻市の宮沢賢治記念館の尾根続きにある胡四王神社をみたことがありますがやはり太陽を背に北を向いておりました。それから、七ケ浜町の花渕崎東海上7km
の海底には貞観の大地震で地盤が陥没して海底に没した奥の院大根明神があるとの伝説があります。このことも暇人さんの説でわかるのでしょうか。
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山城サミットへ行ってきました
投稿者:
多賀城の大江です
投稿日:2008/10/26(Sun) 16:07
会場で受付を済ませると山城サミット2008おおえのキャラクターの絵がはいっているりんごをお土産にもらいました。会場から左沢楯山城へシャトルバスで向かう。3班に分かれて山城へ登はん。曲輪がかなり多く見られる。曲輪が多いのが左沢楯山城の特徴のひとつだそうです。その曲輪という曲輪には家臣の家である掘立柱建物群が建っていたそうです。そして迎賓館のような建物、地下室などもありました。もちろん山城としての防御の設備もありました。堀切、切岸、虎口、帯曲輪、土塁」。はじめは小規模だった山城が大規模な山岳防衛都市になったようです。パネラーの先生によっては「山上の住宅団地」と表現された方もおりました。城下を通る街道や最上川舟運で通る人々に見せつける「攻めたくない」と思わせる抑止力のある山城であったようです。山城の一番高い所は「八幡座」とよばれ宗教的な建物があったようです。岩が露出しているところには、掘立柱を建てた穴が当時のまま見られました。そして、少し降りてくるとこれまた当時の姿のままに井戸が2つ並んで水をたたえていました。三の丸跡に到着。初めて来た時にその名に衝撃を憶えた「日本一公園」ここは最上川のビューポイントです。麓の根城があったあたりの元屋敷を通ってサミット会場へと歩いて移動。サミット事体は全国の山城の紹介やまちつくりにどう活かすかなどで左沢楯山城のことは少ししか触れられませんでした。翌日もサミットに参加。正午で終了。昼食には、戦国の武将の名をとった「白鳥十郎そば」を食す。白鳥十郎とは一説には大江家と同族とする説がある人物です。白鳥氏系図では大江音人を祖としているものもあるようですがはっきりしていません。そばを食べながら山形新聞を見ていると昨日の山城サミットの記事が掲載されていました。その記事の左沢楯山城の現地見学会の写真に私が写っていました。帰り足で河北町溝延城(大江茂信築城)に寄り近くの聞徳寺に安中坊の山門を見に行く。山門は一番上の中央に鬼の面が彩色されて彫られていました。または般若か?山門に鬼の面というのは私は初めてみました。そして大江宗家の紋一文字に三ツ星が見てとれた。最後に左沢の宿には「大江屋旅館」を考えていたが昨年をもって高齢のため廃業したとのこと。安中坊の山門も風雪に耐えて少し傷んでいるよう。できれば一刻も早く見学されたほうがよいと思いました。
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878
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左沢楯山城跡
投稿者:
暇人
投稿日:2008/10/17(Fri) 10:38
先に書き込みした左沢楯山城跡はとんでもない間違いをして
いました。そこは楯山城跡ではなく、狩川城跡(山形県東田川
郡庄内町狩川)の間違いでした。同じ名前の楯山公園内にある
ので勘違いしてしまいました。(勘違いがありましたが、私と
しては貴重な発見であることには変わりありません)
改めて、左沢楯山城跡付近の注目ポイント(古代祭祀の中心
位置)を求めて見ると波切不動明王(西村山郡大江町左沢、左
沢小学校から北東約700m)の位置になりました。したがっ
て、左沢楯山城跡付近は古代から祭祀場として重要な位置であ
ったに違いありません。
なお、最上川に沿った注目ポイントとしては(小菅阿弥陀堂
(形県北村山郡大石田町田沢)の位置があります。
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877
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左沢楯山城跡
投稿者:
暇人
投稿日:2008/10/13(Mon) 16:07
多賀城の大江さんが書いてくださった左沢楯山城跡ですが、私は
ここに城跡があることも知らなかったのですが、その位置が気に
なり、私の発見した法則で、調べて見ました。
驚くことに、93.7mのピークにある三角点の真東約7mの位
置に注目点がありました。
と言うことは、古代(恐らく縄文中期)にはこの位置に、現在の
神社に相当する祭祀場があったことを意味します。左沢楯山城跡
は中世の遺跡とされていますが、このピークの付近には縄文遺跡
もあるはずです、中世の築城のときに、これが破壊されていなけ
れば必ず何か埋蔵されているはずです。
多賀城の大江さんの書き込みから、貴重なヒントを得ることが
できました。厚くお礼申し上げます。
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876
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無題
投稿者:
管理人の大江です
投稿日:2008/10/12(Sun) 12:51
多賀城の大江さん、「でんでんむしの岬めぐり」は、地図上に岬・崎・鼻といった名前がついているところを対象にしていて、利府町は萱野ヶ崎へ行く予定です。
教えていただいたのは、櫃ヶ浦の南のでこぼこのことだと思われます。ぜひ、寄ってみたいと思います。
今回は奥松島の宮戸島から七ヶ浜町まで、松島湾の岬めぐりです。
そんな「オオエさん」がいらしゃるのですか。
でも、残念ながらそれはワタシではないのです。地元の月島や隅田川周辺の記録も中途半端で、困ったものです。
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875
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いい岬あります。
投稿者:
多賀城の大江です
投稿日:2008/10/11(Sat) 14:09
塩釜に岬めぐりでいらっしゃるのですか。いい岬が塩釜の隣町、利府町にあるんですよ。「馬の背」といって海に防波堤のように突き出ています。100メートル以上はあるでしょうか、風呂に入った時、腕を水面に浮かばせて伸ばしてみてください。そのような感じで伸びています。先端まで歩いて行けますが先端の少し手前で割れて覗き込むと海面が見えますが勇気をだしてポンと飛び越えればもう少し先まで行けます。とにかく不思議な地形です。ご案内したいのですが15日の週は仕事で研修です。残念です。あ、それから大変失礼ですが、去年発行のある雑誌に連載されていた「東京ピク二ッケ九月向島、秋の七草」に「オオエさん」として登場しているのは管理人さんのことではないのでしょうか。管理人さんと隅田川など江戸情緒をあじわう登場人物「オオエさん」はいかにも似ていたもので。間違えていたらすみません。
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874
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山城サミットですかあ
投稿者:
管理人の大江です(管理人の資格はないけれど)
投稿日:2008/10/07(Tue) 10:28
多賀城の大江さん、「山城サミット」ですかあ。おもしろそうですねえ。
左沢へ行かれたら、また写真なども投稿してくださると、なかなかできない更新模様替えのプレッシャーになるかもしれません。
ちょうどその前になりますが、15〜16日頃に、岬めぐりで塩釜に参ります。
暇人さんは「神社めぐり」、管理人でんでんむしは「岬めぐり」なのです。
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873
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山城サミット
投稿者:
多賀城の大江です
投稿日:2008/10/04(Sat) 21:51
この10月18日(土)〜19日(日)に山形県大江町で第15回全国山城サミット大江大会が開催されます。当日は、南北朝時代に大江元時によって築かれたとされる左沢楯山城跡の現地見学会が2時間の予定で行われます。その他シンポジウムやアトラクションなどもおこなわれる予定です。私も参加予約を済ませておりますので、ちょと行ってきます。
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